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高校野球備忘録 1979年夏 その1 箕島の奇跡

2010-08-05 00:30:29 | 高校野球備忘録
第61回全国高等学校野球選手権大会

春夏制覇を狙う箕島とセンバツ準Vの浪商が優勝候補。
春8強の池田、4年前も夏4強に導いた名将野本監督が率いる仁村(中日)を擁する上尾、大型左腕・宮城の横浜商、前年4強の中京や伝統の広島商が2校に続く。

 1回戦でいきなり浪商-上尾が激突、予想通りの好試合となる。
仁村の好投で2-0で上尾リードの9回、二死で走者一人を置き、牛島(中日等)の起死回生の本塁打で浪商が追いつき延長11回の末、浪商が辛勝を収めた。
 前年延長17回を戦った高松商は今大会も1回戦延長13回の末、惜しくも姿を消した。
 また滋賀県代表・ 比叡山が47都道府県最後の初勝利を記録した。
滋賀県は1県1校制となるまでは京都と代表決定戦を行っていたのも原因の一つであろう。


さて大会9日目に高校野球史上最高の試合があった。
3回戦の箕島-星陵がその試合である。

星陵は左腕堅田投手を中心に北(大洋等)や音(中日)らの打線で、優勝候補箕島に立ち向かった。

試合は4回先行の星陵が堅田の適時打で先制、その裏箕島も森川の適時打で1-1の同点に追いつく。
試合は1-1のまま延長に入った。

延長12回表、本当のドラマはここから始まる。
星陵は音の安打と四球で一死1・2塁のチャンス。
続く石黒の打球は詰まって二塁前へのゴロ、この打球を上野山がトンネルし星陵が2-1と勝ち越した。
(※12回の攻防は動画1:01付近から)
さらに一死1・3塁の好機だが、石井毅(西武)-嶋田宗(阪神)のバッテリーは星陵のスクイズを見破りなんとか1点で凌ぐ。

12回裏箕島”最後の攻撃”、8番浦野が遊ゴロ9番石井が捕ゴロで2死走者なし。
箕島もここまで・・・かと思われたが、続く嶋田が2球目の高めに甘く入ったカーブを叩き左翼ラッキーゾーンに飛び込むソロ本塁打。
土壇場で2-2の同点に追いついた。

14回裏、今度は箕島がサヨナラの好機を掴む。
先頭森川が右前安打で出塁、バントで送って一死二塁のチャンスで堅田の二塁牽制に飛び出した森川が思い切って三塁へ走る、遊撃手からの送球が逸れセーフ。
一死三塁の絶好のチャンスとなった。
カウント2-1だがバントの巧い箕島、星陵絶体絶命のピンチ。
しかし、ここでなんと三塁手若狭が隠し球、三走森川がリードをとった瞬間タッチしてアウト。
若狭の好判断で一瞬にして箕島の好機は潰えた。
ファインプレーの若狭は12回表の攻撃でスクイズを失敗した選手だが、このプレーで借りを返した。

その後も両者譲らぬ息詰まる展開で迎えた16回。
星陵は死球と内野安打などでニ死ながら1・3塁のチャンス、ここで山下が右翼線に適時打、三走還って星陵が再び3-2と勝ち越した。
球数が200球を超えた石井毅は後続を三振に打ち取り、なおも続いた二死1・3塁のピンチは防いだ。
(※16回の攻防は動画3:20付近から)

16回裏箕島またも”最後の攻撃”は、今日ノーヒットの4番北野が二ゴロで1死、5番上野は見逃し三振でついに2死走者なしで打席は6番森川。
森川は初球を打ち上げ、一塁側へのファールフライ。手を広げてボールを追った一塁手加藤が落下地点でファーストミットを構えついに箕島敗退か!と思われた瞬間、
加藤がこの年から設けられた人工芝の切れ目に足を引っ掛け転倒しボールを取れずファール。
箕島は九死に一生を得るが、しかし依然二死無走者の状況は変わらない。
ストライク・ボール・ファールで2-1からの5球目、高めに甘く入った直球を叩いた打球は左中間へ、打球はぐんぐん伸びてそのままスタンドへ。
1度ならず2度までも起死回生の同点本塁打となった。
森川はなんと自身初本塁打、それがこの場面で飛び出すのは最早奇跡としか言いようが無い。

延長17回は両チーム無得点、試合は延長18回に進む。
当時の大会規定では延長は18回まで、引き分けならば翌日再試合となる。

これが本当の最終回、18回表星稜1死後、この日4安打の4番川井が中前安打、続く5番堅田も中前安打で続く。
6番音は三飛に倒れて2死一二塁。
しかし、7番山下が見事にピッチャー返し中前に抜ける痛烈なヒット。大歓声の中を二塁走者の川井は三塁を回りかけるが、当りが良すぎて三塁ストップでニ死満塁。
ここで星稜山下監督が動き、7打数無安打3三振の石黒に代えて代打久木。
だが期待の久木はカウント2-2、石井が渾身の力を振り絞って投じた6球目空振り三振してチェンジ。
星稜は実に19安打、石井毅は257球で18回を投げ切り、この瞬間に箕島の負けはなくなった。

18回表のチャンスを逃し勝ちのなくなった堅田投手は、目に見えて疲労の色が濃くなった。
押さえがきかずボールが上ずりストライクが入らない。
先頭の代打辻内を歩かせてしまう。
続く上野は送りバント失敗で三振、ワンアウト。
しかし、4番北野には明らかにボールと分かる投球でストレートの四球で一死1・2塁。
星陵ベンチは伝令を出し、内野陣が集まり堅田を励ますが、堅田は既に限界だった。
続く五番上野は二球連続ボールで0-2、堅田投手の208球目は高めに甘く入る。
上野が強振した打球は遊撃手を超え、左中間に転がる。
二塁から辻内がヘッドスライディングで生還、ここに高校野球史上最高試合と
呼ばれる試合は激闘3時間50分の末、箕島の延長18回サヨナラで幕を閉じた。
(※6:13付近から箕島最後の攻撃場面)


作詞家の故阿久悠さんは最高試合として次の詩を書いている。
「奇跡と呼ぶのはたやすい
だが奇跡は一度だから奇跡であって 二度起これば奇跡ではない
言葉がない 言葉で示そうとするのがもどかしい
一言でいいつくす言葉の奇跡がぼくにはほしい」

この試合で球審を務めた永野審判は、一塁手加藤の転倒を見て自身が捕手として出場した記憶とだぶらせたという。
第35回の決勝戦土佐高校の四番捕手として試合に出場したが、自らのファールチップ落球が原因で試合は逆転負けとなった。
永野球審は試合後、引き上げる堅田投手に試合のボールをプレゼントした。
ボールをもらった堅田投手は現在、高校野球の審判として甲子園で活躍している。

痛恨の転倒をした一塁手加藤は照明が目に入ったため、腰を屈めて取りにいったとき、グランドの土と人工芝の僅かな段差に足を取られて転倒した。ちなみに打球に触れていないため失策はつかなかった。
加藤は試合後批判を受けその記憶に苦しんだというが、現在は少年野球の指導者として自身の経験を生かしている。

実はこの日、私は父と甲子園で観戦していたが、炎天下第一試合から観戦していた為1-1の終盤に球場を後にしており、帰宅した時に試合が続いていたことに驚いた。
普段は野球を見ない母がTV中継を見ており、力投を続ける両投手に声援を送っていた。
父も私も野球好きで自宅でよくTV観戦をしたが、母が試合にのめりこんで見ていたのはこの試合だけである。
それほど見ているものを惹きつける何かが、この試合には生まれていたのだろうと思う。
私も、試合全てを見ていたわけではないが、この試合が今まで見た中で最高試合だと思っている。


箕島対星稜 (第61回全国高等学校野球選手権大会3回戦)

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