今日も野球ネタ。
私がプロ野球ファンとなったのは小学校3年の時、
時は1975年・昭和50年。
父に連れられ初めて見に行った試合はこの年の西宮球場の阪急×近鉄のダブルヘッダーであった。
すでに西宮球場はおろか阪急も近鉄も球団が存在しておらず、思えば大昔のコトとなったものである。
この頃プロ野球は1つの転換期だった様に思う。
9連覇という金字塔を打ちたて文字通りプロ野球の盟主だった読売は前年2位で10連覇を逃し、スーパースター長嶋が現役引退この年には監督に就任した。
しかし後にも先にもこの年限り球団史上唯一の最下位に低迷した。
セ・リーグは2リーグ制で誕生した広島が初優勝。
パ・リーグは同じく2リーグ制で誕生した近鉄が初の後期優勝を達成、
惜しくもプレーオフで阪急に破れリーグ制覇はならなかったが、71勝50敗9分の成績は阪急の64勝59敗7分を大きく上回った。
予断だが私つっちーは元近鉄ファン、初のプロ野球観戦とこの年の近鉄の活躍がつっちー少年の脳裏に強烈にインプットされたことは間違いない。
さて1975年の日本シリーズは阪急が無敗で日本一に輝いた。
阪急はこの後76・77・78年とリーグ制覇、76・77年は3年連続日本一に輝くことになる。
思えば阪急は1971・2年にもリーグ連覇、2シーズン制となった1973年以降から1979年まで毎年プレーオフに進出しており、70年代は阪急の黄金期であった。
読売の低迷と共に球界の盟主にとってかわったといえるだろう。
ちなみにこの年最下位に沈んだ読売も前年の最下位から一転して76・77年のリーグ制覇している。
ちなみに当時パ・リーグは関西に阪急・南海・近鉄の3球団。
74年のロッテに続きこの年から阪急が3連覇。
私は現在でもパ・リーグファンであるが、これらのコトも私の野球ファン心理形成に影響があるのかもしれない。
私がプロ野球ファンとなったのは小学校3年の時、
時は1975年・昭和50年。
父に連れられ初めて見に行った試合はこの年の西宮球場の阪急×近鉄のダブルヘッダーであった。
すでに西宮球場はおろか阪急も近鉄も球団が存在しておらず、思えば大昔のコトとなったものである。
この頃プロ野球は1つの転換期だった様に思う。
9連覇という金字塔を打ちたて文字通りプロ野球の盟主だった読売は前年2位で10連覇を逃し、スーパースター長嶋が現役引退この年には監督に就任した。
しかし後にも先にもこの年限り球団史上唯一の最下位に低迷した。
セ・リーグは2リーグ制で誕生した広島が初優勝。
パ・リーグは同じく2リーグ制で誕生した近鉄が初の後期優勝を達成、
惜しくもプレーオフで阪急に破れリーグ制覇はならなかったが、71勝50敗9分の成績は阪急の64勝59敗7分を大きく上回った。
予断だが私つっちーは元近鉄ファン、初のプロ野球観戦とこの年の近鉄の活躍がつっちー少年の脳裏に強烈にインプットされたことは間違いない。
さて1975年の日本シリーズは阪急が無敗で日本一に輝いた。
阪急はこの後76・77・78年とリーグ制覇、76・77年は3年連続日本一に輝くことになる。
思えば阪急は1971・2年にもリーグ連覇、2シーズン制となった1973年以降から1979年まで毎年プレーオフに進出しており、70年代は阪急の黄金期であった。
読売の低迷と共に球界の盟主にとってかわったといえるだろう。
ちなみにこの年最下位に沈んだ読売も前年の最下位から一転して76・77年のリーグ制覇している。
ちなみに当時パ・リーグは関西に阪急・南海・近鉄の3球団。
74年のロッテに続きこの年から阪急が3連覇。
私は現在でもパ・リーグファンであるが、これらのコトも私の野球ファン心理形成に影響があるのかもしれない。