私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

日印首脳会談

2005年04月30日 | 極東情勢(日本とその周辺)
このところ、政府与党筋の「インド゛詣で」が活発に行われているようです。昨日はニューデリーで、日印首脳会談が行われました。
日本は「経済一流、政治は二流」とよく揶揄されていましたが、カントリーリスク、端的に言えば「チャイナリスク」を顧みず、盲目的に突っ走る財界筋を見るにつけ、そのポジショニングが変わったようにも思います。

インドと言えば、「上野動物園のインディラ」が真っ先に思い浮かびます。私も昭和54年に初めて上野で見ましたが、調べてみたところ、インディラは、昭和58年迄存命だったんですね!(享年49歳、老衰)
「インディラ」は34年もの長きに渡り、日本とインドの友好の使者を務めてくれていた訳ですから、戦後の日本人のインド観の原型と言っても過言ではないと思います。

インドは、敗戦で打ちひしがれた日本に対し寛大で好意的な姿勢を示してくれた国の筆頭でもあります。グラバイ・デサイ、インド弁護士会会長・法学博士は、1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対し、次のような挨拶を述べています。

「このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である」

また、極東国際軍事裁判所の11名の判事の中、ただ1人インドのラダビノッド・パール判事が、東京裁判が国際法の精神に反するとして堂々と日本の無罪と正当性を主張したのは有名な話です。
その後締結された日印平和条約は、基本的な内容はサンフランシスコ講和条約を踏襲していますが、日本に対してより寛大で友好的な内容で締結されたようです。
こうしたインドの後押しが、日本の国際社会への復帰に大きな力を与えてくれたのは間違いないでしょう。
「インディラ」の来日は昭和24年。ネルー首相が日本に贈ってくれた象には、何と愛娘と同じ名が付けられていました。その後「インディラ」は、昭和25年4月から,約半年間移動動物園の人気者として全国17の都市を巡回し、まだ敗戦の傷も癒えない日本各地に夢と希望を与えてくれました。昭和40~41年のインドの大飢饉の際には、「インディラの恩返しをしよう!」と各地で募金活動が大変盛り上がったそうです。

今回の首脳会談では、共同でガス資源を開発する内容も検討されたようですが、それも含め、明らかに中国牽制の色彩を帯びていることが感じられます。最近は国境問題で中国側の軟化姿勢が見られる中、インドが対中のバランサー的存在になることも十分予想されます。

日印両国民の心の絆がありながらも、これまでは政経両面さほど親密だったとは言いがたい状況であった訳ですが、今後の関係成熟が大いに期待されるところです。

※写真・・・・上野動物園でのインディラとネール首相

アフリカ象とインド象は随分気性が異なるようですね。

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