私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

奇妙な国共トップ会談と報道の図式

2005年05月01日 | 台湾
「首都」南京の土を踏み、孫文の墓に詣でた国民党主席の連戦氏。万感胸に迫るものがあったに違いありません。

60年ぶりの歴史的な国共トップ会談はNHKのニュースでも度々報道され、「連戦、連戦」とうるさいくらいでした。連戦氏は国家元首級のもてなしを受け、各地で大歓迎を受けたようです。連戦氏も台湾で使われている繁字体でなく、中国で使われている略字体でサインするなど、芸の細かいところも見せました。その名に反して総統選に「連敗」した氏の失地回復であり、よい花道になったのは間違いないところでしょう。

それにしても、日本の新聞、報道は実に奇妙なものでした。歴史的な経緯がよく解らない人間にとっては、極東の”ベルリンの壁”といったような連想をしたのではないでしょうか。即ち、
「悲劇の分断国家が60年ぶりに和解と平和統一に向けて推進」
といった塩梅です。「朝鮮半島共々早くそうなればいいね」と思った人も多数いたことでしょう。

「一つの中国」なのですから、中国人同胞の帰化事業が円滑に行なわれ、故宮博物院の展示品が平和的に解決されるよう中国側と協議するのは歓迎すべきことです。北京政府が善で、南京政府が悪という訳ではないですが、言ってみれば、台湾という民家に人質を取って立て篭もった中国人たちが、警察と司法取引をするようなものです。二者間で話をつけて、人質は解放で万事解決です。立て篭もった期間が長かっただけに、台湾に愛着を持ち、今後も台湾で頑張りたいという中国人も中にはいるでしょう。そんな人たちは、台湾人も暖かく迎えてくれるのではないか、と思います。
ところが連戦氏の話し合いは、
「最終的には人質も一緒に警察に連れて行きますよ」
というものなのです。人質は事件に関与した訳ではないのに、これまた奇妙と言わざるを得ません。
確かに連戦氏は「統一」や「併呑」といった言葉は注意深く避け、決して口にしませんでした。しかしながら、「中台の市場統合への合意」というのは、地域間のブロック経済圏を完全に統一することであり、言わば”出来ちゃった結婚”から最終的には一国二制度へ持ち込むということを意味します。

連戦氏の出国の際に起きた中正國際機場での流血乱闘騒ぎは、居合わせた外国人旅行客も仰天の出来事だったようです。第二ターミナルは日本便も発着しており、対外イメージが大きく失墜したのは間違いないところです。しかしながら、NARUTAI Daily Newsによりますと、刑事警察局と航空警察局が事件当時のフィルムをチェックした結果、国民党の国旗をデザインした衣装や黒い衣装に身を固めた竹聯幇、浩天グループなど30名以上の暴力団関係者が事件に関与していた事実が判明した模様です。一国の政党が国の玄関口にヤクザをボディーガードとして堂々と配備していた訳で、唖然とするばかりです。

陳政権は、帰国後の連戦氏に「外患罪」を適用して徹底的に追及する方針のようですが、この件も含め「今度こそ」徹底的にやって欲しいと思います。どうも、陳総統は”後出しじゃんけん”と”後付けの言い訳”が多い印象があり、今回の連戦氏の訪中に関しても、関連会社の役員が敵対的買収をしかけている相手の会社にのこのこ会いにでかけているのを指くわえて見ている社長に見えて仕方ありませんでした。

「危機」とは読んで字の如く、ピンチとチャンスは紙一重ということです。連戦氏の帰国後の世論は「台湾人意識」と「中華意識」のぶつかり合いででかなり沸騰することが予想されます。台湾の民意が試される時でもありますが、その動向を注意深く見守りたいと思います。

※写真・・・・中正國際機場第二ターミナル

乱闘騒ぎのあったところです。入境時に最初に撮った写真です。(汗)


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