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釜山近代歴史館
この建物は日帝の支配期には東洋拓殖株式会社釜山支店だったが、終戦後には米国海外広報処の釜山文化院でした。したがって釜山市は侵略の象徴でもあり辛苦に満ちた歴史の現場だったこの建物を釜山市民に公開して教育の場に活用するため近代歴史館に設らえた。展示内容は日帝の侵略と収奪で抑圧された釜山の近代史と韓米関係史で構成されている 。
「東洋拓殖株式会社は日帝が朝鮮経済を支配する目的に1908年設立した国策会社である」とパンフに記されていますが、要は<地上げ屋>みたいな国策会社だったという位置づけなのでしょう。
2Fが開港記~終戦までを扱った第一展示室、3Fが東洋拓殖株式会社と韓米関係に関する第二展示室という作りになっています。
「日朝修交条規」等貴重な資料も展示されていますが、のっけから<日帝 釜山収奪>と記されたパネルが否応なしに目に入ります。
「農業、工業、水産業、金融等、すべての産業分野で日帝の収奪が行われた。日帝支配の末期には戦争に必要な物資と人力収奪を欲しいままにした」
出征時の寄せ書きは台湾故事館でも見かけたことがありましたねぇ。
この建物は1999年に韓国側に「返還」されたようですが、その過程で目を引いたのが82年の放火事件を取り上げた一角です。日帝時代の民族解放運動を紹介した一角と一脈相通じるものがありますが、放火犯が返還運動に〝火をつけた〟英雄だと言わんばかりです。
2002年のW杯やKTX開業といった今日の釜山の町並みを紹介したパネルもありましたが、開港からそこまでに至る〝動線〟が判然としない。日帝は開港以来「侵略と収奪」の限りを尽くしたようですが、それなら釜山が近代都市へと変貌し、極東の一大ハブ港湾へと飛躍した原動力はいったい何だったのか、そこら辺のベクトルと申しますか、歴史の連続性がまったく見えてこないのですね。
日帝の手による港湾整備、市街地計画、鉄道敷設等が「韓半島は勿論、大陸侵略の足掛かり」という思惑に基づくものであったとしても、結果的に釜山の近代化と住民に寄与した──社会資本の整備や市場経済の導入プロセスと<日帝36年>が同時並行であったのは間違いないでしょう。その辺を捨象して<親日派(対日協力者)vs民族主義者>といった単純な二項対立で語れるほどあなた方の歴史は単純なのか?と逆に問いたい思いもいたします。
戦後の開発独裁政権時代との連動性が故に、対日批判と結びつく嫌いがもある点は理解できなくもないですが、民族至上主義的(「反米・反日・親北」と言うよりこの方が適切かも)な韓流左翼史観の浅薄さが垣間見える展示内容でしたね。「日統肯定論」的な視野を抱けというつもりは毛頭ございませんが、「この建物を釜山市民に公開して教育の場に活用」したいのであれば、もう少し客観的かつ多角的な考察が求められるところです。
まぁ、こんな調子の「歴史認識」ですので、「竹島」の二文字で天地がひっくり返ったように大騒ぎするのもむべなるかなと苦笑しました。(北朝鮮兵に射殺されたオバハンは、「反日活動」の煽りを食らってさぞ無念でしょう)
竹島問題が(あちら的に)沸騰している最中での〝特攻〟ながら、館内の職員(?)はフレンドリーでした。釜山そのものも〝平常運転〟という印象ではありましたが・・・・
記事、拝見しました。
感想は「是非そういう日帝残滓の施設も見てみたい」というものです。
以前から管理人さんがたびたび台湾に旅行されるのを拝見して
「行きたいなぁ」と感じているんですが、韓国なんて糞!でした。
しかし、今回の管理人さんの記事で少々印象が変りましたね。
ただ、そういう施設を見て回るのは非常にやっかいなことですね。
よく自分で知識を持っておかないと染められてしまいそうw
他の記事も拝見しますね m(_ _)m