PDAのひとりごと

黄昏時、携帯情報端末は薄闇の向こうに何を見るのか

プログラムの気持ち 第1章

2004-10-09 13:48:37 | Weblog
 スイッチが入れられる。
 無意識のブートストラップローダがOSのコードを読み込み、PCとしての自我を覚醒し始める。
 ひとつ、またひとつとドライバを取り込み、それまでバラバラで単なるモノであったハードウェアが、統合されたシステムとして機能を始める。
 デスクトップを整え、ユーザーの指示を待つ。
 機械の速度に比べて人間からの指令は緩慢だ。待つのもPCの仕事のうちとなっている。
 そして、指示を待っている・・・待っていることにユーザーが気づいてくれるまで。

 スイッチを入れる。
 カラカラとHDDの動作音が聞こえ、OSが立ち上がろうとしているのが分かる。
 PCの起動は遅い。気をつけていないと、ほかの事に気をとられて起動したことも忘れてしまう。
 起動した後、ソフトの挙動に気をつけていないと、勝手にアップデートをかけて再起動を要求してくることもある。各ソフトの気が済むように、HDDのアクセス音がしなくなるまで作業を始めないほうが良い。
 しばらく放置した後、常駐ソフトが落ち着いたのを確認して、目的のプログラムを起動する。
 作るものは頭の中にある。
 ちょうど綿から糸を紡ぐがごとく、はっきりとした形をとらない頭の中身を、指先を通してプログラムコードの形に紡いでいく。
 ひとつの処理を書きながら、その処理に必要なデータ構造とその上下に連なる処理を立体的に頭の中に描き出す。
 この状態は非常に不安定なため、ここで話しかけられたりすると危うい均衡を保っていた頭の中身が崩壊を起こす。そうなると何もかもが台無しになってしまう。
 プログラムは頭の中にある。
 プログラミングは、それを頭の外に、見える形にする作業そのものだ。
 プログラムが頭の中にある?
 それでは私自身がコンピュータなのだろうか?
 プログラムはプログラムを創造しない。
 では、私が作り出したプログラムは私自身なのだろうか?
 そうともいえるしそうでないともいえる。
 私はここにいるが、いろんなところにもいる。
 プログラムは私の中にある。
 そして電源を落とす。

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