PDAのひとりごと

黄昏時、携帯情報端末は薄闇の向こうに何を見るのか

プログラム書いたことがある最も・・・

2015-10-31 22:12:25 | Weblog

プログラムを書いたことがある最も尋常でない場所は?


・最も尋常でない場所・・・あんまりないかも。

LX使ってるときは電車の中で立ったまま片手でというスタイルだったから、基本いつでもどこでもプログラミングでした。
その代わり、電車の中、お店の中、家の中等、場所としては普通の空間でしたね。 

OSはMS-DOS、言語はC言語(LSI-C86の製品版)、エディタはVz。
おそらく、LSI-C86の製品版を個人で使っていたというのはレアケースだっと思います。普通は試食版を使いますから。

・尋常でない状況。

これもあまりないかな?せいぜい病院のベッドくらい。これもLXだったからできた技・・・でもないな。
病室にノートPC持ち込んでたから。

・尋常でないコンピュータ環境。

紙にリスト書いて・・・なんてのはポケコン使いなら普通だし。
LXでPB-100のプログラム書いてあとからPBに入力、というのはやったかな。
そのリストはそのまま投稿原稿だったりしたのですが・・・つまり、リストもテキストで入稿した・・・んだったかな?

・尋常でないアプリケーション。

これはないなぁ。他に環境がなくてDOS付属のEDとか、COPYとかはやったけど、本気のプログラミングじゃないし。

アンドロイドのエディタでHTML+Javaスクとかはやったけど・・・すごくやりにくいから自分で専用エディタ作ろうとして結局作ってない・・・。

 

 

 

 


来年の手帳

2012-12-06 19:17:05 | Weblog

恒例の手帳を作りました。

手帳2013

いつものOpenOffice.org・・・ではなくて、LibreOfficeのファイルと表面用/裏面用の2つのpdfファイルを用意しています。

今までは印刷した時に製本可能な順番で編集していたので、作るのが難しい上にミスが多かったのですが、今回は通しで作ってpdfでページの入れ替えを行ったため、いつもよりも手間をかけずに作れました。

pdfの編集に使ったのはPDFsamです。

 

 


PB-100のページの移転について

2010-09-11 17:50:39 | Weblog
インフォシークiswebライトサービス終了 を受けてサイトを移転します。
とりあえずPB-100のページのみ@niftyへ逃がしました。
リンクされている方は下記アドレスへの変更をお願い致します。
http://homepage3.nifty.com/tshibuki/pb100/index.html
他の部分はどこへ動かすか悩んでいます。
ソフトは意外と容量を食うので一箇所に置けないかもしれません。
候補としては容量無制限の忍者ホームページなのですが・・・。

今年の手帳

2010-01-10 23:35:09 | Weblog
先日予告した通り、今年の自作手帳のデータ公開です。

2010年手帳

さすがに3年目なので比較的楽に作れましたが、表裏、左右で月がバラバラなので、一筋縄には行きませんでした。
また、今年は休日名称も入れるようにしたのでさらに便利になったと思います。

それにしても、休日をずらすようになり、本当に困ります。法則性はあるものの、必ずその年のカレンダーを見ないと正解が分からないというのは自作派泣かせの制度です。・・・って、手帳やらカレンダーやら自作する方がまれですか?(苦笑

今年も手帳を作りました

2010-01-05 23:24:56 | Weblog
週末にデータをまとめる予定ですが、一応自分用のものが今日完成しました。
A4用紙5枚に4面割付で、両面に印刷し、切断して製本しました。

100円ショップの手帳の表紙を使い、名刺フォルダもつけ、付箋紙をつけています。

栞紐は、東急ハンズで見つけた物を流用しています。

ノアなら大丈夫だと思うけど・・・

2009-06-14 08:52:19 | Weblog
川田、永田らレスラー仲間ショック…三沢光晴さん急死

ご冥福をお祈りします。

正直、二代目タイガーマスク時代の試合はほとんど見ていなかったのですが、マスクをとったシーンは今でも覚えています。
その後、タイガーマスクのタイツのまま素顔で戦う、それが三沢選手を最初に認識した瞬間でした。

その後、鶴田越え、ハンセン越えを果たしてベルトも獲り、全日社長になって改革を試みながらもそれを阻まれ、プロレスリング・ノアを旗揚げ、理想のプロレスを作り上げてきました。

ノアの試合は面白く、ケンカしているような団体や、悪人が跋扈する団体とは一線を画していました。それが三沢選手の理想だったのだと思います。
他団体の選手がノアへきた時、明らかに表情が違うのも印象的でした。

佐々木健介選手も新日時代と全日の時、ノアの時でまったく顔が違います。

三沢選手が倒れた時の映像で、高山選手が心配そうに出てきた姿も印象的です。自身脳梗塞で倒れたことがあり、その後の復帰戦の相手の一人が三沢選手でした。

冒頭の記事は良く書けていると思います。
K-1プロデューサーの谷川貞治氏の言葉は、同じ経営者としての視点で語られており、社長と選手の二足のわらじからくる二重の責任感が、動かない身体を動かしている状態だったのではないかと推測します。

古いものを引きずり、経営主体となった古い会社と異なり、理想を掲げて立ち上げたプロレスリング・ノアなので、三沢社長亡き後も理想を貫き続けてもらえると思います。

例えそれが三沢選手の描いた夢と違っていても、それでも方向性は大きくずれないことと思います。そう願います。

今年も手帳を作りました

2009-01-05 22:15:27 | Weblog
去年に引き続き、2009年の手帳を作りました。
2009年手帳

昨年自作した手帳が意外と使いやすかった為、今年も作りました。
今年はOOo Ver.3.0のデータとなっています。

忙しくてちゃんと確認できていないので、週末にちょっと手を加えるかも(汗
(1/11追記:更新しました)

去年は連絡ミスでちゃんとお渡しできなかった分今年もちゃんと作りますので、ご連絡お待ちしています。