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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

 子どもたちの調べた民俗

2023-03-13 23:15:18 | 民俗学

 『長野県民俗の会通信』第294号(令和5年3月1日発行)に、南佐久郡小海町の小海小学校4年生による『道祖神新聞』が掲載された。新聞記事にするのは信濃毎日新聞が主催する子ども新聞コンクールが2022年ですでに23回を数えるように、かつての夏休みの一研究が「子ども新聞」に視線を奪われてしまったという感は否めない。もちろん新聞にまとめるというのは、限られたスペースにいかにまとめかが問われるわけで、意味あるものであることは確かだ。したがって今回通信に掲載された新聞も、子どもたちがグループごと新聞にまとめる内容を検討したうえで作成されたもの3編が紹介されており、興味深いものになっていることは言うまでもない。これを掲載することとなった理由は、代表委員である田澤直人氏が小海小学校4年生の担任であった濱先生から調査研究段階に相談されていたことが縁だ。まとめられた新聞7編が田澤氏に送られ、そのうちの3編を掲載したわけである。「道祖神関係資料として貴重である」という田澤氏の判断である。

 田澤氏は1933年に実施された辰野町川島小学校の子どもたちが調べた「子供仲間のしらべ」を引き合いに今回の掲載理由の一端を示しており、さらに伊藤純郎氏が『長野県民俗の会会報』44号において教材研究や授業実践に活用できるようなものを通信や会報に掲載してもらいたいという意見が今回の事例紹介に繋がっている。そして今回の新聞に対して、道祖神研究の第一人者である倉石忠彦先生からのコメントを、併せて掲載している。

 わたしは子どもたちの調べたる民俗資料について視線を当てるべきという意見を以前から抱いていた。とりわけ前述した夏休みの一研究の中に見られる子どもたちの調べた成果を扱ったものを、かつて『伊那』に報告したことがある。2004年の1月号に掲載した「郡総合展覧会から教えられるもの-民俗学の視点から-」である。いわゆる「郡展」と称されている展覧会に夥しく掲げられる研究発表を一覧したなかで、わたしが注目した研究をとりあげたものである。子どもたちが調べたものだから、といって死蔵させることはなく、たくさんの人たちに見てもらいたい、とは以前から考えていたからこそ『伊那』に掲載したものだ。その中で展覧会を訪れた大人が「こんなこと子どもたちだけでできるわけがない、親の作品だ」という言葉を紹介している。大人には偏見の視線が見えるが、たとえ大人が関わったとしても、大人も含めて地域を見直すことができれば、それが成果だと考えている。こうした郡展なるもの、現在も実施されている地域はあまりないという。しかし、子どもたちの視線には大人にはないものがあったり、また大人でも教えてもらえるような視点がある。加えて人々に見てもらうことで、子どもたちにとってもやりがいとなるだろう。

 かつて『伊那路』に中学生や高校生の報文が掲載されたことがよくあった。もちろん今はあまり事例をみない。大人が子ども扱いしているからなのかは知らないが、「育てる」という意味でもこうした企画は大事だとわたしは思う。


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