Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

冬至にはまだ早いが・・・

2015-11-23 23:42:01 | つぶやき

 昨日の柚子にかかわって「冬至」を意識的に拾おうとした。なぜって、思い浮かぶのは柚子湯=冬至だったからだ。ほかに浮かばないだけ、柚子というものがマイナーということだ。ところが柚子が民俗誌に登場しないのは解るが、「冬至」も意外と登場しない。すでに農閑期に入って正月を待つだけのこの季節は、まるで冬眠しているかのごとく何もない時期なのだろう。「冬至」、いわゆる1年の中でも特定の日であるだけに、年中行事に登場してきても良いキーワードだ。ところがこれがなかなか登場しない。『長野県史 民俗編』に拾ってみよう。

○十二月の冬至の日はアジャリサマがくるといわれ、この日は荒れるので山や遠くへ出かけるのをやめてきた。(北信)
○まき床ができ上がると、いよいよ種まきをするが、種まきは冬至が旬だといわれている。(東信)
○十二月二十日の冬至のころにコバシオサメといって餅をついて供える。人を呼んでごちそうしたり、餅を配ったりもする。(中信)
○(松迎え)冬至の日に迎えに行くのが本当だが、現在は二十七日ごろ行く家が多い。(南信)

『長野県史』にはたくさんのデータが並んでいるのだが、年中行事の項で「冬至」の単語が入った事例は、たったこれだけなのだ。冬至を特別な日とはまったく考えていなかったとしか言いようがない。「冬至」といえば南瓜の話があまりにも有名で、このことは「冬至」で記した。引用した事例は『上伊那誌 民俗篇』のもの。それとてせいぜいあげた事例に「冬至」が登場する程度で、至って少ない印象は拭えない。

 そもそも11月から12月は行事が少ないもの。県内では遠山谷において霜月祭りが繰り広げられるが、その根底にある「太陽が衰弱する時期」だからこそという考えが広範なものなら、もっとこの時期にそれ相応の行事があっても不思議ではないのだが、まさに眠り付いたように静かなもの。農耕が主体であった時代のこの季節、人々は何をし、何を考えていたのか。


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