Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

忘年会がひとつも無かった年の瀬

2023-12-23 23:37:54 | つぶやき

 先ごろ総務省が25グラム以下の定形の封書について上限料金を84円から110円に引き上げる案を公表した。定形50グラム以下も同一料金になると言うから、その分は重さで悩まなくて良いものの、「上がる」ことに違いはない。その他の料金も3割ほど上がるという。

 年末にあちこちに会費を納入しているわたしにとって、これまで何年も上がらなかった会費が「上がる」ことの懸念である。例えば年6回通信を郵送すると、年額郵送料が504円だったものが、660円となる。差額にしてみたらそれほどではないものの、156円「上がる」ことに違いはなく、会報の送料を加えると、200円以上会務を圧迫することになる。これは例えばであって、毎月冊子を発行している会となれば、年額にすれば千円ほど負担は「上がる」。ようは会費を上げざるを得なくなるということ。人口減少や、人々の感心の寄せどころが変わって、全てにおいて高齢化の進む世界は、この後継続不可能となる例が他出するのだろう。いっぽうで紙ベースの「印刷」物は時代遅れ感が高まっていく。もはや、この後の情報社会に、かつて先んじていたと思っていたわたしも、ついていくことはできそうもない。

 これほど「年末感」のない年は、これまでなかった。「年末感」をもてない理由のひとつは、廃止される傾向のある「忘年会」である。わたしの仕事場も、忘年会を廃止したわけではないが、業務が多くてそれぞれの心持ち「ゆとり」がない。もちろん「忘年会をしたくない」、あるいは「必要ない」と思っている人たちもいるかもしれないし、コロナ禍を経て「飲み会」が減っていることも事実。それでも「忘年会」という言葉が、これほど聞かれなかった年はこれまでない。そして「忘年会は?」と問いかけると、「忙しいから辞めましょうか」となる。それならと、今年は忘年会は異論なくなくなった。コロナ禍を経て、久しぶりに「飲み会」があるかも、と思っていた地元の年末総会でも「飲み会」は中止された。「コロナ」を理由にすれば、「飲み会」は安易に廃止される、そもそもインフルエンザだとか、風邪が流行っているとか、理由付けするのは簡単だ。明らかに今年は、身近での「飲み会」はコロナ禍並みに消滅して、仕事の関係の「飲み会」だけが突出して多かった。来年以降一線を退けば、こうした「飲み会」もまったく無関係となる。

 気がつけば世間ではクリスマスだという。「年の瀬ではないか」と気がつくわけだが、そういえば今日も仕事で出向いた大きな事業の着手式で会った知人の口から、「今日これ(着手式)があったので、朝早くに松を採りに行ってきた」と耳にした。「早いですね」とわたしが漏らすと、「もう数えると日が無いに」と言われ、「確かに」と答えた。この時期に「年末感」がなくなっていたのは、もうずいぶん前からなのかもしれない。そこへ今年の「忘年会」「無し」論が加勢している感じだ。


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