Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

忘却の蓄積

2009-06-29 12:25:56 | つぶやき
 この土曜日突然県内の知人から電話があって、「今近くにいる」という連絡が入った。かつて「遙北」という同好会を組んでいたときの友人である。わたしの場合友人と言ってもそれほど何度も会っているわけでもないのにそう呼べる人がけっこう多い。いや「多い」というのは間違いで「多かった」の方が正しいかもしれない。そうした知人の中に亡くなった方が多い。年配の方たちにそういう人たちが多かったから自然と高齢で亡くなった方が多くなる。かつては自らそういう人たちにアプローチし、親交を重ねていく気力があったものだが、今はそうした余裕も気力もなくなってしまった。歳をおうことはそういうこと、なんていう説明をしたら年配の方たちにも、また自らと同じ世代の人たちに失礼だろう。かつてはそうした思いをしなくとも自由にいろいろできる身分だったというのが正しいのだろう。

 友人とわたしは同世代、年配で病で亡くなった方を介して知ることになった。30年近く前のことである。その亡くなった方が会社の中の歴史に興味のある人たち数人をまとめていて、付き合うようになった。とはいえ前述したように会ったことは数えるくらいである。亡くなった方の一周忌に会った以来の再会である。数えてみるともう10年を過ぎている。もちろん会うだけが交流というわけではないので、電話や手紙などの通信は行なっていた。同じ県内であっても彼は上田ということで、南信とはやはり縁遠い。わたしも最近は県内すら移動しなくなっている。かつてなら趣味の話で盛り上がったのだろうが、同世代ということもあって子どもの話が中心になる。娘さんはコスプレの服を自ら縫って、自ら描いた漫画を売りに行くという。将来は漫画系へという希望があるというから目標に向かって進んでいるようだ。わが家の目標もなく漫然と日々を送っている息子とは違う。

 今ではネット上にいくらでも情報が満載されている。先日の熱中人ではないが、その道の専門でもなかった人が、誰も目をあてなかったことを蓄積していくことで、そこらの学者でも認識していないデータを持つことになる。それができる時代背景もネットのもたらしてものなのかもしれない。それがなかった時代に比較すれば、そのデータの蓄積度を計るのにもネットの検索は良い方法となる。この時代だから、ある程度は情報量によってその認識度が計読み取れる。今回の円筒分水工熱中人とわたしとでは15年ほどの世代差があるのだろう。かつてという言い方をよくするように、わたしはろくに勉強もせずに外に向けてけっこうアピールしていた時代があった。その時代にネットというものがあったら、わたしの人生ももっと変わっていたのかもしれない。日々綴っているこうした日記も何十年という蓄積ができあがり、さらには熱中人にも値するほど、さまざまなデータ蓄積により熱心になっていたかもしれない。しかし、アナログ時代のデータは、ペーパーで埋もれてしまい、どこに何があるかはっきりしなくなる。それどころかこうしてすぐにオープンにできるという即効性がないから、結局書き留めずに記憶から飛んでしまった情報は大量にある。ようは忘却の蓄積をしてきたようなものだ。この時代を羨んでいるわけにもいかないが、記憶が飛ばないようにせいぜい過去を思い出して書き留めるだけである。

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