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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

産業別人口にみる盆

2006-08-17 08:09:05 | つぶやき
 わたしが子どものころ、昭和40年代の学校のクラスには分校であったということもあって12人しかいなかった。しかし、その12人のうち農家ではなかったのは2人だけで、あとは基本的には農家であった(農閑期も含めて副業としての職は持っていた)。当時の町の産業別人口を調べてみると、6,535人の就業人口のうち、第1次産業が3,833人、第2次産業が1,382人、第3次産業が1,319人であった。正確には12人のうち2人ではなく、何人か農業ではない主生業の家があったのかもしれない。ようは父親が主に何の仕事についていたかということになるのだろう。町の産業別人口比率でいけば、12人いた同級生のうち、5人は第1次産業以外であっても不思議ではないのだが、学校が村部にあったことから、平均的な数字よりも第1次産業従事者が多かった地域だろう。だから2人くらいでも十分だったのかもしれない。

 さて、ここで確認しておかなくてはならないのは、それぞれの産業とは何かという小学生並みの知識である。第1次産業とは、農林水産業である。第2次産業とは、鉱業・建設業・製造業である。そして第3次産業は、電気ガス運輸通信のほか、小売・金融といったサービス業にあたり、公務員もこれに加わる。先に示した数字の比率は、第1次59%、第2次21%、第3次20%となる。実はこの数字昭和40年の数字だから、わたしの小学生時代はもう少し第1次産業比率は低かったのかもしれない。そして、平成2年になると第1次21%、第2次48%、第3次31%となる。さらに平成12年となると、第1次18%、第2次46%、第3次36%というような動きで、人口が減少しているから第1次2次とも従事する人口が減少しているのだが、第3次産業では少しずつではあるが人口が増えている。ようは、世の中がサービス業務の世の中になりつつあるということである。

 この比率はわたしの生まれ育った町、飯島町での数字であり、地方都市といわれる市部においては、2次あるいは3次産業の従事者率が高いのだろう。先日「消えた村をもう一度⑥」において、長野市に合併した戸隠村のことに触れた。この村では3次産業比率が就業人口のうちの5割を越えていた。こうした村では、社会生活がどう行なわれていたのか、おそらくわたしの生まれ育った地域とは常識がまったく違っていたのかもしれない。

 盆に出かければ世の中混雑していることは百も承知である。だから、盆に遠出したことはないし、よほど用事でもなければ出ないことにしている。そうはいっても義理もあって生家を訪れたり、新盆見舞いに出たりする。こんな田舎なのに道には県外ナンバーの車がたくさん走っている。この地域では盆ともなれば、新盆の家を見舞ったり、生家の盆棚に参ったりと忙しい。正月より年によっては忙しい。もちろん自宅に新盆があれば当家は忙しい。にもかかわらず「盆正月」といわれるものの、盆は休日ではない。田舎の第2次産業は大方「盆休み」といって休業となるが、第3次産業はサービス業だからかき入れ時の業種が多い。もちろんお役所にも盆休業はない。

 3次産業への人口異動、そして1次産業の衰退を見る限り、農村部での「盆」というものも、ますます省略化、あるいは祭りではないが、土日化が進みそうで心配だ。正月もこのごろは正月らしさを感じなくなったのは、人々がざわめいているからだ。同様に盆が盆らしさをなくしているのも、人々の動きが止まらないからかもしれない。盆であり、終戦の日でもある8月15日くらい休日にしたらよいのに。

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