9年前(平成25年)の9月上旬、「ふざけるな」を繰り返し独り言で吐きながら、うっぷんを晴らすように別日記に繰り返し記している。例えば9月7日はこうだ。
言うことを聞かないアホなやつと話している時ほどいらいらすることはない。また電話をして受話器を下ろしたら1時間過ぎていた。「やつ」と仕事の話を始めると相手が理解できないから時間がかかること。いいかげんにしろ、と言ってもそのまま仕事を続けてもらっても、まともなモノができてこないから同じことが繰り返される。どこかで理解してもらえないと話にならないのだ。結局人手がないものの、自分たちで処理した方が“早い”、ということになる。こんなことの繰り返しはそろそろ止めにして欲しいところだ。午後6時ともなって薄暗い世界が訪れると、もはや時を逸したと思うほど。焦るばかりなのだ。ちまたにはときどき意図を理解できず、頓珍漢なやつがいるものだが、けして頭が悪いわけではない。にもかかわらず理解できない頓珍漢さが、わたしたちのような平民にはさらに理解しがたい。
なぜ彼はこんな調子で50年以上も生きてこられたのか、世の中には不思議なことは多く、そして解明できないことも多い。
これは同じ会社の同年代の同僚に対してのイライラ感なのである。当時わたしがいた事務所は業務量が多く、別の部署に仕事を手伝ってもらっていた。ところがこちらが意図するような成果品をあげてこない。おかしなところがあるから指摘するのだが、こちらの言っていることが理解できないのだ。何度言っても同じ間違いをするし、いいかげん嫌になってくる。「自分で直した方が早い」と思ってしまうが、それでは我慢ならない。4日後の11日にも次のようなことを日記に記している。タイトルは「何刷作ったら終わるのか」である。
時代を超える頓珍漢なやつから3刷目の成果品が送られてきた。一応こちらで指摘したところは2刷目のチェックで数えるくらいに減っていたから、もうわたしは確認せずに担当に任せた。そのままお役所の審査にあがったのだが、「やはり」という箇所をお役所で指摘された。基本事項なので直すべきではないかと言ったのに、頓珍漢なやつはどうしてもこのままでいきたいと主張した。間違いではないのでわたしも諦めたわけであるが、予想通りの指摘。いよいよ4刷目成果品が次には送られてくる。彼はこうした手戻りに苦痛がないのだろう。普通なら繰り返し作り直しているのだから減給ものだ。せいぜい2度くらいじゃないか。それをそっくり作り直すのだからその手間も大変なものだし、周囲のかかわっている人間も呆れてくるだろう。彼がどの程度採算を考えているか知らないが、趣味と言ってもよいほど彼はこんな仕事が日常なのだろう。
これが完成すれば縁切りとなるのなら良いが、まだまだたくさん物件が残っている。“かんべんしろ”と自分に投げつけるしかない。
「やつ」には仕事をさせるな、と先方に伝えたが、そうもいかないよう。いつまでこんなことを繰り返すのか、あきれてしまう始末。あきらかに会社を食い物にしているような不出来な社員だ。その彼は今もなお会社に籍を置いている。先ごろ「「威信」を持ちえない経験者」を記したが、まさに「威信」などないただただ歳だけとった経験者だ。「これほどのやつは」と思っていたが、実は「やつ」だけではない、同じような存在は…。
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