平安堂の伊那店というのが、天竜川堤防上の国道153号線の端、とはいっても堤防は天上になっているから、その堤防から下りた場所にあった。10年余前に伊那の事務所へ通った際には今以上に忙しく、帰り道に寄るということもそれほどなかったのだが、当時としては重宝していた書店であった。その後伊那を離れると、稀に寄ることはあったが、まあなくても困ることはない関係にあった。
久しぶりに伊那にやってきて、当初自動車で通勤していたころ寄ろうと思ったらその店がないのだ。場所が思わしくなかったのか、移転したと思っていたら、どうも伊那にはもうないようだ。平安堂のHPで確認してみるとやはりこの近在にはない。なんでなくなったんだろうと思い、どこかにそんなヒントがないかと検索してみると、閉店を悲しむ声を見つけた。以下に紹介してみる。
●「平安堂書店・伊那店」が、なんと4月いっぱいで閉店だそうです。正直「やっぱりね」という感じでしょうか。だって、このところの集客力の著しい低下と、やる気のなさ。それはそれは悲しくなるくらいに、ありありとダメになっていく様が分かっていたからです。
地理的条件、店舗規模、レンタル・ビデオを含めた品揃えの多さ、全てにおいて「TSUTAYA」にかなわなかったということなのでしょう。でも、本当のことを言うと、われわれ「本屋さん愛好家」 にとっては、多大な打撃であることを認めざろう得ません。あの「新刊書の棚」の充実ぶりは、平安堂書店でしか実現不可能だったからです。ベストセラー本しか置かない「TSUTAYA」や、どのフロアにどんな本が入荷したのかさっぱり分からない都会の巨大書店と違って、わずかなスペースに、ありとあらゆる分野の新刊本を「ぎゅーっ」と濃縮させて、さらに、ちょいとひねりも加えてレイアウトする、そのセンスのよさには、ぼくはいつも感心していたのです。いつの日か、ぼくら「本屋さん愛好家」 を唸らせるような、個性的で、ワクワクするような書店として復活してくれると、ぼくは信じていますよ! ねえ、平安堂書店さん!
とまあこんな具合だ。平安堂については今までにも触れている。重宝はしていたが、客に対しての還元という意味では、地域から発信した店なのにまったく地元の人たちにはありがたくない部分もあった。だが、発信した下伊那地域にあっては、ほとんどが平安堂に駆逐されていったから、仕方なくそこを利用せざるをえなくなっていた。むしろ悲しむ声の方の意図していたような店は、平安堂が駆逐する前にいくつかあったように思う。そういう意味では、シャッターの閉まった店が目立つ駒ヶ根市の駅前通りで営業し続けている〝玉屋〟は特筆すべき店だろう(でも最近だいぶ書棚が減った)。店長さんの趣味的な部分があるかどうか知らないが、かなりマニャックな書棚が一部にあったりする。現住所に移る前にはずいぶんと゜利用させてもらった店だし、子どものころから月間本などを生家に届けてもらっていた。いつしか平安堂時代がやってきて、駒ヶ根市には今やTUTAYAもある。にもかかわらず時おり訪れるとお客さんがいて〝ほっ〟とするものだ。
地域性が関係しているなんていうと乱暴な意見になるかもしれないが、平安堂伊那店があった場所には、ほかにも大きめな店があって、けして販売上とても場所が悪いという環境でもない。しかしながら消えざるをえなかったのは何か、ともう一度考えてしまう。飯田市座光寺ではかつてTUTAYAと平安堂が近接してあった。TUTAYAはさすがに平安堂に勝てないと思ってレンタル重視にした。だから平安堂が単純にTUTAYAに劣るというものでもないだろう。わたしが平安堂の雰囲気に納得しなかったように、伊那という空間のある一定の人たちが同じような感覚でいたということも考えられる。ちよっと考えすぎとも思えるが、今まで「伊那谷の南と北」で触れてきたように伊那と飯田が相容れない歴史的背景のようなものがそこにはあるのだろうか。とくに客商売の典型的な例である書店という一般の人たちにはかなり身近なものだからこそ、そんな雰囲気を読み取ってしまう何かがあるように思うのだ。
久しぶりに伊那にやってきて、当初自動車で通勤していたころ寄ろうと思ったらその店がないのだ。場所が思わしくなかったのか、移転したと思っていたら、どうも伊那にはもうないようだ。平安堂のHPで確認してみるとやはりこの近在にはない。なんでなくなったんだろうと思い、どこかにそんなヒントがないかと検索してみると、閉店を悲しむ声を見つけた。以下に紹介してみる。
●「平安堂書店・伊那店」が、なんと4月いっぱいで閉店だそうです。正直「やっぱりね」という感じでしょうか。だって、このところの集客力の著しい低下と、やる気のなさ。それはそれは悲しくなるくらいに、ありありとダメになっていく様が分かっていたからです。
地理的条件、店舗規模、レンタル・ビデオを含めた品揃えの多さ、全てにおいて「TSUTAYA」にかなわなかったということなのでしょう。でも、本当のことを言うと、われわれ「本屋さん愛好家」 にとっては、多大な打撃であることを認めざろう得ません。あの「新刊書の棚」の充実ぶりは、平安堂書店でしか実現不可能だったからです。ベストセラー本しか置かない「TSUTAYA」や、どのフロアにどんな本が入荷したのかさっぱり分からない都会の巨大書店と違って、わずかなスペースに、ありとあらゆる分野の新刊本を「ぎゅーっ」と濃縮させて、さらに、ちょいとひねりも加えてレイアウトする、そのセンスのよさには、ぼくはいつも感心していたのです。いつの日か、ぼくら「本屋さん愛好家」 を唸らせるような、個性的で、ワクワクするような書店として復活してくれると、ぼくは信じていますよ! ねえ、平安堂書店さん!
とまあこんな具合だ。平安堂については今までにも触れている。重宝はしていたが、客に対しての還元という意味では、地域から発信した店なのにまったく地元の人たちにはありがたくない部分もあった。だが、発信した下伊那地域にあっては、ほとんどが平安堂に駆逐されていったから、仕方なくそこを利用せざるをえなくなっていた。むしろ悲しむ声の方の意図していたような店は、平安堂が駆逐する前にいくつかあったように思う。そういう意味では、シャッターの閉まった店が目立つ駒ヶ根市の駅前通りで営業し続けている〝玉屋〟は特筆すべき店だろう(でも最近だいぶ書棚が減った)。店長さんの趣味的な部分があるかどうか知らないが、かなりマニャックな書棚が一部にあったりする。現住所に移る前にはずいぶんと゜利用させてもらった店だし、子どものころから月間本などを生家に届けてもらっていた。いつしか平安堂時代がやってきて、駒ヶ根市には今やTUTAYAもある。にもかかわらず時おり訪れるとお客さんがいて〝ほっ〟とするものだ。
地域性が関係しているなんていうと乱暴な意見になるかもしれないが、平安堂伊那店があった場所には、ほかにも大きめな店があって、けして販売上とても場所が悪いという環境でもない。しかしながら消えざるをえなかったのは何か、ともう一度考えてしまう。飯田市座光寺ではかつてTUTAYAと平安堂が近接してあった。TUTAYAはさすがに平安堂に勝てないと思ってレンタル重視にした。だから平安堂が単純にTUTAYAに劣るというものでもないだろう。わたしが平安堂の雰囲気に納得しなかったように、伊那という空間のある一定の人たちが同じような感覚でいたということも考えられる。ちよっと考えすぎとも思えるが、今まで「伊那谷の南と北」で触れてきたように伊那と飯田が相容れない歴史的背景のようなものがそこにはあるのだろうか。とくに客商売の典型的な例である書店という一般の人たちにはかなり身近なものだからこそ、そんな雰囲気を読み取ってしまう何かがあるように思うのだ。
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