Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

過去の別の日記を振り返って⑮

2022-09-07 23:02:51 | つぶやき

過去の別の日記を振り返って⑭より

 10年前(平成24年)の今日、別の日記に次のようなことを記している。

 まだまだ残暑厳しい昼下がりの電車に乗った。高校生がまだ姿を見せないホームには、まばらながら乗客が電車を待っていた。「暑い」みながそう思っているだろうが、こんな時間帯の客は集団客は少なく、個人的客が多く、つぶやきも独り言も聞こえはしない。そこそこ乗車していた客も、いつも通り駒ヶ根を過ぎるとすっかり車内は人影がなくなり、飯島を過ぎると2、3人といういつもの景色に変わる。日中ということもあるのだろう、車内の照明は消され、強い日差しが車内に入るのを遮るようにブラインドが下ろされ、車内は冷房の効いた心地よい空間となる。ゆりかごのようなその空間に身を横たえていて、いつしか「こっくり」と居眠りをしそうになるが、降りる駅が近づくから眠りについてはいけない。
 
 しばらく後、昼下がりのゆりかごは、残暑の陽射しをいっぱいに受けながら、終点の天竜峡に向かっていった。


 記憶は蘇らない。文末の書き方から、この日わたしはすっかり乗り過ごし、間もなく終点の天竜峡で気がついたのか…?。

 そう思い当時のメモ帳を紐解いた。もう何年も同じスタイルの手帳を利用している。以前にもそのことは記したかもしれない。わたしにとってはこの手帳が「全て」だ。おそらく仕事を辞め、本格的に就活に入るまでは、手帳を手放すことはない。しかしながらその手帳に、全てが書き込まれているわけではない。忙しさのあまり、全くの空白が続くことも珍しくなく、あまり期待せずに10年前の今日を開いた。

 そこには「午後2時15分で帰る」と記されている。途中下車をしてお客さんのところへ納品している。しかし、別日記に記した怪しい記述を解くカギは、そこには認められなかった。この「午後2時15分」が発時間なのか、着時間なのかもはっきりしない。だが、お客さんのところに立ち寄ったとなると、発時間の電車は現在天竜峡ではなく飯田行きだ。しかし、着時間だとすると、昼時間にお客さんのところに立ち寄ったことになり、それも現実的ではない。あえて「ゆりかご」と題して記したこの日記、内容からして乗り過ごした、とわたしは思うのだが、それにしても天竜峡まで乗り過ごしたともなればずいぶん長距離だ。酔って乗り過ごしたわけではない。前後の日々のメモから読み取れるのは、当時「忙しかった」と見える。疲れ果てていた、のかもしれない。


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