阿南町神子谷の道祖神や馬頭観音について先日来触れてきたところだが、神子谷の集落に入ると気になる空間が目に入る。集落内を南北に走る町道から天竜川との間に小高い茶畑があり、その頂きに明らかに碑とわかるものが、巨岩の上に立っている。どういうことでこういう空間ができあがったのか、などと光景を見ながら考えるが、それはさておき、何が立っているのか近くに寄ってみる。岩の上に立っているのは「象頭山」と「秋葉山」が併記された碑である。「象頭山」と刻まれた碑はわたしの暮らす周辺で目にしたことはない。県内でも珍しいものと思うが、阿南町には「象頭山」と刻まれたものが多い。
象頭山とは香川県にある山で、琴平山の別称とも言う。琴平山を金比羅山とも言うらしいから、すべて同じかと思うと、ウィキペディアによると、象頭山は「香川県の西部に位置する山である。隣の琴平山(標高524m)と共に「象頭山」として瀬戸内海国立公園、名勝、天然記念物に指定され、香川のみどり百選にも選ばれている。 」と言うから、山体は一つながら、頂きという捉え方では琴平山と併せ「象頭山」と呼ぶようだ。ようは金比羅様の奥にそびえている山が琴平山であり、象頭山でもある。金比羅宮は象頭山金毘羅大権現と呼ばれており、いわゆる山号が「象頭山」である。したがって「金比羅」の別称として「象頭山」をあてているようだ。秋葉山と金比羅を併記する碑は、このあたりでも多いが、それと同じ信仰と言えそうだ。
この碑は北向きに立っており、背後には南宮峡の斜張橋が見えている。この碑に相向かいのように立っている石神仏があり、その中に「宝永元甲申」と刻まれた青面金剛がある。頭上に掲げた日月がずいぶん大きい印象を与えるが、くっきりそれらしく彫られている。かなり風化しているが宝永元年といえば、1704年。元禄の次の元号で、元禄17年3月に前年11月22日に元禄地震があったため改元された「宝永」である。宝永年間といえば、史上最後の富士山の噴火となった宝永大噴火が宝永4年に起きており、それに先立って歴史上日本最大級と推定されている宝永地震(M8.4~9.3)が発生している。このあたりの庚申塔としてはかなり古いものになるのだろう。300年以上露天に晒されながら祀られてきたというわけだ。とはいえ、阿南町には元禄2年銘のものもあるという。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます