Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「水」

2020-07-22 23:42:41 | つぶやき

 生活水準の違いがあるから、新型コロナウイルスの発症数が国別に異なるのはあたりまえだろう。そういう意味では、いわゆる先進国でありながら、多くの感染者を出している国(例えば世界で最も感染者が多い国)は、どこかに根本的な間違いがあると察知したいものである。

 日本は、手洗いをもともとよくする国民だというのは既知のもの。手洗いをよくできる、ということは洗う「水」があるということだ。飲み水にも困っている地域(国)の人々には、真似のできないことなのかもしれない。したがってさまざまな面で整備の進んだ日本は、感染者数が少なくて当然なのかもしれない。どれほど国が無策、愚策を施したとしても、他国にはない、これまでの施策が助けている。とはいえ、そうした基盤が揺らいでいることも事実だ。整備された基盤は永遠ではない。

 『生活と自治』8月号(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)では、改正水道法が施行されて半年たった今、より一層「水」の重要性が高まっている中での課題を取り上げている。何より新型コロナウイルスの状況を、誰が予想していたか。そうした中、緊急事態宣言下において、120を超す市町村が一般家庭や個人事業者の水道料金の無料化や減免措置を行ったと言う。公営事業であるから自治体のトップの判断によって料金による減免措置が容易に可能となる。これによって水道利用量は増加傾向という。そこで問題点二つを挙げている。ようは無駄に「水」を使いかねないということ、もうひとつは、こうした無料化や減免をするにあたっての財源のことだ。そもそも水道法改正は、この後水道事業の経営構造に危うさがあるという状況下で法改正に至ったもの。当たり前に水道を利用しているが、その施設は全国にめぐり、その整備は一時代に集中した。それら施設が老朽化により改修が必要とされており、その改修費をそれぞれの自治体は水道事業の黒字をあてるつもりで蓄えてきた。無料化や減免の財源をそうした部分から補填しようとすれば、想定以上に水道事業は危なくなってくるということだ。同じようなインフラに下水もあるが、上水ほど不可欠なインフラはないといってよい。その「水」に、今このコロナ渦は支えられているのである。


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