Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

全国一斉という“罠”

2009-04-22 12:36:51 | つぶやき
 今日の新聞には全国一斉学力テストの問題が公開されていた。試験が行われれば翌日すぐにすべての人前に公開されるというものは限られる。高校入試や大学センター試験など公が行ったものである。今回のテスト日は当初28日だったと言うが前倒しでこの21日に行われたようだ。「前倒し」と説明されているがどうも腑に落ちない理由だ。南信地方の中学などで修学旅行と重なって21日に実施できなかった。うわさによれば日程について文科省に問い合わせたが構わないというあっさりした回答だったようだ。同様に日程が合わなかった学校は全国にあるようで、このことについて別の日に行っても全体の結果には反映させないという説明を報道で盛んにしている。ようは100パーセントという実施率なのに結果には反映されない子どもたちがけっこういるということになる。そこまでして一斉テストにこだわる必要は何もないと思うのだが、このあたりがお役所たる所以なのかもしれない。文科省の姿に世論の上でかたちばかり行っているテストという雰囲気を感じる。子どもたちのためにというよりは自らの立場とか権力のために存在している一斉テストなのだ。

 業者テストを行っている現場において、一斉テストとどう違うのかということは現場におられる教員が最も認識していることだろう。その現場の生の声はなかなか聞こえてこない。教員も公務員だけに無駄な個人的意見は口にしない。もしかしたらこんな一斉テストはほとんど用を成さないのかもしれない。犬山市が行う行わないで目立ったが、そんなことはきっと当局は意に介していないのだろう。騒いでいるのは当事者、いや当事者ではない、いわゆる実行権を持つ大人たちと子どもたちの親だけで、子どもたちにとっては迷惑な話かもしれない。

 そもそも全国共通の一斉テストにどれほど意味があるのだろう。分析されて有効利用されている雰囲気はない。ただ平均点が示され、地域ごとの差が一人歩きするだけで、そんなものに一喜一憂している権力者は滑稽なものである。むしろ専門化が示している業者テストは、一斉ではなくとも傾向や地域差は把握しているはず。同じテストを同じ日に行って少しばかり点差が現れたといってその数値だけで何が見えるだろう。専門家の方がよりいっそう詳細な補足をしてくれるに違いない。まさか文科省もこうした専門家に分析を依頼している、などということもありえるのだろうが、お役所的というのはそんなところである。全学年の中で点数の高い子と低い子が解れば何に問題があるかなどということは現場の教員には解るはず。そもそもテストなどしなくてもふだんの授業でそのくらいは解るもの。試験という場で実力が発揮できるかできないかを判断するために行うのなら共通でなくとも十分である。そして県の中で、あるいは全国の中でどうなのかなどという情報があったとしても、それを現場に繁栄することはなかなかできない、というかそこまで視野を広めて対応することは必要とも思えない。結局教育行政を行っている側がそのデータを欲しがっているということだろうか。だからこそ市町村ごとで公表する必要もないだろうし、それを求めている側は何を意図しているかということにもなる。そう考えてくると行政のために行われているデータ集めの舞台で、子どもも、そして親も踊らされているだけではないだろうか。「やるやらない」という問題に締め付けをする権力者、それに多様に反応するわたしたち。全国データに加味されず、加えて試験問題が開示されているなかで日をずらして試験を実施するという現実。もはや時間の無駄とは思わないのだろうか。

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