さてそんな妻の生家の水田の田植えはまだ先のことであるが、近所でこの土曜日に田植えをしていた。ご覧の通りどこにも平行ラインがない不均一な水田である。それでも田植え機は必需品で、手押しの田植え機で植えられる。そして植えられた水田に家族皆で入って植え直しというものをする。田植え機とはいっても完璧ではない。欠株が出ることもあるし、隅は植えにくいから隙間ができ、そんな箇所手で植える。道を挟んだところには田植え機ではとても植えられないような水田が、手で植えられていた。幅1メートルを欠きそうな水田である。代掻きだって機械というわけには行かないから手で行われる。これだけ小さな水田は有名な姨捨の棚田にもないし、この近在で著名な棚田にもない。稲刈り後もほぼ沼田化しているから一年中水がついている。そんな環境のせいか植えたばかりの水田にはツボ(タニシ)が生息している。けっこう育っていて味噌汁に入れても、また煮付けてみてもものになりそうなくらいだ。
妻の生家にも小さな水田があった(今も地目上は水田であるが)が、今は耕作していない。車が入って行けないような場所だから無理もなく、小さいという条件よりも道がないという条件の方が現代においては重要だということになる。
生家では昨年田植え機を新調した。1年にたった1日のための道具だが、周辺ではどこの農家も同じようなもの。そこへゆくと妻の生家では機械植え時代が到来して以降、一度も田植え機というものを購入したことはない。もともとがサラリーマン農業だったこともあっておんな子ども、そして老人が主体の農業だった。だから機械を購入してまで行うというだいそれたことはしなかった。親戚にその部分だけを依頼したり、専門に請け負ってくれる人を頼んだりしてこなしてきた。規模が違うとすべてが違うということである。自ら機械を所有していても乗用の田植え機を利用している家は妻の生家の周りには一軒もない。そこへゆくとわたしの生家の周りでは歩行型の田植え機を利用している農家は一軒もない。幅1メートル、長辺でも数メートルなんていう田んぼは、わたしの生家の周りでは蹴飛ばされてしまいそう空間なのである。
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