畔塗り2年目である。とても土日だけでは間に合わないと思って、金曜日に休みをとって始めた。やはり、という感じに最初は水加減や水を少し浸けた後の耕運機でのお越しがうまい具合にいかなかった。1日目の成果は予定まで達せず結局すべての水田の畔塗りを終えるのに、3日間24時間ほど要した。確かに年間の作業ではもっともつらい仕事ではある。とくに中腰で盛り上げた畦の土を叩いていくのがつらい部分である。とはいえ、最もつらかったのは、水を少し浸けた後の耕運機での田起こしである。ふだん畑を起こすために使っている耕運機だから普通のゴムタイヤしかない。それでもって捏ねた泥の中を進むのは容易ではない。スタックしてしまった耕運機を力ずくで押し出す時が最も重労働である。昨年は最初のうちは耕運機で捏ねることはしなかったが、最後に追加で行った畔塗りで手で捏ねる作業が省けて調子が良かった。そんなこともあって今年は最初からその方法をとったのだが、確かにこの方が早いが、水の加減によっては耕運機が埋まってしまう。何より水の加減に尽きるのが畔塗りである。それは捏ねた土を叩いて盛り上げる作業にも、またその後の整形作業にも影響する。耕運機で起こす前の水が多く、また浸けた時間が長いと、あらかじめほぐしてある畦際が軟弱になりすぎて耕運機が埋まってしまう。いっぽう水の量が少ないと盛り上げる土が不足して、結局手で土を捏ねなくてはならなくなり、その際には微妙な水が必要となる。この加減がうまくいかないとなかなかはかどらなくなるのである。
とはいえ、耕運機を利用しても24時間、200メートル余の畦塗りをしたわけであるが、ちょっと時間がかかりすぎなのかもしれない。ちまたにある畔塗り機の作業量は1時間で600メートルもできるというから比較にならない。ちなみに我が家の水田の周囲で畦塗り(簡易な畔塗りは別として)をする農家は極めて少ない。畦シートを利用している農家が多い。隣接する家も今年は畔波板というシートよりも高価なものを採用した。それでも水漏れがあるというから、畔塗りには勝てない。とはいえ年寄りしか姿を見せないような地域の耕作では、畔を塗るのは大変ということになる。
昨年は『中川村誌』での小松谷雄氏の記述を引用させてもらったが、意外と市町村史誌などの民俗編における畔塗りの記述は詳しくない。そんな中、『南箕輪村誌』の記述が詳しいことに気がついた。次のように書かれている。
まず畔の皮むきをする。草かきじょれんで三ないし六センチほど表土をけずり落とす。次に内側を畦叩き槌でしっかり叩き固める。これは鼠・もぐら・みみず・おけらなどの穴をつぶして水洩れを防ぐためである。続いて畦元の土を万能鍬などで細かに砕き、それを片寄せて水の通路を作り水を入れる。適当な所で水をせき止めて、そこまで手早く先に砕いた土を掻き入れ、三本鍬か万能鍬で掻きまぜて練る。水が多くても少なすぎてもうまく練ることができない。左官屋さんが壁土を練る調子によく似ている。練りあがったと見たら鍬で土をすくいあげ畔に押しつける。続いて手か鍬ででこぼこを直しながら押さえ、乾き具合を見て平鍬で叩きつけ、そのあとじょれん畔塗り用桑を水に塗らしながら表面をなでて仕上げるのである。
とある。水田用には三本鍬を使うとよく言われるのだが、わたしは畑用の四本鍬を使って畔塗りをした。この方が使いやすい、というのが印象。平鍬で盛り上げた土を叩いて整形していくのだが、ここに「じょれん」が見えて「なるほど」と思った。平鍬より面積が広いため、整形時間が短縮できそうである。とはいえ、畔塗りに丸3日要したなんて、なかなか現代の水稲耕作者には公言できないことである。
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