Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

完全復活にはほど遠いが…

2023-10-22 18:52:45 | つぶやき

 完全復活にはほど遠いが、すこしばかり思うところを記録しておくこととする。

 日本民俗学会の年会が成城大学で行われた。誘われなければ足を向けることはないわたしだけに、誘っていただけたことにはとてもうれしいわけである。もちろん成城大学を訪れるのは初めてであり、そもそも東京のどのあたりにあるのかも頭にはなかった。松本から参加する3人とわたし、それぞれ東京行の切符を買ったから、立川までは個々向かうことになったが、同じ特急に乗った。松本あたりからなら中央線は当たり前な「足」だが、伊那谷から、とりわけ下伊那エリアからとなれば、当たり前な「足」は高速バスだ。日野バス停から中央線日野駅までは歩いて20分ちょっとほどのところ。したがって高速バスの方が所要時間は短いのかもしれないのだが、ほかの方たちが特急「あずさ」だというので、迷わず中央線を利用しての同じ「足」を選んだ。ところが、前述したように立川までは別々。本当に久しぶりの中央線に乗り(松本へ行く際に利用することはときおりあったが、岡谷から東へ向かうのは記憶にないほど昔のこと…)、今型の「あずさ」に初めて乗った。「へー、座席ごとコンセントが使えるんだ」などとと思いながらの立川行きであった。

 さて年会の内容はともかくとして、懇親会の席で『現在学研究』の10月20日発行第12号を手渡しで倉石美都さんからいただいき、現民俗の会代表の巻山さんとともに、「先を越された」、で盛り上がったわけである。実は『長野県民俗の会会報』の次号は、倉石忠彦先生の追悼号となる(急遽追悼号になったため、一般論文とともに構成される)。ようは民俗の会に先んじて現在学研究会に追悼号を「出されてしまった」というわけである。お世話になった倉石先生への思いもあり、わたしにとっては書いたこともない追悼論文を会報へまとめた。追悼文ではなく、「論文」にしたいという思いがわたしには強くあった。稚拙なものだが、その思いだけで9月末日の締め切りまで、ほかのことはさておきまとめることに専念した。仕事が忙しいのに、少し仕事をおろそかにしないと間に合わないくらいだった。もちろんそのツケが今来ていて、年会に向かう「あずさ」の中へも仕事を持ち込んだ。帰路の「あずさ」内でもいくつかの仕事を処理した。それでもとりあえずだが、追悼論文をまとめたばかりだったので、出来立ての『現在学研究』の追悼号で巻山さんと盛り上がった。

 そんな『現在学研究』の追悼号には、大勢の方たちより追悼論文と追悼文が寄せられていた。とりわけ自らまとめた論文にも引用させていただいた三輪さんの追悼文を読んでいて、共感するというか、おそらく同じような場面にかつて出くわした記憶がよみがえった。まったくの素人であったわたしの自治体史誌編纂の「いろは」は、やはり倉石先生の助言によるところが大きかった。そして、おそらく「こんなことを聞くと」、「こんな具合に返答されるのだろう」という返答が、三輪さんの倉石先生とのやり取りに見えて、親近感を覚えたわけである。会報の発行はまだ2か月以上先になるが、大事にしていただいた民俗の会らしい追悼号になると確信している。


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