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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

国勢調査

2005-09-25 13:41:49 | 農村環境
 国勢調査がこの10月1日にある。統計法に基づき行政の基礎となる人口や世帯の実態を明らかにするために行なわれる、と標記されているが、人口や世帯の実態は、住民基本台帳上のデータもあるはずで、単純にそういう説明だけではよくわからない。もっといえば、ではこのデータが何に使われているかなんていうことは、一般の国民にはわからない。住民基本台帳には現れないような家族の労働状況や、実際の居住先など、台帳上ではわからないような調査項目があるから、意味はあるのだろう、程度はわかる。
 この調査は世帯別に調査されるわけだが、この世帯というのがなかなか難しい。一世帯というのは、①居住部分が完全に仕切られている、②専用の出入り口がある、③専用の流しとトイレがある、というような三つすべてが当てはまると別の世帯となる。昔の国勢調査の質問を覚えていないのでなんともいえないが、おそらく時代によって質問項目は若干変化しているのだろう。とくに二世帯住宅という言葉が出てきたのは、そう昔のことではなく、同一世帯のようで実は同一ではないという判断をするようになったのは最近ではないだろうか。この点を正確につかんで調査員が各戸を訪問している、あるいは受けようとしている人はそうはいないだろう。わたしも単身赴任だから、その大半を別火生活をしていれば、調査の主旨からいけば、家族とは別世帯となる。しかし、両方でわたしが記述しているのもおかしい。こんな面倒くさいことなら、ひとつにしたい。結構記載欄を見ると、書くのも容易ではない。それはともかく、居住している日数が多い方へ記載するようにということなので、面倒くさいといいながら、1年の居住実績をひも解いてみると、自宅に寝泊りする日数の方が多い。一週間の7日のうち、明らかに金土日は自宅に寝泊りしている。とすると、3/7となるが、実際は祭日があったり、夏休みがあったり、さらには休暇をとっている日数もあって、自宅の方が多くなる。休暇をまったくとらなかったり、休日出勤が多いと逆転するが、したくてやっている単身赴任ではないんだから、用事がなければ自宅に帰る。仕事が間に合わなければ持ち帰る。好き好んで行っている場所ではないんだら、寝泊りする気にはなれない。まあそれはともかく、そんなことで、いろいろ考えていることじたい、くだらない話ではあるが、問題はこの世帯のことである。
 自宅のある地域(区とか集落)で世帯を数える場合は、二世帯住宅であっても1世帯である。したがって、区費を集めるにも、地域のほかの集金をする場合の世帯割にしても同様である。元来同じ家族なんだからあたりまえのことだが、例えば下水道の加入金なんかも当然排水口がひとつなら1世帯である。ところが最近いけないのは、都合の良いときはこういうことを言う人がいる。「おやじはよいといったかもしれないが、おれ(息子)は納得していないからだめだ」と。これもあたりまえといえばあたりまえだが、例えば地域の決め事に対して、1世帯ごとの判断をあおいだとしたら、受け止める側は、おやじが言おうと息子が言おうと、答えは一つのはずである。にもかかわらず、こういうときに自分にとって不利なことがあると、複数を要求したりする。核家族化なんていうのがかつての話題であったが、このごろは、1家族の捉え方が難しくなっている。1家族が1世帯と同一というわけではないが、地域のつきあいと世帯の考え方が同一ではないため、つきあいのなかにも平等ではない現実があったりする。税金で言うところの扶養家族の有無とか、よく考えると矛盾はあるのかもしれないが、詳しくないのでよくわからない。いずれにしても、知識があるほどにさまざまな恩恵を受けることになるのかもしれない。制度の網をどう縫うか、なんていうことを日々考えているから、人々の顔も変わり、田舎も変わったのだろう。
 ちなみに昔は、隠居屋というのが、同じ宅地内に建てられていて、年寄りがそこへ隠居することがあった。この場合別火となっていたか疑問であるが、伊那谷中部の山村で聞いた方は、兄弟が何人かいたが、自分は年寄りと隠居屋に暮らすことがほとんどだったという。そして、年寄りは年寄りで別に生計を維持していて、隠居用の耕作地が分けられていたという。もちろん、耕作地が別ということで、例えば苗代も別に作っていたようである。そんな時代の国勢調査がこういう世帯をどういうようにとらえていたか、調べていないが、今と同じような調査をしていたらおもしろいと思う。
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