Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

赤地蔵

2018-11-03 23:51:06 | 信州・信濃・長野県

 

 野倉ではもうひとつ、興味深いものがあった。現在の集落中心の四辻(見方によっては五辻かも)に仏龕に納まった赤い地蔵が祀られている。石地蔵と思ってよく見ると、石ではない。木造なのだ。露天に木造の仏像を置いても腐ってしまうが、石の龕に入っているから、一応雨よけになっている。いつごろ造られたものかわからないが、露天に祀られる木造地蔵はとても珍しい。とはいえ、雨が当たらない顔のあたりは塗った当時の光を見せるが、おそらく雨が当たると思われる下体のあたりは、だいぶ色あせている。座像は箱に納められた形で石の室に入っていて、赤い色はどぎついほど、「赤光り」している。聞くところによると、ある時に、誰かがペンキで赤く塗ってしまったという。以来こんな感じに目立った赤さを光らせているわけであるが、だからこそ、余計に信仰篤く見守られてきたのかもしれない。横にある立て看板には次のように書かれている。

 昔、この場所は北側にある瑞光寺(別所安楽寺の末寺)参道の入口であり、ここに地蔵菩薩が祭られた。地蔵菩薩の慈悲は無限であり、庶民のあらゆる悩みごとを聞き入れてくれる仏として崇められ、朱塗りであるため「赤地蔵さん」と呼んで親しまれている。
 日本一降雨量の少ないここ野倉でも毎年旱魃による凶作に苦しみ、この悩みを地蔵さんに託して幾度が雨乞いの行事を行った。日照り続きの時は、この地蔵さんを谷間の産川に運んで入水させ鐘や太鼓を打ち鳴らし「雨降らせたんまいな」と繰り返し唱えて恵みの雨を渇望した。こんなことから、いつの日か雨乞い地蔵とも呼ぶようになった。石造の地蔵さんは多いが、石の仏龕に木造仏を祭る事は極めて希で貴重である。

 野倉自治会と塩田郷土研究会が建てた「由来」書きである。

 先に「赤地蔵さん」と呼ばれていたとあり、雨乞いの対象になったことから「雨乞い地蔵」と呼ばれたとあるから、「赤地蔵」の呼称の方が古いということになるだろうか。とすると、ペンキで塗られる前にも朱塗りされていたということになる。より強いご利益を求めて、赤く塗られたのかもしれない。

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