Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

上田市野倉の道祖神

2018-11-02 23:04:26 | つぶやき

 

 先日の例会では、野倉のみなさんとともに、集落内を少し歩いた。かつては水田がかなりあったという野倉も、今はほとんどないという。なぜ水田をやめたのか、水が不足がちだったのか、導水に苦労したのか、移住者にはわからないことだったが、高齢化による農業離れが起因しているのかもしれない。そもそも野倉では耕作されている空間が少ない。

 女神岳の南斜面に日向という場所がある。ここに「野倉の道祖神」と言われる、よく知られた道祖神がある。野倉と言えば「道祖神」、わたしにはそういうイメージがあった。その野倉を訪れたのは、認識はしていたものの、初めてだと思ったが、よく考えてみると、30年近く前に、別所近くに住む知人に案内されて訪れたことがあったのかもしれない。あまり記憶に残っていない。別所から近いこともあるから、別所に来た人が立ち寄ることも、かつてはあったのだろう。

 この道祖神がよく知られていたことは、昔から知っていた。上田市の観光パンフレットといえば、欠かすことのできない物件だったし、そうしたパンフレットに掲載された写真を目にしていた。昭和57年4月23日に上田市観光課から送っていただいたパンフレットにも、野倉の道祖神の記載はある。『上田の姿』というハガキ大の72ページの冊子は、初版が昭和41年3月29日だった。送っていただいたものは昭和56年に印刷された改定第8版だった。その中にも野倉の道祖神の記載はあり、写真はないものの、「女神岳のふもと、野の花が咲き乱れる静かな里に肩を抱きあい、手をつなぎあった男女の石の像がある。だれがつけたのか夫婦道祖神。「信州の鎌倉」の中愛らしいポイントである」と記されている。既に50年ほど前に「夫婦道祖神」と呼ばれていたわけだ。信州石造物研究会が昭和56年に発行した『石仏と道祖神』にも写真入りで紹介されている。そこには「夫婦道祖神として別所温泉のポスターにもなった」とあり、別所を代表するスポットでもあったことがわかる。また、平成13年にスタジオグリーンが編集した『双体道祖神めぐり』という本には、「この村では、きわだって離婚率が低く、村人の信仰も厚い」と書かれている。今回野倉の様子をうかがったわけであるが、独り身の男性ひとり住まいの方が何人かおられるとか。夫婦道祖神の話になったら、道祖神の効果があがっていない、などという冗談も飛び出した。だれが「夫婦」と名づけたものなのか…。

 道祖神そのものはそれほど古いものではない。昭和になって彫られたものかもしれないが、銘文などなく、説明板にもあるが、「由緒等不明」のようだ。現在も2月8日ころ、ワラウマ引きが行われているという。

改定第8版「上田の姿」

 

 実は野倉にはもう1体おなじような双体道祖神がある。日向からそう遠くない塩田水上神社の境内の入口にあるもので、写真の通り、真っ二つに割れている。背面に銘文が見られるが、読み取るには風化が激しい。もちろん日向にあるものより古く、石質も安山岩系である。ちなみに、このたび発行した『長野県道祖神碑一覧』に、この道祖神は掲載されていない。

 

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