Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

手洗い無用

2017-10-13 23:50:01 | ひとから学ぶ

 最近では「無“接触”の時代へ」でトイレ後の手洗いのことに触れたが、世の中は「本当」いろいろな人がいる。習慣というものは躾と関連しているのかもしれないが、まさか「そんなことは教えられたわけではないだろう」と思うような行動をとる人もいる。女性の場合はどうなのかわからないが、下衣を脱いで便座に座れば、その後の行為に個人差は出ないだろう。ところが男性は違う。もちろん大便をする場合は女性と同様で個人差が表れにくいし、そもそもこの場合個室状態になるから、人様のしぐさなど気になることはない。そういう意味では男性が小便を座ってするのもごく自然な時代性なのかもしれない。

 以前「扱く」でも触れたように、男性の小便の姿には「普通じゃない」と思うような行為を見せる人もいる。「扱く」で触れた男性は行為後に男性のモノを扱くのだ。それも1回2回というレベルではない。そこまでしてしずくをゼロ状態にしようというのか、何とも理解しがたい光景だった。教えられたものなのか、自分で考え出したものなのかはわからない。親しいわけでもないから、まさか聞いてみることもできない。とりわけ男性のトイレ空間では、そのしぐさで周囲の人に意識させることは少なくない。よくトイレにある注意書きは、「一歩前進」である。遠くから便器に向かって行為をすると、便器との間にしずくがたくさん落ちる。とりわけお終いとなった後の前述ような行為において、例えば扱いていれば勢いはないから便器との間の床にそれはすべて落ちることに。掃除をされる方々にはとっても迷惑なこと。だからなるべく前進して、床に飛び散らないようにしなさいという注意書きなのだ。ところが前進することで、「無“接触”の時代へ」ではないが、自分を介助している手にしずくが反射してやってくる。遠い方が手は衛生的というわけだ。そんななか、こんな人もいる。思いっきり終わったあとに、当たり前のようにドアに向かった人は、行為を始めると手は身体より後ろの方に垂らしていて、男性のモノに手を添えないのだ。前述の扱く人とは正反対。驚くことに、終わった後もほとんど手を使わずに社会の窓の中に納めて、ドアに直進していった。ようはこの人にとっては手を洗う必要がないのだ。何より「しずく」とまったく無縁。行為を始めてからそれに気がついたから、最初がどうだったのか不明。もしかしたら1回も触れずに小便を始め、ふんぞり返って行為を終えた後、さらっとモノをしまい込んでトイレを出て行った。もちろん周囲から見ていると丸見えということになるが、手を洗わないためにこういうやり方を編み出したのか、何とも理解しがたい光景だった。

 ということで、実は男性用のトイレ内は、あっと驚くような光景が盛りだくさんなのだ。

コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****