Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

娘を監禁した事件から

2005-12-08 07:51:34 | ひとから学ぶ
 福岡であった娘を軟禁した事件が話題になっている。詳細がわからないので、どういう条件で警察が障害容疑で母親を逮捕したかみえてこないが、背景は複雑そうである。幼児期に一時保育所に通っていたというが、保育生活になじめず中途退所したという。この退所を契機に自宅で養育しようとしたようで、「(障害による)発達の遅れが恥ずかしかった」と母親がいっているともいう。警察は、児童相談所など行政が連携してその対応に最善をつくしたのか、と疑問を投げかけている。もちろん、行政側は最善を尽くしたというが、果たしてどうかと、またまた報道番組がとりあげるのだろう。
 このケース、少し大きく報道されているが、似たようなことはあっても不思議ではないように思う。たとえば不登校に悩む親が、家を出たくないという子どもの意向に沿って出さずにいれば、しだいに慣例化して、知らないうちに家庭に閉じこませていたことになってしまう。そこに傷害があったかどうかという違い程度で、それほど長い期間閉じ込めたということばかりが表に報道されてしまうと、不登校の子どもを持っている親にとってはつらい話になりかねない。
 息子の小学校の同級生が、6年生のころから不登校ぎみになった。理由はいろいろあるのだろうが、6年になった際に先生が変わったのもひとつの理由だったかもしれない。そうした背景があって、それまで担任をされていたA先生が、とても熱心に学校に行くようにと指導をしてくれた。たまたま息子もそのA先生と親しくさせていただいたこともあって、その不登校ぎみの生徒を誘ってA先生の家を訪ねるというようなことを何度かしたものである。中学に入ってもなかなか学校には足が向かないようで、朝その友達の家に息子が電話をすると、なんとか学校には来ているのだが、どうしても長続きせず、また登校しない日が続いたりする。そんなとき、またA先生がその子どもの家を訪ねたりして、やっとやっとで1年少しを越えたが、結局不登校になってしまって長い。学校や行政、そして家族がどんなにサポートしても、不登校の子どもたちを学校に向かわせることは難しい。加えて、今はそれが数人ではなく、ひとクラスに何人も不登校の生徒がいるという。ただせさえ、教育の低下がいわれるなかで、さらには教員の給与削減なんていう話が流れるなかで、学力を維持しながら、こうした問題まで解決していく力は、今の学校にはないだろう。それでは地域が、あるいは行政がなどと簡単には言うが、不登校の背景は単一ではなく、ひとりひとりすべて違う。親が何もしないからといって、他人が口を出す世の中でもない。社会構造を認識したうえで、ではどうすればよいか考えざるをえないが、わたしにもその解決策はみえない。
 田舎なら、子どもの数が少ないし、顔が見えているから、「あの子はどうしたの」というような話になるが、実際不登校の子どもを抱える親にとっては、触れてほしくないことも多い。個人情報保護だといいながら、いっぽうではその背景を否定せざるをえないようなかかわり方を指摘も多い。こうしたことから、事件ひとつひとつを個々の要因で分化してコメントしても、解決できないということがはっきりわかる。
 福岡市自閉症児者親の会の伊丹健次郎会長は、「母親が引っ込み思案だったのかもしれない。『障害も個性』と言える社会になれば、こんな悲惨なことも起きなかったのではないか」といっているが、いまの日本を見ている以上、そんな社会は来る予感もない。そして、この言葉の『傷害も個性』という部分を「不登校が悪いことではない」と置き換えてもよいかもしれない。
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