Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

夜中の赤石林道越えをしたころ

2005-12-13 08:19:33 | ひとから学ぶ
 今年の雪の訪れは早い。だいたいが年末年始に雪があるかどうかによってスキー場の今年が決まるともいわれるほど、年末になると雪があるかないかが話題になるが、今年は12月の頭から雪は豊富にある。こんな寒い12月は珍しいくらいである。12月に寒いというと、かつて盛んに通った霜月祭りを思いだす。わたしが盛んに遠山谷の霜月祭りを訪れたのは、昭和60年から平成元年ころまでであった。遠山谷の11箇所(隔年で行なわれる場所はひとつと数えた)で行なわれる祭りは、南は南信濃村大町、北は上村程野までと広い範囲で日を変えて行なわれる。当時は三遠南信道の矢筈トンネルはまだ開通しておらず、喬木村氏乗から赤石林道を延々と走ったものである。赤石林道は、道をはずせば谷底まで落ちてしまうような道で、かつて転落死亡事故があってからガードレールが設けられた。当時、仕事で昼間遠山谷へ行く際も、同僚は「平岡から入ろう」と何度も言った。時間的には赤石林道が早くても、曲がりくねった道を延々と走ることは、好まれなかった。とはいえ、わたしはやはり時間を優先したから、南信濃村和田までのエリアは国道151号を南下して平岡から、南信濃村木沢より北、上村分までは赤石林道を越えて入った。毎年最初に行なわれる祭りは、12月8日の八日市場(中立と隔年開催・・・祭りを行なう氏子は同一)の祭りであった。冷え込みが厳しいと、その寒さはなかなかのものであった。当時の八日市場の祭りは、9日の未明午前2時ころから中祓いとなり、午前3時ころから面(おもて)をつけた神々が登場した。そして、午前5時ころには祭りが終わったもので、終わった後にいただく秋刀魚飯が楽しみでもあった。この八日市場も今では12月1日が祭日となり、午後9時ころには面が登場するという。したがって、夜を徹して行なうということはなくなった。
 かつてはこのように八日市場に始まり、10日が南信濃村木沢、11日が上村上町、12日が上村中郷、13日が南信濃村和田、14日が上村程野と南信濃村小道木、15日が南信濃村八重河内(尾島)、16日が南信濃村須沢、17日ころ(ちょっと忘れてしまったが、20より前だった)南信濃村大町と続き、正月に南信濃村上島と上村下栗で行なわれた。連日のように行なわれるため、平日に連続して行くことは仕事にも影響があるため、なかなかできなかった。それでも、たとえば8,10,11,12,14,16というように年に5回か6回は足を運んだ。とくに当時は8日の八日市場、10日の木沢、11日の上町、12日の中郷、14日の程野1/3日の下栗は朝まで行なわれるため、眠らずに祭りに行きとおすということは大変なことであった。夕方仕事が終わると帰宅(会社から自宅までも40分ほどかかった)し、午前零時ころまで仮眠、それから赤石林道を越える(最も近い場所でも1時間と少しかかった)。朝まで祭りを見てからその足で会社へ行き、また夕方になると帰宅するというようなことを繰り返した。もちろんこの時期に連続して行っていると、時には雪降りということもある。赤石林道の峠道ともなれば、ツルツル状態である。ふだんの夜中の道なら車はいないだろうが、時折同じ方向に向かう車がいたりすると、とても遅い。少しでも寝たい、とすれば行き来の時間は短縮したい。だから狭い道ではあってもなんとか抜かせてもらう。それでもって雪道となれば、なかなか冷や冷やものの行程を繰り返していたともいえる。
 毎年東京から来ているカメラマンなんかもいて、毎日のように顔を合わせる。こちらはいわゆる面の登場する場面しかなかなか捉えることはできないが、そうした人たちは祭りの大方を知っている。祭りが終わると「今日は来るの?」という会話を必ず交わした。最近の祭りを知らないが、数年前、久しぶりに小道木の祭りを訪れた。かつては程野と同じ日に行なわれた小道木は、わたしが盛んに行っていたころには、すでに夜を徹して行なうということはなかったが、かつては遠山霜月祭りの中でも最も賑やかだったともいう。かつてにくらべると、祭りの人気も少し衰えたのだろうか。カメラマンといわれる人たちの数も少なかった。地道に日程を変えずにがんばっている旧上村の各神社の氏子は、とくに過疎にいたって大変ではあると思う。「飯田市の」霜月祭りなんていわれると納得できないなかで、これからどう変わっていくのかとも思う。かつて、八日市場を始めて訪れたころには、「面おろし」といって、面を神前であらためる際に、写真を撮ろうとした人がいたらすごい勢いで叱られた姿を見た。しかし、それから数年後には、すでにだれでも写真が撮れるような状況に変化していた。同じような変化はくずさずに行なっている場所でも少なからずある。もちろん、継続させるためには継続しやすい方法に変更していくことを他人がとやかく言うこともできない。今年は、北村皆雄さん(映像民俗を専門とする株式会社、ヴィジュアル フォークロア代表)が旧上村分に入って、映像を残すというから、かなり古式に行なわれているに違いない。
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