今日の天っちゃん

天知茂関連作品の情報

御園座公演(S46年2月)[4]

2006年08月28日 | 舞台公演
(公演パンフより引用)

鼠小僧初姿 二幕七場

脚本:有高扶桑
演出:松浦竹夫
美術:織田音也
音楽:山内正
照明:今井直次
効果:田島光義
振付:関矢幸雄
殺陣:宮内晶平

花の大江戸。とある秋の夜更け――
「盗っ人だ、盗っ人が入ったぞ!」……突如、三千石の悪旗本三浦兵部介(名和広)の邸からざわめきが起こった。
その時塀外に、千両箱小脇にひらりととび降りた身軽な黒い人影は――御存知の盗っ人かぶりもいなせな、当今評判の義賊鼠小僧(天知茂)。御用提灯片手にかけつけた女目明し駒形お仙(阿部洋子)の十手もかるくかわし、鼠小僧は易々と警護の網をくぐって夜の闇の中に没し去る。
やがて、鼠小僧、盗っ人かぶりをパラリと外し、羽織を裏がえすと、もう小間物商和泉屋次郎吉に早替わり。満月を背に鼻唄まじりだった。

文化文政期、江戸は、元禄時代の再来といわれるほど爛熟した文化の花が咲き誇っていた。が、ひとたび裏をのぞくと、幕政は乱れはて、秋というのに米の値がうなぎ上り、あちこちで米屋の打ち壊しが始まっている世の中――

さて、鼠小僧ならぬ町人和泉屋次郎吉がブラリと姿をみせたのは蔵前の水茶屋。次郎吉、どうやらここの看板娘、小夜(高須賀夫至子)が気がかりらしい。
次郎吉に想いを寄せる女もまた多かった。意地と張りとが売り物の深川の辰己芸者染吉(鳳八千代)、そして男まさりの女目明しお仙……
次郎吉がここへ来たのは一見、人品卑しからぬ浪人丹波夢太郎(東千代之介)に会う為だった。実はこの夢太郎、武士の政治を倒さんと企みその手段の一つとして鼠小僧を育てあげた、いわば産の産みの親。

「夢太郎さんお願えだ、暫くの間盗っ人をやすませてくだせえ」だしぬけに次郎吉がきりだした。
次郎吉は、身よりのない小夜が、好色な三浦兵部介に追われているのを知り、せめて引取って身を護ってやる間、迷惑が及ばぬよう鼠をやめたいというのだった。夢太郎は無論反対だ。「肉親と女は男を駄目にする」と。だが次郎吉は、そんな夢太郎の諌止をふり切り、小夜を伴って茅場町に小さな小間物屋の店をひらき、鼠小僧の足を洗った。

それから一月……

そろそろ小間物屋ぐらしにも飽きた頃だろうと、夢太郎が鼠に戻れと誘いに来るが、次郎吉の決心は固かった。
この小夜、実は十二年前、次郎吉がふとした罪で江戸を追われた時に生き別れたままの、血を分けた妹だったのだ。美しい娘に育った妹を目の前にしながら、盗っ人を稼業としたばっかりに兄とも名乗れぬ次郎吉の辛さ切なさ。
だがそれも、次郎吉がお小夜と同じ木の鈴を持っていたことからお小夜の知るところとなり、
「兄さん……」「お小夜――!」前後を忘れて兄妹は固く相抱いた。

しかしその頃、江戸市中の米はますます値上がりし、米を買い占めていたのが例の三浦兵部介だと判るや、又もや次郎吉の中の侠気がムラムラッと頭をもたげた。
次郎吉は、飢えに泣いている江戸百万市民のため、鼠小僧に戻って兵部介の隠し米倉を襲う決心を固めた。そして……。[終]

*「本物の彼(=鼠小僧)はむしろ小柄な見栄えのしない男だったようで…」などと解説に書かれているが、それでピッタリとか言われていたらイヤだよな天っちゃん(たぶん言われてない)



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御園座公演(S46年2月)[3]

2006年08月26日 | 舞台公演
あらすじ(公演パンフより引用)

宮本武蔵 三幕七場

原作:吉川英治
脚本:藤木九
演出:稲垣浩
美術:大塚克三
照明:宮田憲一
音楽:津島利章
効果:辻亨二
殺陣:宮内晶平

剣聖といわれる宮本武蔵(片岡千恵蔵)は、その生涯に何度も剣の対決を行ない勝ち抜いてきたが、京流、吉岡清十郎との試合もその一つである。武蔵に腕を斬り落とされた清十郎は、武蔵に意趣遺恨を抱かず、敗者の宿命によって吉岡家の当主の身を引いた。が、清十郎の弟の伝七郎は兄を倒した武蔵を恨みに思い、決闘を申し入れてあえなく果たされてしまった。

有名な一乗寺、下り松の決闘は、その後、伝七郎の遺児源次郎を名目人に押し立てた吉岡一門が、再び武蔵に勝負をいどんだのが発端である。当時、十歳だった吉岡源次郎の後楯となった門弟は八十人。これが一人の武蔵に向かったのである。武蔵は幼い源次郎を斬りすてて、果てしない仇討ちの根を絶ち切った。武蔵は試合にのぞんで、いつも約束の時刻からおくれて、意表をついたところから姿を見せるという策を用いたというが、一乗寺の決闘でも例外ではなかった。こういった心理作戦も武蔵の剣法の一つだったのだろう。吉岡一族を倒した武蔵にもうひとりの宿敵、しかも、またとない好敵手がいた。巌流、佐々木小次郎(天知茂)その人だった。

吉岡源次郎を斬った武蔵はうまく門弟たちをまいて姿をくらませ、一乗寺から山城と近江の国境、比叡山延暦寺へ至る雲母坂に現れた。彼を慕うお通(加茂さくら)もこの辺りにたどりついた。一方、源次郎を討たれた吉岡門下の一味、そして、武蔵が息子の本位田又八(東千代之介)を連れ出したばかりか、その嫁のお通までそそのかした悪い奴だと信じ込んでいる、又八の母お杉婆(上田茂太郎)も彼を追って来ていた。

吉岡門下の侍、小西(倉丘伸太郎)、高倉(服部哲治)たちが武蔵の背後からいきなり斬りつけたが、到底武蔵の敵ではない。軽くあしらわれ命を助けられた彼らは武蔵の「勝つための苦しみ、勝ったあとの苦しさが、剣に生きる者の生涯につきまとうのだ……」ということばに、自分たちの非を詫びて引きあげて行った。一方、お通はお杉婆につかまって折檻されたが、折から根本中堂建立に働いていた石工たちが、お通に同情して逃がしてやったので、怒ったお杉婆が石工たちに霊地で刀を抜いた罪で牢に入れられるところを、来合わせた佐々木小次郎に助けられる。小次郎は、お通の話を聞いた石工たちが武蔵の剣豪ぶりをほめたたえるのに批判的だった。一乗寺で吉岡一門が多勢で一人の武蔵に対したのは武士にあるまじきことだし、武蔵の実力も認めるが、約束の時刻にわざとおくれる駈け引きのいやしさは剣の精神に反する。ただ勝つことだけを目的の自己宣伝にすぎないというのだった。武蔵はこの小次郎の説をものかげで聞き、自分の考えと世間の人たちの評価の相違を改めて知り、小次郎にそのことばはお互いの胆に銘じておこう、忘れまいと誓い合って別れた。

お通と武蔵はついに会うことが出来なかった。武蔵は立木の幹にお通へのことばを書きしるして山を去って行く。「ゆるして、たもれ」武蔵が書き残して行ったその短い文字を読んで、お通は声をかぎりに「たけぞうさん……」と、武蔵の名を呼びつづけた……。

武蔵には彼を慕う伊織(緒方恒喜)という少年がいた。下総の国、法典ヶ原のすすき野原で、武蔵が少年を見たとき、あまりにも自分が手にかけた吉岡源次郎と似ているのに驚いた。それが三之助といっていた頃の伊織だった。三之助の父の伊織は高潔な人だったが、その朝死んだばかり。それとは知らず、一夜の宿を求めた武蔵は、少年が父の遺骸を一人で葬ろうとしている健気な姿を見て心を打たれ、その遺骸を背負い山に手厚く葬ってやった。武蔵は人に迷惑をかけるなという立派な父の遺訓を守ろうとした利発な少年伊織を愛した。伊織もこのときから武蔵を、兄とも思い慕うようになったのは当然の理であろう。
一方、又八は野望に燃えて武蔵をさそって国を出たものの、武蔵と比べうだつの上がらぬ身を、いまでは江戸の博労町で飲み屋の女朱実(高須賀夫至子)を女房に世をしのんでいた。

あるとき、このお蝶(*朱実?)のために争いをはじめた博労の喧嘩を仲裁したのが、いまは細川家の指南役に召し抱えられている佐々木小次郎だった。小次郎が二人を連れて行った博労宿で、はからずも武蔵に再会することになった。伊織が騒がしい隣りの部屋へ文句をいったことから、その仕返しにやってきた博労たちが、伊織の連れの男が二本の箸で飛んでいる蝿を掴むのを見て驚き、それを聞いた小次郎はその男が武蔵であることを知り、扇子に試合の日を記して武蔵に投げ、勝負をいどんで別れた。慶長十七年四月十三日――、その日が二人が相まみえる運命の日だった。

九州、小倉城下は近く行なわれる宮本武蔵と佐々木小次郎の試合を告げる高札を前に、その噂でもちきりであった。飴屋姿の又八と朱実夫婦も姿を見せていた。お通も試合の前に一目、武蔵に会っておきたいと病気の身を押して江戸から旅を続けて来た。雲母坂いらい武蔵に心酔している吉岡一門の小西、高倉らも武蔵の身を案じて小倉に集っていた。ただ一人お杉婆だけは、いまだに武蔵が小倉に姿を見せぬのは逃げたのに相違ない卑怯者だといい、お通の供をしてきた博労の熊五郎(名和広)に岩穴に閉じ込められてしまう。そのお杉婆をお通が助けてやるのだった。

二人の決闘の場所は赤間ヶ関の舟島。検分の役は長岡佐渡(河村憲一郎)と岩間角兵衛(小堀明男)。
武蔵は舟に乗り込む赤間ヶ関の浜辺で、いまはお通と和解して、武蔵のことも理解し心から謝る本位田のお杉婆や、お通と会った。武士の女房は出陣にあたって泣かぬもの――武蔵のそのひとことにお通も、また、武蔵も思い残すことはなかった。

舟島では、約束の辰の刻=午前七時=以前に到着した小次郎が、未明の空の下で武蔵を待っていた。その出で立ちは猩々緋の陣羽織に白鉢巻き。約束の刻限が過ぎてやっと武蔵の舟が見えた。武蔵は柿色の鉢巻き。小次郎は愛刀、物干竿。武蔵は櫂の木刀である。小次郎は時刻をたがえる武蔵の兵法をなじって、物干竿の鞘をはらい投げ捨てた。

武蔵はいう「小次郎負けたり」勝つ身であれば刀の鞘を捨てる筈はない。武蔵は舟からあがり、迎え撃つ小次郎は岩上で構える。

――間。やがて小次郎から斬り込んで足を払った。と、武蔵は飛び上がりざま木刀を打ち下ろした。小次郎の死顔を血が凄惨にいろどっていた。一瞬の勝負。武蔵が生涯に二度と会えぬ相手だった。黙々と舟に乗り込む武蔵。海の彼方に太陽がようやく昇りはじめていた……。[終]

*婆さんを助けたり喧嘩の仲裁をしたり、なにやらこまごまとした働きをしている小次郎さんのようだ

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二百三高地

2006年08月24日 | 東映映画
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太平洋戦争 謎の戦艦陸奥

2006年08月17日 | 新東宝映画
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御園座公演(S46年2月) [2]

2006年08月14日 | 舞台公演
(公演パンフより引用)

●挨拶
名古屋の皆さま、お久し振りです。
私にとって、この二月公演ほど、幸せを感じる時はありません。名古屋は私の故郷であり、肉親や友人達の集った土地であるからです。
“故郷に錦を飾る”という古くからの言葉があります。伝統ある御園座に郷土出身の私が、大先輩、片岡千恵蔵先丈をはじめとして、ベテラン諸氏の後援を得て、晴れの舞台を飾ることができ、これ以上の慶びはありません。
どうか、今後共、皆さまのご支援を戴き、立派な舞台俳優として、自立出来ますよう宜しく御指導くださいますよう、同郷の誼みを以ちまして、偏にお願い申し上げる次第でございます。


*挨拶文の裏に、お兄様の写真店の広告あり(もしや隣の寿司店の広告も実家のもの?)

●記者会見
暮れもおし迫った昨年11月24日午後、この公演あいさつのために来名した片岡千恵蔵さんと天知茂さんの2人が、御園座の5階会議室で記者会見を行ない「楽しい芝居を見せたい」と、その意欲を語りました。片岡千恵蔵さんは「映画界に入って以来、殆ど映画ひと筋でやってきました。これも皆さんの支持があったればこそなので、御園座の舞台は勿論初めてなのですが、そのご恩返しのつもりで楽しい舞台をお見せするよう努めたい。ことに最近は名古屋に縁の深い私なので、誠意をもって当たりたい」と語り、また天知茂さんは「年に一度は生まれ故郷名古屋の舞台に出たいと思いながら思うにまかせず、こんどは3年ぶりなので、大先輩の指導をあおいでしっかりやりたい」と、その意気ごみを話していました。

*千恵蔵さんと並んでしおらしく目を伏せている天っちゃんの写真

●サイン会
当公演の前売りが始まった1月14日(木)、天知茂・加茂さくら・津川雅彦の各優の出席を得て地下1階のグリーンホールにおいて、サイン会が催されました。観覧券お求めのお客様先着順にあらかじめ整理券を渡したために大きな混雑はさけられたが、用意した色紙200枚が飛ぶようになくなり、あわてて追加するほどの盛況ぶりで、お客様も大喜びでした。

*奥が津川さん、真ん中が加茂さん、手前に天っちゃんという並びでサインしている写真

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御園座公演(S46年2月)

2006年08月14日 | 舞台公演
(「演劇界」S46年3月号より引用)

中京通信(岡安辰雄)

御園座
ここは昨年九月の林与一・朝丘雪路についで二度目の自主企画興行で、こんどは千恵蔵を軸に天知茂、津川雅彦、東千代之介、石井均、そして阿部洋子、加茂さくら、三浦布美子、鳳八千代らを集めた混成一座の公演である。

自主企画といっても内容そのものが作品本位ではなく、あくまでスター中心の企画興行とあって、だしものは『鼠小僧初姿』に『水戸黄門』『宮本武蔵』といずれも娯楽本位の大衆作品ばかり、こくのある舞台など望むべくも、といった舞台である。

三作品のうち看板の千恵蔵が主演するのが『宮本武蔵』と『水戸黄門』の二本。当人にとっては初の名古屋公演とあって大した張り切りぶりではあるけれども、ともに脚本の出来が悪く、味の薄い舞台に終わっている。

芯となるはずの『武蔵』にしても、巌流島の決闘まで、まるでかけ足で走ったようなダイジェストぶりで、武蔵の人間的な成長、内面をえぐるような苦悩といったものはまるでなく、なんとも中途半端な作品になっている。

また『水戸黄門』も同じで脚本の腰の弱さが致命的。肩のこらない大衆劇を、とはいっても娯楽味さえとぼしいのっぺり舞台に終わっている。大衆娯楽に徹するならば、それはそれで脚本・企画から大事に検討すべきであろう。

天知の『鼠小僧』は『水戸黄門』に比べれば多少なりともポイントのある芝居ではあるけれども、これとて演出のテンポのなさ、じめつきが目立ち、爽快な娯楽作とは遠いものになっている。 映画スターの実演と割り切ればそれまでのこと、が、もう少し動ける役者がいないことには、という気が先に立つ。いくら自主企画といっても、作品があって適役を選ぶというようにならなければ、それも無理というものか。[終]

*巌流島の決戦シーンの舞台写真あり(天知=小次郎がやたら男前←贔屓目じゃなく)

*舞台至上主義の雑誌だからか、ライターさんにも演劇人>映画人>テレビ人という偏見が最初からあるのかもしれない

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東横劇場公演(S43年4月)・[3]

2006年08月12日 | 舞台公演
(「演劇界」S43年5月号より引用・その2)

黒蜥蜴
三島由紀夫作
松浦竹夫演出

*舞台写真(ソファーに腰掛け緑川夫人にライターを差し出す明智先生/黒蜥蜴の横で座り込んでいる松吉じいさん)に添えられた解説

以前産経ホールで水谷八重子・芥川比呂志の主演で上演されたことのある作品です。三島由紀夫の戯曲はこの主人公は女形で演じられることにこそ魅力が発揮されるとかで丸山明宏が起用されました。現代劇の女形――そんな妖しい雰囲気が出ていて別世界に誘いこまれるようなムードでありました。明智小五郎は天知茂でニヒルな感じがまた巧く生かされていました。 松竹が新しい時代の新しい演劇を創り出そうということではじめられたこの新路線、昼夜ともまったく肌合いのちがった作品を並べて瀬踏みの感なきにしも非ずですがスタートの滑り出しは上々だったのは何よりです。主役で珍しい女形の丸山も「天井桟敷」の小公演とちがって舞台も広く、そして九階まで高く飛び上がって天にも昇るような気持ちで熱演していました。劇界に問題を投じたこの公演、大きな反響があったようです。

*松吉も素朴そうでナイスです

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東横劇場公演(S43年4月)・[2]

2006年08月12日 | 舞台公演
(「演劇界」S43年5月号より引用・その1)

丸山明宏の堂々たる素人芸 大島努
昼:若きハイデルベルヒ
夜:黒蜥蜴

松竹・東急提携十五周年記念興行として、「四月名作特別公演」が新たにスタートした。その初回だが、昼の部がマイヤー・フェルスターの青春文学の古典を石原慎太郎が潤色した音楽劇『若きハイデルベルヒ』、夜の部が江戸川乱歩の妖奇探偵小説を三島由紀夫が自由翻案した『黒蜥蜴』と、当代の二大人気作家の名を前面に打ちだし、昼夜の配分を考えて対照の妙をねらった企画が順当だが、いずれも演目も二番煎じなのが、スタートだけにさびしい。配役にしても、昼は中山仁と戸部夕子(新人)のコンビで甘いところ向き、夜は丸山明宏と天知茂のコンビで中年向きと、苦心のあとが見られるが、丸山明宏の起用をのぞけば、テレビや映画の人気におぶさりすぎ、これもまた新味にとぼしい。ただ、渋谷という山手人種の一大集散地に、これまでこうした劇場がなかったのが不思議なくらいで、企画そのものは大いに歓迎したい。将来、創作劇の一本立て興行にまで進めば、なおのことけっこうだと思う。さて、それにしても、昼夜共女性客が圧倒的に多かったが、ここでも、名作路線は女性路線と同義らしい。

(「若き・・・」の批評は略)

『黒蜥蜴』も脚色物だが、さすが「作」とうたっておかしくないだけの世界が構築されている。子供騙しの世界を逆手にとって、大人のメルヘンとしての仕立て直しが利いており、その二重のからくりは、ヒロイン緑川夫人(じつは稀代の女賊・黒蜥蜴)の早替わりのように、あざやかで華麗である。大時代的なものと現代的なものとが交錯した、打てばひびく反語的世界である。一見取り澄ましているようで、じつはこれほどサービス精神にあふれた芝居もない。

この反語的世界のヒロイン丸山明宏を起用したのが、最初にして最後的な成功である。考えてみれば、相手方の名探偵・明智小五郎(天知茂)も損な役を引き受けたもので、掃除夫や火夫松吉ぐらいの役替わりではとうてい、勝目はない。テレビ界随一の“ニヒリスト”も、このアングラ派大親分の前では、いかにせん影がうすい。 さらに、この“現代の大女形”は作者の自己演出を上まわる自己顕示欲に恵まれ、この十年来伝説化のベールに包まれている。企業としては、遅きに失した起用である。

丸山明宏は堂々たる素人役者である。歌舞伎の名女形の完成された様式をもたない点において素人なのだが、容姿・衣裳に磨きをかけ、まわりの半玄人役者たちを最終的には食ってしまった点において、まさしく堂々たる役者ぶりであった。発声も不自然にひびき、身のこなしもぎこちなかったが、その異質さで徹頭徹尾押し切ったのが美事だった。

例えば、あのときおりの胴間声である。客席には忍び笑いがひろがるが、じつはそれで容認されるのである。アングラ舞台でも確認したことだが、丸山明宏はひとり健康的であり、終始アッケラカンとしている。倒錯模様でありながら、その世界の薄汚れた感じがつきまとわない素人だけに救われているのである。黙阿弥や邦枝完二の世界に、ディオールやカルダンの衣裳がのし歩くのは、それ自体批評である。まさに恰好の「役者」を得たわけである。

天知は柄だけで、舞台の動きがきまらない。半玄人は、一流の素人にはるかに及ばない。 この舞台の装置もまた安っぽく、せめてもの伴奏のワグナー名曲集も、幕あきはともかっく、幕切れの「名歌手」前奏曲に至っては、ひどくうそ寒しくひびいた。
演出はいずれも松浦竹夫。[終]

*三島版「黒蜥蜴」はもともと明智先生の印象が薄いので仕方ないと思うけれど、それでもかなり(天っちゃん的には)キツい劇評だ
コメント (2)
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東横劇場公演(S43年4月)

2006年08月11日 | 舞台公演
(「演劇界」より引用)

まめ新聞・かべ新聞(S43年4月号)

黒蜥蜴、品川に出現す
妖しい美と冷たい愛嬌をこぼれんばかりにふりまく丸山黒蜥蜴がいよいよ登場

昼の部は『若きハイデルベルヒ』、夜は『黒蜥蜴』。これが四月の東横劇場の布陣です。名づけて名作路線……。片や中山仁とニュースターの戸部夕子、対するは丸山明宏と天知茂というのですから、松竹の演劇も変わったものです。

その名作路線の上演記念パーティーが三月十一日の夜、品川の光輪閣で開かれました。『ハイデルベルヒ』の潤色を担当した石原慎太郎センセイは、選挙用の後援会で咽喉を痛めたとかで姿を見せませんでしたが、『黒蜥蜴』の作者の三島由紀夫氏、演出の松浦竹夫氏をはじめ、出演者一同が舞台衣装を着けてのサービスに、会場は一種異様な空気に包まれました。というのも、黒蜥蜴は人も知る女賊。その女賊に扮した丸山明宏の真紅の唇が、シャンデリアの光を受けて、一際鮮やかだったからです。冷たく輝くダイヤの首かざり、豊満な?肉体を黒のイブニングドレスに包んだ丸山黒蜥蜴は、まさにこの夜のメインスター。大映の江波杏子さんから黄色いバラの花束を贈られて微笑む姿に、本物の女性の間から嘆声まじりの溜息が出ました。
「まあ、きれいねえ……」
そしてそのままの姿で自作の『黒蜥蜴』のテーマソングを披露してお色直しと、めまぐるしい変身。なんでも、この夜に四回も服を取りかえたとかで、これまた本物のトカゲ顔負けの脱皮のしかた。まさにニセモノ全盛の世です。

挨拶に立った永山松竹演劇担当重役は、「松竹は従来歌舞伎や新派等の、どちらかといえばやや現代と離れた芝居を上演してきましたが、これを機に、守る芝居から攻める芝居へと方向転換したい」とその抱負を語れば、続いて立った三島氏は「『黒蜥蜴』は歌舞伎です。ですから女形で見せるのが当然で、その意味では攻める芝居よりも、守るものは守ってほしい。最後の女形が登場し、最後の色男たる天知茂君が出演し、最後のロマンチストである私が書いた『黒蜥蜴』をよろしく……」と、早速氏一流のパラドックスを見せました。

それにしても今どき大々に上演記念パーティーをやる神経はどうかとも思いますが、それを承知の上でこういう催しをするところに、三島氏の三島氏たる所以があるのでしょう。水商売といわれる興行界でも、この東横の商売は、一種のばくち的な面白さがあります。丁と出るか半と出るか、まずはお手並みを拝見しましょう。[終]

*パーティー時の写真有り。舞台衣装といっても、天っちゃんは松吉爺やスタイルではない(やはり三島御大公認の色男だからして)

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梅田コマ劇場公演(S39年10月)

2006年08月11日 | 舞台公演
(「演劇界」より引用)

「雪夫人絵図」「ある浪人の物語 日々平安」

梅田コマは特別公演として木暮実千代を迎えて『雪夫人絵図』を出した。
終戦後いくばくもなく大当たりした映画の夢を舞台に結ぼうという企画だが、まんまと外れた。

木暮は舞台の経験も浅いので、映画で生かされた官能的な美しい肢体も舞台では生きて来なかったのだが、それは彼女の罪というよりも、成沢昌茂の脚色・演出の責である。斜陽華族の令嬢で美しい雪夫人が、家を外にして遊蕩している婿養子に悩み、幼なじみの舞踊家に心を傾けながら、肉体は夫にひかれている。そうした面白さが一向に盛り上がって来ないのだ。相手役には夫に河津清三郎、舞踊師匠には天知茂を配しているが、こうした企画には、芝居の実体を固める演技陣を整えねばどうにもならぬことを証明した。

もう一つの出し物は映画『椿三十郎』の原作である山本周五郎の『ある浪人の物語・日々平安』を天知茂・長門勇とに共演させている。原作では一人の主人公を二人の人物に分けて活躍させるところに劇化の術に長けた竹内伸光の成功がある。街道で空腹に耐えかねた長門が、通りかかった天知に狂言切腹の介錯を頼み、刺客に追われた若侍人見きよしを助けてから、悪家老のために乱れた藩の危機を救うというチャンバラになるのだが、天知は『雪夫人』での大人ぶりよりも固い演技で、専ら長門の持味の軽いユーモアに支えられている。面白く、気安く見られるが、これも低俗に終わってしまった。[終]

*芝居の世界ではまだまだ青い(固い)天っちゃんのようだ

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