「演劇界」(1969年・S44年 10月号)から引用
梅田コマ
天知茂の特別公演
小林旭よりは少し先輩らしいがスタイルも何もがよく似ている感じだ。共演は淀かほる、金田龍之介、石山健二郎、万代峰子、雪代敬子、芦屋雁之助ら。竹内伸光作『鹿鳴館異聞・影を追う男』三部三十四場。ただの明治ものかと見ているうちに、なんだ『巌窟王』かと気づいたら、ちゃんとプログラムにデューマ原作よりと書いてあった。
長崎奉行の下にいる有能の青年青江源之丞(天知)は相愛の浪路(淀)と婚礼の日に奉行所へ引かれる。取調べに当ったのは同僚の佐伯織部(金田)である。青江が、勤王の志士と内通している疑いをかけられたのだが、その志士こそ佐伯の実父なので、その秘密を知る青江を退け、ライバルをなくして立身しようと、廻船問屋島田屋藤兵衛(石山)の入れ知恵で、青江を親切ごかしに陥れて、流れ島の牢へ入れてしまい、自分はお船奉行に出世したばかりか、浪路を手に入れて妻にしてしまう。
島の牢で一緒だった老人(和気成一)が密かに脱出の地下道を掘っていたのを知り、十年に一度の島の竜神祭の夜に抜け出すが、金脈つきた老人から、島原の切支丹の再興の軍資金として隠している何千万両かの在り所を教えられる。折りから島は暴風雨に襲われ、海に流された源之進(*最初は「源之丞」だったのだが・・・どっち?)は漂う海賊船に救い上げられ、海賊むささびの龍(雁之助)らと八十島に渡り、財宝を手に入れ、龍を子分にする。
青江が長崎に姿を現したときは明治の世となり、佐伯は官途について検事総長になり、島田屋は銀行家として東京で羽振りをきかしていた。龍をつれて上京した青江は、八十島伯爵と名のり、彼らに近づき、鹿鳴館にも出入りして、彼らを自滅させる。佐伯の義母(万代)が島田屋と通じて嬰児殺しをしていたことをあばいて、汚職の発覚と体面をおそれる佐伯のピストルで島田屋は射たれ、佐伯も自決し、母親は発狂して火事の中で死ぬ。浪路は八十島を源之進と気づいていたが、妹の小夜(雪代)は落ちぶれてラシャメンになっていたのを恥じて、共に彼の前で死んでゆく。
むろん、デューマの『モンテ・クリスト』そのものでなく、黒岩涙香の『巌窟王』でもない。この有名な猟奇物語を借りるなら、もっと面白い舞台になったであろう。まだしも前半の方が芝居らしかったが、見た目で楽しいのは、孤島の竜神祭で、人柱になった竜神や、南洋的な仮面をつけた島人たちが白衣のノロをめぐる動きが、KMTらしく面白かった。海賊一味を出したことも面白いが、首領の龍を後に秘書の男爵にするのは苦しい扱いだった。(北岸佑吉)
【コラム :関西通信】(菱田雅夫)
学芸会なみのスター公演
大阪新歌舞伎座に初出演の日活スター小林旭と扇ひろ子の芝居は、スクリーンとちがって、生の舞台ではそううまくいかない。やはり学芸会なみの出来で、脇の宗之助や、大友柳太朗らが立派に見えるのは当然。梅田コマ劇場の天知茂公演も同じようなもので、延々四時間に亘る大型ドラマとのふれこみはいいが、これも脚本がよくない上に演技者の腕のなさが舞台をもりあげられない。 ここでも石山健二郎や万代峯子らが光っている。それだけにちかごろの映画スターや歌謡歌手の実演の氾濫は芝居は主役だけではどうにもならない“欠陥芝居”であることを証拠立てている。
*初期の舞台はたいてい手厳しく批評されているが、これをバネに努力したんだろうなあ・・・それにしても4時間の大型ドラマとは、少々気合入れすぎでは(見たかったけど)。
*小林旭と似てる、のだろうか・・・? 身長からして違うじゃないか! ←まずそこか
梅田コマ
天知茂の特別公演
小林旭よりは少し先輩らしいがスタイルも何もがよく似ている感じだ。共演は淀かほる、金田龍之介、石山健二郎、万代峰子、雪代敬子、芦屋雁之助ら。竹内伸光作『鹿鳴館異聞・影を追う男』三部三十四場。ただの明治ものかと見ているうちに、なんだ『巌窟王』かと気づいたら、ちゃんとプログラムにデューマ原作よりと書いてあった。
長崎奉行の下にいる有能の青年青江源之丞(天知)は相愛の浪路(淀)と婚礼の日に奉行所へ引かれる。取調べに当ったのは同僚の佐伯織部(金田)である。青江が、勤王の志士と内通している疑いをかけられたのだが、その志士こそ佐伯の実父なので、その秘密を知る青江を退け、ライバルをなくして立身しようと、廻船問屋島田屋藤兵衛(石山)の入れ知恵で、青江を親切ごかしに陥れて、流れ島の牢へ入れてしまい、自分はお船奉行に出世したばかりか、浪路を手に入れて妻にしてしまう。
島の牢で一緒だった老人(和気成一)が密かに脱出の地下道を掘っていたのを知り、十年に一度の島の竜神祭の夜に抜け出すが、金脈つきた老人から、島原の切支丹の再興の軍資金として隠している何千万両かの在り所を教えられる。折りから島は暴風雨に襲われ、海に流された源之進(*最初は「源之丞」だったのだが・・・どっち?)は漂う海賊船に救い上げられ、海賊むささびの龍(雁之助)らと八十島に渡り、財宝を手に入れ、龍を子分にする。
青江が長崎に姿を現したときは明治の世となり、佐伯は官途について検事総長になり、島田屋は銀行家として東京で羽振りをきかしていた。龍をつれて上京した青江は、八十島伯爵と名のり、彼らに近づき、鹿鳴館にも出入りして、彼らを自滅させる。佐伯の義母(万代)が島田屋と通じて嬰児殺しをしていたことをあばいて、汚職の発覚と体面をおそれる佐伯のピストルで島田屋は射たれ、佐伯も自決し、母親は発狂して火事の中で死ぬ。浪路は八十島を源之進と気づいていたが、妹の小夜(雪代)は落ちぶれてラシャメンになっていたのを恥じて、共に彼の前で死んでゆく。
むろん、デューマの『モンテ・クリスト』そのものでなく、黒岩涙香の『巌窟王』でもない。この有名な猟奇物語を借りるなら、もっと面白い舞台になったであろう。まだしも前半の方が芝居らしかったが、見た目で楽しいのは、孤島の竜神祭で、人柱になった竜神や、南洋的な仮面をつけた島人たちが白衣のノロをめぐる動きが、KMTらしく面白かった。海賊一味を出したことも面白いが、首領の龍を後に秘書の男爵にするのは苦しい扱いだった。(北岸佑吉)
【コラム :関西通信】(菱田雅夫)
学芸会なみのスター公演
大阪新歌舞伎座に初出演の日活スター小林旭と扇ひろ子の芝居は、スクリーンとちがって、生の舞台ではそううまくいかない。やはり学芸会なみの出来で、脇の宗之助や、大友柳太朗らが立派に見えるのは当然。梅田コマ劇場の天知茂公演も同じようなもので、延々四時間に亘る大型ドラマとのふれこみはいいが、これも脚本がよくない上に演技者の腕のなさが舞台をもりあげられない。 ここでも石山健二郎や万代峯子らが光っている。それだけにちかごろの映画スターや歌謡歌手の実演の氾濫は芝居は主役だけではどうにもならない“欠陥芝居”であることを証拠立てている。
*初期の舞台はたいてい手厳しく批評されているが、これをバネに努力したんだろうなあ・・・それにしても4時間の大型ドラマとは、少々気合入れすぎでは(見たかったけど)。
*小林旭と似てる、のだろうか・・・? 身長からして違うじゃないか! ←まずそこか