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御園座公演(S46年2月)[3]

2006年08月26日 | 舞台公演
あらすじ(公演パンフより引用)

宮本武蔵 三幕七場

原作:吉川英治
脚本:藤木九
演出:稲垣浩
美術:大塚克三
照明:宮田憲一
音楽:津島利章
効果:辻亨二
殺陣:宮内晶平

剣聖といわれる宮本武蔵(片岡千恵蔵)は、その生涯に何度も剣の対決を行ない勝ち抜いてきたが、京流、吉岡清十郎との試合もその一つである。武蔵に腕を斬り落とされた清十郎は、武蔵に意趣遺恨を抱かず、敗者の宿命によって吉岡家の当主の身を引いた。が、清十郎の弟の伝七郎は兄を倒した武蔵を恨みに思い、決闘を申し入れてあえなく果たされてしまった。

有名な一乗寺、下り松の決闘は、その後、伝七郎の遺児源次郎を名目人に押し立てた吉岡一門が、再び武蔵に勝負をいどんだのが発端である。当時、十歳だった吉岡源次郎の後楯となった門弟は八十人。これが一人の武蔵に向かったのである。武蔵は幼い源次郎を斬りすてて、果てしない仇討ちの根を絶ち切った。武蔵は試合にのぞんで、いつも約束の時刻からおくれて、意表をついたところから姿を見せるという策を用いたというが、一乗寺の決闘でも例外ではなかった。こういった心理作戦も武蔵の剣法の一つだったのだろう。吉岡一族を倒した武蔵にもうひとりの宿敵、しかも、またとない好敵手がいた。巌流、佐々木小次郎(天知茂)その人だった。

吉岡源次郎を斬った武蔵はうまく門弟たちをまいて姿をくらませ、一乗寺から山城と近江の国境、比叡山延暦寺へ至る雲母坂に現れた。彼を慕うお通(加茂さくら)もこの辺りにたどりついた。一方、源次郎を討たれた吉岡門下の一味、そして、武蔵が息子の本位田又八(東千代之介)を連れ出したばかりか、その嫁のお通までそそのかした悪い奴だと信じ込んでいる、又八の母お杉婆(上田茂太郎)も彼を追って来ていた。

吉岡門下の侍、小西(倉丘伸太郎)、高倉(服部哲治)たちが武蔵の背後からいきなり斬りつけたが、到底武蔵の敵ではない。軽くあしらわれ命を助けられた彼らは武蔵の「勝つための苦しみ、勝ったあとの苦しさが、剣に生きる者の生涯につきまとうのだ……」ということばに、自分たちの非を詫びて引きあげて行った。一方、お通はお杉婆につかまって折檻されたが、折から根本中堂建立に働いていた石工たちが、お通に同情して逃がしてやったので、怒ったお杉婆が石工たちに霊地で刀を抜いた罪で牢に入れられるところを、来合わせた佐々木小次郎に助けられる。小次郎は、お通の話を聞いた石工たちが武蔵の剣豪ぶりをほめたたえるのに批判的だった。一乗寺で吉岡一門が多勢で一人の武蔵に対したのは武士にあるまじきことだし、武蔵の実力も認めるが、約束の時刻にわざとおくれる駈け引きのいやしさは剣の精神に反する。ただ勝つことだけを目的の自己宣伝にすぎないというのだった。武蔵はこの小次郎の説をものかげで聞き、自分の考えと世間の人たちの評価の相違を改めて知り、小次郎にそのことばはお互いの胆に銘じておこう、忘れまいと誓い合って別れた。

お通と武蔵はついに会うことが出来なかった。武蔵は立木の幹にお通へのことばを書きしるして山を去って行く。「ゆるして、たもれ」武蔵が書き残して行ったその短い文字を読んで、お通は声をかぎりに「たけぞうさん……」と、武蔵の名を呼びつづけた……。

武蔵には彼を慕う伊織(緒方恒喜)という少年がいた。下総の国、法典ヶ原のすすき野原で、武蔵が少年を見たとき、あまりにも自分が手にかけた吉岡源次郎と似ているのに驚いた。それが三之助といっていた頃の伊織だった。三之助の父の伊織は高潔な人だったが、その朝死んだばかり。それとは知らず、一夜の宿を求めた武蔵は、少年が父の遺骸を一人で葬ろうとしている健気な姿を見て心を打たれ、その遺骸を背負い山に手厚く葬ってやった。武蔵は人に迷惑をかけるなという立派な父の遺訓を守ろうとした利発な少年伊織を愛した。伊織もこのときから武蔵を、兄とも思い慕うようになったのは当然の理であろう。
一方、又八は野望に燃えて武蔵をさそって国を出たものの、武蔵と比べうだつの上がらぬ身を、いまでは江戸の博労町で飲み屋の女朱実(高須賀夫至子)を女房に世をしのんでいた。

あるとき、このお蝶(*朱実?)のために争いをはじめた博労の喧嘩を仲裁したのが、いまは細川家の指南役に召し抱えられている佐々木小次郎だった。小次郎が二人を連れて行った博労宿で、はからずも武蔵に再会することになった。伊織が騒がしい隣りの部屋へ文句をいったことから、その仕返しにやってきた博労たちが、伊織の連れの男が二本の箸で飛んでいる蝿を掴むのを見て驚き、それを聞いた小次郎はその男が武蔵であることを知り、扇子に試合の日を記して武蔵に投げ、勝負をいどんで別れた。慶長十七年四月十三日――、その日が二人が相まみえる運命の日だった。

九州、小倉城下は近く行なわれる宮本武蔵と佐々木小次郎の試合を告げる高札を前に、その噂でもちきりであった。飴屋姿の又八と朱実夫婦も姿を見せていた。お通も試合の前に一目、武蔵に会っておきたいと病気の身を押して江戸から旅を続けて来た。雲母坂いらい武蔵に心酔している吉岡一門の小西、高倉らも武蔵の身を案じて小倉に集っていた。ただ一人お杉婆だけは、いまだに武蔵が小倉に姿を見せぬのは逃げたのに相違ない卑怯者だといい、お通の供をしてきた博労の熊五郎(名和広)に岩穴に閉じ込められてしまう。そのお杉婆をお通が助けてやるのだった。

二人の決闘の場所は赤間ヶ関の舟島。検分の役は長岡佐渡(河村憲一郎)と岩間角兵衛(小堀明男)。
武蔵は舟に乗り込む赤間ヶ関の浜辺で、いまはお通と和解して、武蔵のことも理解し心から謝る本位田のお杉婆や、お通と会った。武士の女房は出陣にあたって泣かぬもの――武蔵のそのひとことにお通も、また、武蔵も思い残すことはなかった。

舟島では、約束の辰の刻=午前七時=以前に到着した小次郎が、未明の空の下で武蔵を待っていた。その出で立ちは猩々緋の陣羽織に白鉢巻き。約束の刻限が過ぎてやっと武蔵の舟が見えた。武蔵は柿色の鉢巻き。小次郎は愛刀、物干竿。武蔵は櫂の木刀である。小次郎は時刻をたがえる武蔵の兵法をなじって、物干竿の鞘をはらい投げ捨てた。

武蔵はいう「小次郎負けたり」勝つ身であれば刀の鞘を捨てる筈はない。武蔵は舟からあがり、迎え撃つ小次郎は岩上で構える。

――間。やがて小次郎から斬り込んで足を払った。と、武蔵は飛び上がりざま木刀を打ち下ろした。小次郎の死顔を血が凄惨にいろどっていた。一瞬の勝負。武蔵が生涯に二度と会えぬ相手だった。黙々と舟に乗り込む武蔵。海の彼方に太陽がようやく昇りはじめていた……。[終]

*婆さんを助けたり喧嘩の仲裁をしたり、なにやらこまごまとした働きをしている小次郎さんのようだ
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