これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

今更、「バターン死の行進」、アメリカの日本叩き、日本のアジア回帰を阻止か!

2010-03-22 | 安全保障

大東亜戦争へき頭のフィリピン攻略戦
  アメリカが戦中・戦後宣伝に利用した「バターン死の行進」とは、第2次世界大戦、日本とアジアの関係でとらえれば大東亜戦争におけるフィリピンでの出来事である。
 フィリピンなど南方に関する作戦目的は、「東亜における米国、英国ついで蘭印の主要な根拠地を覆滅し、南方の要域を占領確保するにあり。本作戦により占領を企図する範囲は、フィリピン、グァム島、香港、英領マレー、ビルマ、ジャワ、スマトラ、ボルネオ・セレベス、ビスマルク諸島、蘭領チモール等とする。」であった。
  そのためのフィリピンに対する作戦要領は、「同地における敵を撃破して、その主要なる根拠地を覆滅するに在る。開戦へき頭陸海軍航空部隊は、共同して台湾及びパラオ方面、ならびに海上より、フィリピン方面敵航空勢力ならびに艦艇等を空襲する。海軍部隊をもってバタン半島を急襲し速やかに飛行場を整備する。」・・・・であった。
  陸軍の狙いは、軍事、政治、経済の中枢である首都マニラの占領と南部フィリピンの中枢であるダバオを占領すれば事足りると軽く考えていた。
 この計画に基づきフィリピンに対する作戦が昭和17年12月8日開始され、おおむね所期の計画通り進展、ルソン島の米軍・フィリピン軍は多大の損害を蒙った。
  米軍とフィリピン軍の主力はバターン半島へ後退、米極東軍司令官マックアーサーらはコレヒドール要塞に退避した。敵陣地の配備を軽く見たていた日本軍は当初ジャングル内の地形を熟知した見積もり以上の兵力を有す敵に苦戦したが、バターン半島及び沖合いのコレヒドール島の要塞を完全に制圧した。これが、バターン半島における作戦経過の概要である。
    「比島攻略作戦経過要因図」  
     (服部卓四郎著 原書房「大東亜戦争全史」附録第二) 
       

所謂、アメリカが言う「バターン死の行進」とは
  バターン半島制圧後、日本軍に降伏した米軍・ヒリピン軍及び避難民が予想以上に多く、勝日本軍も輸送用の車両が乏しく、これら米軍・フィリピン軍捕虜や避難民の収容所までの移動を徒歩で炎天下100キロ余り離れた収容所に移動させた。
  この行進で多数の死者が出たが、捕虜らの警護に当たった日本軍も徒歩で同行し給養面でも捕虜を差別してはいない。戦中、戦後、戦勝国側は、これを「バターン死の行進」と大々的に宣伝し戦後、マニラの軍事法廷で当時の司令官、本間雅晴中将が事件の責任者として有罪を宣告され、銃殺刑になった。
      アメリカの反日宣伝使われた 
       
写真「バターン死の行進」
          
  フィリピン方面作戦の司令官は、本間中将であったが、バターン半島とその先の離れ小島のコレヒドール島に対する作戦は第4師団が担当した。軍司令官が捕虜収容所への「行進」を命じたわけでもない。行進による死亡者発生の責任を軍司令官に負わせるのは不当であり、マニラの軍事法廷は戦勝国による復讐裁判と言われる所以である。

“65年ぶり”APが写真“説明”訂正の不自然さ、狙いは?
  65年前の出来事を、「ニューメキシコ州に住む生存者の元米兵が昨年8月、地元紙に掲載された写真を見て間違いを指摘」、APが国立公文書館の資料と照合して捕虜収容所で撮影された写真と判明したと報じている。 APが・・・・アメリカ側の視点に立った見方、アメリカに都合よく編集した記事であるが・・・・“間違い”とに気付いたのは昨年8月、鳩山民主党の勝利が確実視された時期である。
  第2次世界大戦終結の日に併せて、日本軍の残虐性を宣伝するために大々的に使った写真が、65年後“生存者の指摘”を受けるまで“間違い”と気付かなかったとは誠に奇妙なこと、デタラメな報道である。
  この写真の光景を知る“生存者”は65年前には多数いたはずである。にもかかわらず65年間、生存者は誰一人“間違い”を指摘しなかったのだ。アメリカの軍民が意図的に”間違った”写真を黙認し日本叩きのため使用してきた証拠である。

アメリカは正義の国だったか、とんでもない!
  1619年オランダの軍艦が黒人奴隷をバージニへ運んできた。その後、この地方で正式に奴隷制度が認められたのは1661年。その後アメリカのアチコチの植民地がバージニアに倣って奴隷制度を採用した。南北戦争で黒人奴隷が進んだが北部の工業地帯で黒人を安い労働力として使うためだった。長い間、「白人店主は昼間は愛想良く物を売ってくれたが夜になるとKKKとなって襲ってきた」という時代が続いた。
  黒人がより自由になったのは朝鮮戦争の頃からで、戦場で敵と戦う黒人、助けてくれる黒人を差別できないからだ。戦場では白人と平等であるが、一度、戦場を離れれば黒人は白人とは別ものとして扱われた。況や、65年前の米国は黒人差別がひどっかた。
  日本軍の捕虜となった者が炎天下の徒歩行進で多数死亡したとしても、戦時下の出来事、しかも収容所へ移動するすための行進であった。敗残兵である米軍・フィリピン軍だけでなく日本軍も食べる物・
給養は不十分だった。日本軍に輸送用の車両が不足していた状況下の出来事だ。
 バターンの行進が問題というなら、広島・長崎の原爆投下は戦争犯罪ではなかったか!原爆投下のアメリカ側にも犯罪を指摘する者がいたにもかかわらず、原爆を投下した(広島の原爆資料館の展示資料)。 戦争中の東京大空襲は無差別殺人で戦争犯罪である!アメリカは黙して語らない。ヴェトナム戦争のソンミ村の虐殺事件、イラク戦争の捕虜虐待も戦争犯罪である!
  アメリカが唱える「自由・平等・民主主義」は他国の内政に干渉する手段だった。アメリカは正義を振りかざし他国を非難する資格はない。
   原爆で焼け爛れた男性、17万名の犠牲者
  これは重大な戦争法規違反!
    
  (広島原爆資料館 展示写真から) 
  
”民主主義”の国アメリカは原爆の被害を報道することを禁止
  し、原爆を投下された日本が悪いと世論工作をした(プレスコ
  ード)。戦後の日本人はアメリカに洗脳されてきた。
   政権交代は戦後日本の歩みが見直されるということだ。
   
アメリカの懸念は、この点にもある。
    
       
(参考)原爆の地 広島で思ったこと オバマのノーベル平和賞も広島オリンピックも原爆死没者を冒涜するもの
(参考)オバマ大統領は広島に来れないはずだ、原爆投下はアメリカの重大な戦争犯罪
(参考)”まがい物”の広島の核廃絶、気持ちはわかるが・・・。原爆慰霊碑の花を撒き散らした男を逮捕 

APが訂正記事を掲載した狙い、底流にある日本に対する属国、敵対観 
  鳩山政権は対米関係でギクシャクし外交が円滑に機能していないように観察されるが、それに対し中国、韓国、インドなどアジア各国首脳との交流では波風が立っていない。鳩山政権になって従来の自民党政権の行ってきた事を見直しているが、政権交代した民主党としては当然のことであるが、長らく野党であったことから来る野党ボケの体質が抜け切れず、拙劣な外交となっている。
  首相は、東アジア共同体、インド洋における給油活動の注視、沖縄県普の天間基地問題の先送り、核の密約暴露、日米対等論、日米地位協定見直すし、アメリカ製グローバルスタンダードや金融市場主義批判など鳩山政権の一連の動きは、鳩山首相が昨年夏の選挙前に発表した「私の政治哲学」に沿って政権運営しているように欧米、特にアメリカには映るのだろう
  彼ら欧米・・・・・、白人国家、白人社会・・・・・が最も危惧するのは、戦後、アメリカの庇護の下、アメリカに従順で自らの意思で国家の運営をしてこなかった日本が、アメリカの庇護を離れつつあるのではないか、アメリカから離れ非米国家との連携強化に進むのではないか、特に中国と手を組むのではないかとの潜在的恐怖感が刺激されているのだろう。
  APの訂正記事は、65年前の日本と“日本が占領支配した”アジア各国、日本の占領からこれ各国を“開放したアメリカ”という図式をアジア各国だけでなく日本と戦った連合国にアピールする意図がありありである。
  時恰も、鳩山首相は3月19日の閣議で、持論である「東アジア共同体構想」に関し、「構想を推進するために当面取り組むことを、内閣官房が中心となって5月末にまとめるよう各閣僚に指示した。首相は「省益にとらわれず大胆、積極的に立案し実行してほしい」と述べ、東アジアとの交流深化を6月にまとめる「新成長戦略」に反映させる考えを示している。
  これと鉢合わせをするかのように「バターン死の行進」を報道するAPの背後にオバマ政権が控えていると見るべきである。アメリカを外した形で進む「東アジア共同体構想」つぶしが顕著である。度々、記してきたが日米同盟は実質的に崩壊したようなもので、アメリカが外交辞令とは裏腹に鳩山政権下の日本はアメリカに敵対するものと位置付けているものと観察される。
  底流にあるのは、日本に対する属国視と敵対観である。APの写真“説明”訂正に関する記事は、鳩山首相の舵取り次第で、日米関係が大きな岐路に来ていることを示している。


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