これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

”まがい物”の広島の核廃絶、気持ちはわかるが・・・。原爆慰霊碑の花を撒き散らした男を逮捕

2009-10-19 | 安全保障

気持ちはわかるが・・・・・・ 
 
 10月19日午前1時45分頃、広島市中区の平和記念公園で、男が原爆死没者慰霊碑の前の献花台から花束を引き抜いてまき散らしていると、同公園の警備員から110番があった。 駆けつけた広島中央署員が、近くにいた同市東区馬木、政治団体構成員で土木業の竹田英幸容疑者(37)に事情を聞いたところ、花束を引き抜き、まいたことを認めたため、礼拝所不敬容疑で逮捕した。「やったことに間違いない」と話しているという。同署によると、竹田容疑者は18日夜、同市内で飲食した後、同じ団体の構成員3人と原爆死没者慰霊碑を見ようと同公園を訪れたという。 同慰霊碑では2005年7月、竹田容疑者と同じ政治団体に所属していた別の男が、「過ちは 繰(くり)返しませぬから」と刻まれた碑文の「過ちは」の文字を、のみなどで傷付けたとして、同年10月、器物損壊罪で広島地裁で懲役2年8月の実刑判決を受けている。  
                  (2009年10月19日11時44分 読売新聞)

 碑文に腹が立つ気持ちは理解できるが、花を供え御霊に「安らかに眠って下さい」と祈った人の気持ちを踏みにじるのは言語道断である。 

「過ち」とは、何を指すのか? 
 原爆慰霊碑の碑文を見れば、一般国民の感情と異なっていることがよく分かる。慰霊碑は、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから埴輪の家の家型に設計された。埴輪の家には、中央に原爆死没者名簿を入れた石棺が置かれている。石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 私たちは繰り返しませぬから」と刻まれている。

  当時の浜井市長は碑文を自分で考えつかず、秘書を通して広島大学の雑賀忠義教授に碑文を考えてもらったという。案出された「安らかに眠って下さい過ちは繰り返しませぬから」との文言に浜井市長は驚喜し、誰もが賛成すると思ったそうだ。
  ところが碑文が完成してみると浜井市長の意図が全ての人に円滑に受け入れられることは無く、賛否両論が沸き起こった。当たり前である。

 私も慰霊碑に参拝していやな感じに襲われた。「碑文に 『過ちは繰り返しませぬから」とあるのは、無論日本を指している。それがどんな過ちなのかわからない。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人ではない。落とした者の手は、まだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は、西洋諸国が東洋侵略で起こったことも明らかである。』 とは、昭和27年広島市で開催された会議に参加のため同地を訪れた東京裁判のパル判事の言葉である。
 戦前、戦後の国内外情勢を少しでも知っている者であれば、また、原爆資料館に展示されている原爆がもたらした惨状を示す数々の遺品を見れば、誰でもこの碑文に違和感を覚えるはずである。

 一般国民を無差別殺傷したアメリカは “無罪”なのか
  軍隊や軍事工場に原爆を投下するのは戦争であるから許されるが、一般市民を警告なしに無差別に殺傷することは、重大な戦争犯罪である。戦争に負けたら、「全て私が悪うございました」と“戦争犯罪人(国)” に土下座する姿勢は卑屈である。

  こういう体質は、戦争に勝てば・・・・・戦前、勝ち戦の報に接し「東洋平和のためだ!」、「鬼畜米英殲滅!」などと狂喜したのではないか。日本軍が真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を空襲し壊滅的打撃を与えたのは純粋な軍事作戦であるが、ホノルル市の市民を目標にしたのではない。
 広島・長崎に対する原爆投下作戦を指揮したカーチス・ルメイ将軍は、戦後、「もしアメリカが戦争に負けていれば、自分は戦争犯罪人だ」と述べたという。アメリカ側ですら、原爆投下が“犯罪”であることを承知していた。しかるに、広島市(=碑文)は原爆で町が消滅し17万人とも言われる人命が失われたにもかかわらず、戦いに負けた日本を一方的に断罪している。

  碑文について広島市の公式な見解は、「浜井市長も『誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない』と、主語は人類全体とする」としている。しかしながら、素直に読めば、戦争責任は日本にあると読める。現に、私の隣で親子が参拝していたが、父親が男の子に「日本が戦争をしたから落とされたんだよ」と話していた。

  雑賀教授は、碑文を英訳するにあたってアメリカのイリノイ大学に意見を求めたという。財団法人広島平和文化センターの碑文を解説した資料によればパル判事について 「パル博士は極東国際軍事裁判で判事として、東条元首相ら全被告の無罪を主張した人ですが、博士の言葉に共鳴する人々も少なくありませんでした。」 と記述してある。

 パル判事は、当時の国際法の観点から無罪を主張したのであり、この点に留意せずパル判事や東条元首相らを頭から悪者としてとらえている。碑文には主語が無いから誤解を受ける。アメリカ人に意見を求めることなく、「ここへ来た我々は」とか、「人類は」というような主語をつければいいだけのことだ。詭弁を弄せず、はじめから誤解を受けぬ表現にすべきだろう。


”まがい物” だった広島の核廃絶の訴え
  原爆は無くさなければいけない。これは広島市の原爆記念公園や原爆資料館を訪れた者が抱く思いであろう。残念ながら、広島市は、人々のこの純粋な気持ちを生かすことなく、戦前・戦後の体制に反発し、いわゆる “反戦平和” 運動を展開してこなかったか。しばらく前まで共産党、社会党などの“反戦平和”運動や“進歩的文化人”などに“戦い”の場を提供してこなかったか。広島の核廃絶の訴えは、”まがい物”の域を出なかった。
 対人地雷の禁止のように非人道的兵器の禁止を訴えたのではなく、”反体制”を訴えたのだ。政治闘争の場を提供したような一面も伺えるがゆえに、ノーベル”平和”賞の対象にならなかったのだろう。

 慰霊碑の碑文や原爆資料館本館に展示されている資料とその説明文を見れば、そのような体質がよくわかる。広島・長崎の核廃絶の運動が左傾的体質があったため、日本国民が一丸となって取り組む運動に発展しなかったのではないか。
 広島市と長崎市の市長が周囲の者と相談することなく独断でオリンピックの誘致を決めたが、これは核廃絶の美名に隠れた浅薄なスタンドプレーである。
 いつまでたっても変わらぬ卑屈な “長いものに巻かれる” 体質は変わらないようだ。


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