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2012年、東京から秋田=夫の出身地に移住した主婦の日記。

親に感謝の言葉と言えば

2010-05-16 12:32:01 | 子・学校
先日、次男の高校で保護者会がありました。小中学校の保護者会その他の用事は大キライでサボリまくっていた私ですが、高校の用事は楽しいので、ちゃんと行くのです。

高校に出かけて楽しいところ。

(1)話が具体的である。話の論拠が明確である
=高校生の親をわざわざ呼ぶとなれば、よほど「具体的に伝えたい」という話がある時です。なので話も具体的で資料も充実、先生方の話芸も達者。

(2)子どもたちの悪い話はあまりなく、良い面をたくさん話してくれる
=私立高校だからなのか(?)、親たちを非常によくおだててくれます。お世辞とわかってはいても、嬉しいものです。良い雰囲気の時間が過ごせます。

(3)PTAに勧誘される心配がない
=高校は新入時に立候補した人が3年間ずっとやってくれるので、私のような者も気楽に通えます。

(4)帰り道、子どもと待ち合わせて寄り道ができる
=高校生の場合、「図書室で待ってるから終わったらメールくれ」みたいなことができます。


さて。
学年全体会の後、クラス毎に分かれて保護者会になったのですが、席は自分の子の席に座ります。いろんな資料に混じって、自分の子が書いた「親への感謝の言葉」というのがあったのですが。

担任の先生曰く「せっかくの機会なので、生徒達から保護者の方への感謝の言葉を書かせました」とのことでした。

で、

うちの息子が何と書いていたかというと、

「いつも弁当ありがとう」

でした。


・・・


・・・


・・・


・・・


えええ~~?

お弁当~~?

がっかりだよ~!!


どうやら、クラスの半数以上が「お弁当ありがとう」と書いたらしいのですが。
そりゃ、親は子どもに食べさせるために働いているわけだけどさー。

コンサートや映画や美術展に連れてってやったり、本だってマンガだってわんさかと買ってやったり、服だって、ちっとはオシャレなのを買ってやったりしてるじゃないっすか。

それに比べて弁当は。
正直言って、あんまり力は入れてませんわ。
惰性で作ってますんで。
悪いけど。


それに私は、ずーっと一貫して、

「自分の手料理を我が子に食べさせたい」

という気持ちより、

「いっぱい働いて、子どもと一緒に外食したい」

という気持ちが強い母親なのです。
食事の支度に手を抜いているつもりは無いけれど・・・
しかし、そういうの、子どもはやっぱり理解できないもんなのかなー。


帰宅後、私がそういう話をしたら、次男は
「いや、学校で書いたから学校のことしか思いつかなくてさー、でも、そうだよねー、こんなにマンガ買ってくれる親っていないよね、感謝するよ」
と妙に納得しておりました。

夫は横で
「だけどなー、学校で先生も見るっていうのに、マンガいっぱい買ってくれてありがとうって書けるわけないだろ? 何言ってんだ・・・」
と呆れていました。




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『校庭は守られた』の感想、追加です(4)

2010-05-10 11:04:08 | 子・学校
先日書いた『校庭は守られた』という本の感想 → 2010年5月8日の記事 で、追加です。

カワバタさんからいただいたコメントが面白かったので、記事にしておこうと思いましたのよ。
 ↓これが面白いと思ったのです。

「ぼくが知る限りこの小学校の校庭は、うちの子の小学校のよりずっと広いです。第一校庭だけでも。」

 *

江原小には第一校庭と第二校庭とあって、第二校庭のほうに幼稚園を建てるという計画がありましたと。それに反対する運動だったわけですが、第二校庭どころか、第一校庭だけでも「なんだ、けっこう広いじゃん?」みたいな話だったのですね・・・^^;;

本から引用しますと、
「現在第一、第二両校庭をあわせて耕地は11,858㎡、児童一人あたり11.9㎡(区内28校中12位)ありますが、第一校庭だけになると一人あたり8.5㎡(22位)へと転落してしまいます。」(P41~P42)

ということだったそうです。


ということは、第二校庭を除いても区内の別の学校と比べて極端に「狭くなる」というわけではなく、もっと狭い学校もあるわけで、となれば「第二校庭の【一部】を幼稚園に」という計画が、特に無理難題っていう話でもなかったのだろう・・・と想像しました。

それにしても・・・
当時は「子ども数はこれからもっと増加する、その未来の子どもたちのためにも校庭は守らなければ」という信念で活動されていたわけですが、ふと気付くと、子どもの数は少なくなっちゃっているんです。時代は変わりましたなー。


  *

あと、前回の感想で「入退会を自由にして、やりたい人がやれば、こういう活動も可能なのでは」と書いたのですが、それについては、未だに迷い(?)もあります。

というのは、「やりたい人がやる」という任意の組織が、対外的にあたかも「○○小」や「○○中」の保護者の代表のようになってしまう(=そう振舞ってしまう、もしくは、そう扱われてしまう)恐れは無いのだろうか?という不安です。

特定の思想の持ち主が多数集まって暴走してしまうことはないのか?とか、いろいろな考え方の人が広く浅く関わっていくべきなのではないか?とか、逡巡してしまいます。





本の感想というのとは別かもしれませんが・・・

この本に書かれている活動は昭和45年から51年にかけてのことなのですが、この本が出版されたのは、わりと最近(2006年8月)のことです。
その当時のことは「時代背景もあるんだろうなぁ」と思ったのですが、しかし怖いと思うのが、30数年を経てもこの活動が「全面的に肯定された形で書かれている」という点でした。

もちろん、著者を含めたPTAの方々は良かれと思って活動したのでしょうから、自分たちの活動を肯定するのは当然なのかもしれませんが、しかし! 30数年間ずっと肯定し続けているのかな、振り返ってみて反省点とか無かったのかな・・・と不思議に思ってしまいました。そして、本を書く段階になっても、運動に賛成しなかった人や反対をした人たちの意見を否定してしまうという姿勢がコワイなぁ・・・と思ったのも事実です。


とまてさんが、
「本の中に、入退会自由化については書かれているのでしょうか?」
とコメントされていましたが、

そうなんです、それが全く書かれていません。それも不思議です。

この活動の過激さ?が発端で、江原小のPTAでは保護者の半数近くが脱退してしまったらしいのですが、(ご参考 → とまてさんのブログ4月22日の記事 )
それの経緯などには一切触れられていませんでした。
・・・運動に反対の立場だった人の話が知りた~い、今のPTA活動がどうなっているのかも知りた~い!(←単なるゴシップ好きか!)

  *

「子どものため」という言葉って、怖いんです。
いつまでもどこまでも「子どもの為にもっともっと!」と欲張り続けてしまうのが、親の気持ちなんじゃないかと思います。実際、自分がそうなので。自分だって、もしこの時代のこの学校のPTA役員だったら、同じように行動していたかもしれないとも思います。

で、今だって「子どもの為に」と思ったら何をするかわかりません。他人からエゴだ自己満足だと言われても、無視して突っ走る可能性は大いにあります。(自慢してどーする?)

が、この本を読むことで

 「いや、ちょっと待て」
 「少し俯瞰して見てみようじゃないか」

という気持ちになる重要性が、非常によく理解できました。

とりあえず、「何となくPTAに参加して、うっかり役員になっちゃった」みたいなことにならないよう、よく気をつけようと思いマス。自分、周りに流されやすい性格なんでー。



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『校庭は守られた』の感想(3;ラスト)

2010-05-08 16:13:50 | 子・学校
さてPTAの活動が実って校庭は削減されずに残ったのですが、ヨカッタヨカッタ・・・ってことなのか?っていうと、やはり疑問もあります。

例えば。
「校庭も大事だが、区立幼稚園を早く近くに建ててほしい」と思う人もいるわけで、同じ小学校に通う親でも、同じ地区に住む人でも、考え方は様々だったようです。
最初のPTA会長は「校庭確保運動には賛成できない」として辞任しています。
また、一部の町内会ではPTAとは逆に「早く幼稚園を建ててほしい」という陳情をしています。

しかし著者は、そういう「別の考え方」にはあまり配慮がないどころか、批判めいたことも書いています。何だかなー・・・という感覚は拭えませんでした。

結局、幼稚園は別の場所に建てられたのですが、予定の工期より遅れた上に、場所は新宿区との境にある土地で、都市計画道路が敷設されると「中野区からは広い道路を隔てた向こう側になってしまう」(P162)というところでした。これは「致し方ない」と書かれているのですが、やはり、人によっては納得できない結果だったとも考えられます。

また、途中で辞任したPTA会長さんのこと。当初から幼稚園建設に賛成の立場だったので、PTAが出す請願書の代表人として署名捺印することを拒否し、記者会見で辞任を発表しました。
それに対し、著者は「PTAの内部が動揺しているかのような印象を内外に与えかねず、好ましいことではありません」と、実名を出して非難しています。

しかし、既にメディアでも取り上げられている段階になっていては、最初のPTA会長さんからしたら、「私は運動に参加しない」と「内外に」発表せざるを得なかったのだろうと思います。これを責めたら気の毒だなーという気がしました。

 *

賛成の立場の人、反対の立場の人、たぶんいろいろな人がいらしたのだろうと思いますが、結局「みんなが納得できる」「それぞれがそれなりに納得できる」という解決ではなかったわけで、正直なところ、この活動記録はエゴイズムと紙一重なのではないかという感想を持ちました。

「子どものため」という大義名分さえ掲げれば、全て正義になるのか・・・っていうと、
私は、疑問を感じてしまうのです。

そして、著者は「政治活動ではなく教育運動だ」と書かれているのですが、やはりこれは政治の分野の話です。「自分の子どものことでだけを考えるのではなく、未来の子どものことを考えて」と言っていますから。PTAが「子どもの為」と言ったら、政治活動までやらなきゃいけない・・・っていうのは変じゃないでしょーか。

政治に問題が多いのかもしれない、だけど、「だったら自分が政治家のつもりで動く」は変だと思うのです。

何のために政治家がいるのか、そもそも「親」の仕事は何なのか、そういう視点が欠けています。小さな子(1歳とか!)を家で留守番させて、夜遅くまで活動した・・っていうことを「頑張った」と自画自賛するのはいかがなものか・・・と頭が痛くなってしまいましたよ。


しかし一方で、「こういう活動をするのだったらPTAも意味があるのかもしれない」とも思うのです。惰性で続けているイベントや親睦の会なら、何もイヤイヤ役員を選出するPTAでなくてもいいじゃないかと思いますが、政治に物申す活動なら、やはり「PTA」という組織は有効だと思うのです。

だからこそ、「入会」「退会」は自由にして、本当にやりたい人だけがやりたい時にやるということを徹底すれば、こうした先鋭的(?)な活動も可能となるのではないかと思った次第です。




読んでいると、PTA側のやり方も区や教育委員会のやりかたも、不愉快になる話が多いのですが、しかし、勉強になりましたワー
参考にしたいところもあれば、反面教師にしたいところもあれば。

そうそう、政治家はしっかり選んで投票したほうがいいのは確かですね。


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『校庭は守られた』の感想(2)

2010-05-08 16:12:55 | 子・学校
前記事→ コレ の『校庭は守られた』の感想の続きです。

著者は昭和49年度のPTA会長さんで、経緯を簡単に書きますと。
中野区が「江原小学校の校庭の一部をつぶして区立幼稚園を建てる」と決めたことが発端で、これに反発するPTA側が「校庭を守れ」という運動を繰り広げたというノンフィクションです。今と違って子どもの数が多かった時代なので、「ただでさえ混雑する校庭なのに、更に面積を減らすのは許しがたい」という意見が多かったようです。かなり大がかりな運動だったようで、途中で委員も増やしています。
最終的に区が折れて、幼稚園の土地は別に確保することになったとのこと。

更に、この「校庭確保運動」の後半から、「校舎の建て替えを考える運動」も始まります。PTAがアイディアを出して関わり、他県の学校を見学に行ったり、近隣住民の申し入れが理不尽だと怒って日照権問題を建築家に相談をしたり、区に申し入れをしたり・・・、そういう活動です。

本の最後に経緯一覧が載っていまして、そこには「昭和45年8月から51年5月まで」のことが詳細に綴られています。5年と10ヶ月・・・ひょえ~

広報活動として、状況説明のための新聞を毎日のように(日によっては1日に2回とか)出している時期もあります。それも学校内だけでなく、地域に広く配布するために「万」の単位で印刷をした、ともありました。速報的な新聞とは別に、パンフレットも5000部作成したりしています。

バザーや廃品回収、カンパを募ったりで活動資金を作っているのですが、役員はかなりの個人負担もあったようです。何しろ、深夜の議会を傍聴して公共交通が無いからタクシーで帰宅・・・などということも。

都庁まで請願に行って予算まで取り付けてきたり、署名を集めるために街頭でも声を上げたり、教育学者を呼んで講演会を開いたり、プラカードを持って何百人と連なり町内から区役所まで歩いたり(=区長は恐れて裏階段から逃走したそうです)。

とまてさん(=とまてさんのブログ「とまて日記」) が紹介してくれた新聞記事によれば、1974年=昭和49年にはPTAは任意加入制が徹底されて、約半数が脱退したということですが。確かに、こういう状況では活動に参加できる人は限られそうです。

さて、この本では自治体側の奇妙な状況もいろいろ暴露してくれていまして、それは勉強になりました。例えば、
・教育委員は、会というより、実質は会長一人+幽霊会員数人みたいな雑な組織だった。(実質、会長一人の意向で「校庭をつぶすこと」が決まってしまっていた?)
・区議会は都合の悪い(?)議決は延々と時間を費やし、深夜まで引き延ばした
・署名付き請願書を預かった議員が、それを党の金庫にしまい込んでしまって、なかなか返却してくれなかった
・校舎の改築工事では学校側に連絡もなく強行着工をし、状況確認にいったPTA役員を区の職員が突き飛ばして怪我をさせた
etc...
本では実名が出ちゃってます^^;;

また、区内の小P連が非協力的=「無関係」という態度をとったり、PTAと町内会とが対立したり、なかなかドラマチックであります。

ちょっと思ったのは、やはり「小P連」などは形式的なもので、何の役にも立たないのだなーと。小P連が江原小PTAの活動に賛成であっても反対であってもいいんですが、話題にもせず「無関係」の立場を取るんだったら、連合組織なんて「要らないじゃん」と思ってしまいました。

また長くなってしまった、(3)に続きます。


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『校庭は守られた』というPTAの記録本が怖かった;感想(1)

2010-05-08 15:59:08 | 子・学校
校庭は守られた―江原小PTAの闘いの記録
大河内 昭子
はる書房

このアイテムの詳細を見る



ときどきお邪魔する「とまて」さんのブログ → とまて日記

で、「PTAを任意加入に切り替えたら、半数近くが退会した例」という」という記事がありました。 → 2010年4月22日の記事

1974年の新聞記事の紹介です。
中野区の江原小学校という学校でPTAが分裂し、任意加入制にしたところ、半数近くが脱退してしまったという話。(=しかし、PTAが分裂したことが怖いってことではありません)

その江原小のPTAというのは「校庭確保運動」というので有名になったらしいのですが、それについて書かれた本というのが上掲の

『校庭は守られた-江原小PTAの闘いの記録』

っていうやつなのです。

この本は、
昭和45年(1970年)から51年にかけての、江原小PTAが関わった
 
 「江原小学校の校庭を守るための運動」
 「江原地区の区立幼稚園の用地を新たに確保するための運動」
 「江原小校舎の改築に関する運動」

などについて書かれています。

・・・これが「凄い」んです。

小学校のPTAが、ここまでやるかって感じなのです。

何が怖いかと言えば、「子どものために親が活動するのは当然です」という信念が、です。・・・平成の時代に親になった私には、とても付いていけない、無理!と思って、息苦しくてなりませんでした。区や教育委員会の不誠実な対応が、PTA側の怒りの火に油を注いでいるような感じなのですが、その怒りがノンフィクションなだけに怖いのです~


長くなってしまったので、(2)に続きます。


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児童ポルノを規制しようとしてセクハラを助長するのでは困る

2010-05-01 13:12:30 | 子・学校
先日「しずかちゃんの入浴シーンにわざわざお墨付き」という記事→4月28日に書いたもの
を書いたのですが。

あらためて思ったことを書きます。
これって、セクハラを助長するような雰囲気を醸成するんじゃないですか?

都がやろうとしている青少年健全育成条例の改正って、あくまで「児童ポルノの規制のみ」考えているのでしょう。だからFAQにあるように

「パンチラや、おっぱいやお尻が見えるシーン、裸のシーン、入浴シーンやシャワーシーンの描写があるだけで規制することはありません。」

ということなのでしょうが、

しかし。

わざわざ、女児の入浴シーンやらパンチラやら半裸やらヌードやらの具体的な作品名や表現を例示して「規制しない」って宣言するのは、どうも

「18歳未満の女児の裸であっても、ちょっとならOK」
「18歳未満の女児の裸であっても、覗き見ならOK」

とお墨付きを与えているようで、非常にイヤ~~な感じがします。

児童ポルノを規制するためにセクハラ風土を助長されてもねえ。

女の子を持つ親の気持ちからしたら、児童ポルノが跋扈するのも困りますが、
「こんなことくらいでセクハラと騒ぐな」
という社会環境だって、同じくらい困るんですけど?!

これって、あれに似ています。
1つのウソをつくと、それをごまかすために、次々とウソをつき続けないといけなくなる・・・みたいな。無理な規制を1つやろうとして、他と整合性がとれなくなって、どんどん規制していかないといけないみたいな。


えーと。
しかし、だからと言って、私は
「セクハラの生まれる土壌も根絶しましょう、しずかちゃんの入浴シーンだって規制しましょう!」
などと言いたいわけじゃありません。

そうじゃなくて、

表現や出版物に、政治側が口出しをするのをやめればいいのです。
規制もせず、お墨付きを与えることもせず、

「黙ってろ。」

と言いたいわけですよ。

女児の入浴シーンやパンチラやヌードが好きな輩は、一人でこっそり楽しんでてくれよ、
表立って「OKだぞ!」と騒がないでほしいもんです。うざいよ



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しずかちゃんの入浴シーンにわざわざお墨付き

2010-04-28 15:36:03 | 子・学校
アニメ描写で都「しずかちゃん入浴ならOK」(読売新聞) - goo ニュース

曰く「東京都は26日、18歳未満の性行為を露骨に描いた漫画やアニメの販売・レンタルを規制する東京都青少年健全育成条例の改正案についての質問回答集を作成した。」ということですけれども。

東京都HPに公開されたFAQ
東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案 質問回答集

これを見ると、
「今回の対象になりません」の例として、
------------------------------------------
「ドラえもん」(しずかちゃんの入浴シーン)
「サザエさん」(ワカメちゃんのパンチラシーン)
「キューティハニー」(如月ハニーの変身シーン)
「クレヨンしんちゃん」「しんのすけがお尻を出すシーン)
「ドラゴンボール」(ブルマが裸になるシーン)
「新世紀エヴァンゲリオン」(レイやアスカのヌードシーン)
------------------------------------------

などが挙げられていました。

なんか、バカみたいだなあ・・・

何がバカみたいって、わざわざ「これはOKです」ってお墨付きを与えるのが。
マンガを読むという趣味の分野にまで、OKかNGかって、わざわざ都が口出ししてくるのがバカみたいです。また、こういうことをすることで、「問題のある表現」に眉をひそめる権利すら奪われてしまうじゃないかー・・・とも思いました。

こういうFAQも一生懸命に作った人がいるんですよね・・・想像すると力が抜けますね~へなへなへな~


項目の「5」に「子どもの、健全な成長が妨げられるのを防ぐことが目的」という一文があるのですが、

18歳未満の性行為を露骨に描いていることだけが「健全な成長を妨げる」わけじゃないのに、どうして、それだけを制限するのか?というのが、私には未だにナゾです。

今、都が規制しようとしているものが、「子どもの健全な成長を妨げている」という具体的な証拠は無いようなので、ってことは、根拠があろうが無かろうが「不健全だから」って都が言い出せば規制できるってことです。

逆に聞きたいです、どうしてしずかちゃんの入浴シーンは問題が無いのですか?
それが「子どもの、健全な成長を妨げない」という根拠があるのでしょうか?

キューティハニーが半裸になりながら変身するシーンが、どうして問題が無いのですか?
女性の裸体を商品として扱っていませんか?

・・・みたいな質問と回答が無いのはなぜですか?


わざわざ作品のひとつひとつをチェックして、これはOK、これはNGって、都はチェックするつもりなんでしょーかー。

そういうチェック作業にだって税金をつかうんですよ? そんな仕事をする人に税金つかってくれなんて、誰が頼んだんだよー・・・あ、東京都小Pですか。あの胡散臭い都小P。東京都の小学校を代表しているわけでもないのに、都小Pと名乗っている怪しい団体、都小P。

あらためて思うのですが、NGを出す表現を決めるということは、それ以外の表現にOKを出すということなのですね。

でも、実際には「これって、どうなの?」みたいなものは、いくらだってあると思うのです。規制をする対象を、仮に「真っ黒なもの」だとします。でも、「限りなく黒に近いグレーのもの」であっても、「真っ黒じゃないから規制しない」とすると、

「限りなく黒に近いグレー」は「OK」

であると、わざわざ都がお墨付きを与えるようなことになりかねません。
そんなの、むしろ迷惑です。害悪。


こちらでは↓
IT Mediaのニュース

こういうふうに書かれていました。
----------------------------
FAQについて、識者からは「条文と違う」など問題点を指摘する声があがっている。漫画評論家の藤本由香里さんはTwitterで、「『明確に描写』とか『悪質な』とか『不当に誇張・賛美』などの限定は条文には全く存在しない」などと指摘。「松文館事件」で被告側弁護人を務めた弁護士の山口貴士さんは、「言い訳をだらだらとするのではなく、曖昧な条文を変えて下さい」と苦言を呈している。
-----------------------------


私は、条文をどうしようが何だろうが、出版や表現や言論に権力が口を出すことが間違っている、と思っていますが。でも、せめていい加減なやり方や姑息なやり方や阿呆なやり方で、条例を決めるのはやめてほしいと思います。

はーあ・・・

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勝手にリンク/内田樹研究室【非実在有害図書】

2010-04-24 16:06:11 | 子・学校
新書『日本辺境論』などで有名な内田樹センセイのサイトで、「東京都青少年健全育成条例」について書かれていました(ようやく!!)。
 ↓
内田樹研究室「非実在有害図書」


勝手にいろいろ引用します↓

------いろいろ引用-------
「それ自体有害であるような表現というものはこの世に存在しない。」

「統計が教える限り、「有害」表現規制と「有害」行為の発生のあいだには相関関係がない。」

「前にもこのブログで書いたが、少年犯罪は戦後一貫して減り続けており、日本は「少年犯罪が異常に少ない国」ということでヨーロッパから視察団が来るような国なのである。

「家庭内殺人」も少ない。
「殺人事件全体に占める家庭内殺人の比率」は相対的に高いが、それは殺人事件そのものが減少しているからである。2007年には統計史上最低値を記録した。
わが国の、殺人事件発生率は、人口10万人あたりの1件で、先進国中ではアイルランドと並んで最低である。

ロシアは日本の22倍、イギリスは15倍、アメリカは日本の5倍、ドイツ、フランス、イタリアも日本の3倍である。

2009年の殺人発生件数(1097件)は戦後最低を記録した。

今回の条例は青少年の犯罪を憂慮して起案されたもののようであるが、少年犯罪だけを見ても、強姦件数が最多であったのは1958年の4649件であり、以後減り続け、2006年は116件にとどまっている。
半世紀で「最悪の時代」の2.5%にまで減少している。

少年犯罪件数が最高であった1950年代末を私はリアルタイムで経験しているが、私の記憶する限り、1958年に街には「有害図書」を子どもたちが自由にアクセスできるような機会はなかった。

もちろん、コンビニもなかったし、書店の子どもの手が届く本棚にはそんな本はなかった。
エロゲーも、ポルノビデオもなかった。
性に関する情報から子どもたちは遮断されていた。

そのような状況のときに、少年の性犯罪発生件数が最多を記録した。
この事実から私たちが推論できるのは、性犯罪の多発と「有害」図書のあいだに有意な相関は見られない、ということである。」

「「有害」な行為は件数がいくら減少したとはいえ、たしかに現代日本社会に厳として存在する。
それを規制することは私たちの願いである。

けれども、ほんとうに有害な行為を抑制したいと望むのであれば、「どのような歴史的・社会的原因によって有害行為の発生件数は増減するのか?」についてもう少し真剣に考察するところから始めてもよろしいのではないか。

都庁には、それなりの人的資源があるはずである。
それをどうしてもう少し世の中の役に立つことに使わないのであろうか。」

-------いろいろ引用おわり--------


しかし・・・

こうやって「因果関係は無いはずだ」「もっときちんと考えようよ」って、
いろんなところでいろんな人が言っても、肝心の都が頑なになって考えたりしない可能性は高いですよねー

どうしたら良いんでしょうか。

どうしようも無くても、言わずにおれないので、何度でも言いますけど。
ちゃんと考えてくれれば、評価してやってもいいです。ふんっ!!

それとは別に、自分ちの子供の躾けっていうのは、どういう時代であっても(犯罪件数が多かろうが少なかろうが)、必要です。当たり前のことですが。


前にも書いたのですが。
私は、子供だけでスーパーやコンビニや書店などに行かせるべきではないと思うのです。スーパーやコンビニや書店は、あくまで「買い物」の場であって、子供の遊び場では無いからです。

もちろん、大人が子供を買い物に連れて行き、その場で社会勉強をさせるのは必要です。でも、子供だけで「好きに買い物をさせる」とか「好きにぶらぶらさせる」のは、勉強ではないし、間違った認識(=ショッピングセンターは子どもの遊び場であるという・・)を植えつけるだけでしょう。勉強をさせたいのなら、大人が一緒に付いていて、社会のルールやマナーを教え込むべきなんです。

近所の顔見知りの商店に、親の使いで子供を行かせて、「こんにちは」「これください」とやらせるのはいいです。それは立派な社会勉強です。でも。黙って店内に入り、黙って商品を選び、黙ってレジでお金を払うようなスーパーやコンビニなどは、子供の社会性を育てる場にはなりえません。

子供に買い物をさせるなと言うことではありません。日々の生活の中で、家事の一環として、子供が家族の一員として「買い物」をするのなら、良いのです。しかし、娯楽としてのショッピングは、子供の教育上、不適切だと思います。大人は、自分で稼いだお金でショッピングを楽しむことがあります。それは、「自分で働いた金を自分でつかう」という大人「だけ」の愉しみであり、特権のはずです。

また、
私がうちの子によく言っていたのは、「子どもだけで店をふらふらしてて、万引きを疑われたらどうする」でした。うちの子は万引きなんかしません。が、そんなことは親だけが知っていることです。

本当にやるかどうかは関係がありません。
巷で「遊び気分で万引きをする子が増えているらしい」「万引きの被害額は店の経営を圧迫するほどらしい」という噂が流れているのに、子どもだけでふらふらと遊んでいるグループがいれば、疑いの眼差しで見られても不思議ではありません。本当にやるかどうかという問題とは別に、「人にどう思われるか」という問題があるわけです。

人にどう思われても関係ない、と言いきるのは、自分で責任が取れる大人になってからです。私は親として、自分の子が他人から疑いの目で見られる状況を作り出さないようにする義務があると思っています。それが親の務めであり愛情です。

そういうわけで、自分の子供を「コンビニやスーパーへ子供だけで行ってはいけない」と躾をしておけば、何も有害図書がスーパーやコンビニに置いてあったって困りはしません。自分の子供をきちんと躾け、自分の子供を信じましょう。それで解決ですわ。


ちなみに・・・
それでも、どうしても子どもだけでスーパーへ学用品などを買い物に行かせる場合があります。(コンビニには行かせません)

そういう時はどうするかと言うと、「親の使い」であることをアピールさせます。例えば、

・スーパーで回収している牛乳パックや食品トレーなどをたくさん持たせる=買い物中は持ったままアピールしておいて、最後に回収ボックスへ入れて帰ってくる。
・まず、「大根」や「トイレットペーパー」など、大きくて目立つものを買わせ、それから自分の買い物をさせる

等々。。。

自分の子を可愛いと思っている親御さんたちに、おすすめする次第でございます。



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学校からの依頼、何でも引き受けなきゃいけないわけじゃない

2010-04-21 13:59:50 | 子・学校
先日の「学級崩壊リポートで他の保護者5人から吊るし上げをくらった」というニュース
学級崩壊リポート非難され「ショックで通院」(読売新聞) - goo ニュース
から、また続きを書きたくなりました。

このニュース、もし人数が逆だったら印象がずいぶんと変ります。
例えば、
--------ここから仮定の話です・・・
授業参観に10人の保護者が参加して、そのうちの5人の保護者が共同で学級崩壊リポートを書きましたと。そこにはA君の問題行動について書いてあり、学校側が名前の消し方が雑なまま保護者会で配布してしまいましたと。保護者会ではA君一人が学級崩壊の原因であるかのような雰囲気になってしまい、A君ママは大ショックを受けてしまいましたと。その後、A君ママは学校側にリポートを書いた人を確認し、5人に謝罪を求めましたと。校長はその場にいましたが、ほとんど発言しませんでしたと。
---------作り話おわり・・・

もし、そういう話だったとすると、
・学級崩壊の原因をA君一人に押し付けちゃ可哀想だよなー
・学校がA君やその家庭と個別に話し合えばいいのに、保護者会全体で一人を責める形しちゃうのはひどいなー

という感想が出てくるように思います。

それって、やっぱり学校のやり方が変だよねーって気持ちになりました。
最初にニュースを読んだ時は「5人が1人を」というのがインパクト強すぎて、訴えるのは学校だけでいいのか?と思ったのですが、あらためて考えると、やっぱり学校の責任が9割って感じだよなーと思ったのでした。

本当に解せないのは学校のやり方です。
学校は、学級崩壊状態を保護者に見せて何をしたかったのか?
保護者にリポートを書かせたり、保護者会で配布したり、それは何を目的としたものなのか?

それって・・・学校は自分の仕事を放棄して、問題を保護者に丸投げしたかったってことでしょ?!

ちょっと話は飛びますが、ときどき拝見しているまるおさんのブログ
→ ブログ「まるおの雑記帳」
に、
では、病院のお手伝いはなぜしない?

という記事がありました。なるほど!と目からウロコの話でした。

一部を引用しますと、
---------引用ここから
PTA活動に積極的に参加すべきだと言う人が、
「学校のお世話になっているのだし、今の先生達は本当に忙しいのだ。だから、私たちがすこしはお手伝いしなくては。」
てなことを言っていた。

それを言われた時は、「う~む」と釈然としないものを感じながら、何も言い返せないでいた。
そんな時、ナイスな切り返しをする人がいた。

いわく、
「じゃあ、あなたは家族が世話になっていたら、病院や老人施設のお手伝いをするのか? 家族が世話になっている人にはお手伝いをする責任があると言うのか?」
と。
------引用おわり・・・

で、件のニュースの学校ですが、学校が自分の仕事を放棄して保護者に学級崩壊リポートなどを書かせたり、それを保護者会資料として配布をしたりするのは、例えて言えば、
「病院の医者や看護師さんが自分の仕事を放棄して、患者の家族に肩代わりさせている」のと同じじゃないかと、そう思うのです。

患者の家族に、たまたま注射のうまい人がいたので任せちゃいましたー
患者の家族に、たまたま○○病に詳しい人がいたので治療を任せちゃいましたー

とか。

って、ありえねー。

学校が、保護者にやらせていいことと悪いことがあると思います。

で、

保護者の側も、やっていいことと悪いことがあると思うわけです。

学校からの依頼なら、何でもやらなきゃいけないとか、やることでお手伝いになれば、などと思うのは間違っています。自分を利用したり騙そうとしたりするのは、何も振り込め詐欺のヤツだけじゃありません。身近にいる、「いつもお世話になってるし」とか「いい人だし」という相手だって、安心してはいけないのです。

よーく考えてから行動しましょう。

えーと。
何が言いたかったのかと言うと、

保護者は学校の下請けではないし、下請けになるべきではないし、PTAだって学校や先輩ママから強制されてやるものじゃないし、そもそもPTAは入退会自由な組織だから入学と同時に強制されるのは間違っているし、

というところに着地したかったのでした。

強引ですが。


ご参考;過去記事 → PTA、実は入退会自由 

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ケンカに負けてはいけない理由

2010-04-21 10:53:04 | 子・学校
先日、私は「ケンカをするなら勝て、勝てないなら逃げなきゃダメ」ということを書きましたが、→売られたケンカを買うなら勝ちなさい;勝てそうにないなら逃げなさい
少し補足したくなりました。

ケンカなんかしないほうがいいに決まってます。心身も消耗するし、時間も、場合によってはお金もかかります。
でも、どうしてもケンカしなきゃならない時には、

【全力で勝つつもりでやらなきゃ意味が無いのです】。

安易にケンカを売ったり買ったりして、中途半端にすごすごと引き下がるのなら、最初からやるべきではないのです。勝ち目の無いケンカ、意味の無いケンカに巻き込まれそうになったら、全力で逃げなきゃいけません。

どんな人だって、ケンカなんかしないほうがいいでしょうが、私は自分が子育て中の親なので、特に「心身を消耗しているヒマなんか無い」と思ってしまいます。他人とケンカするヒマがあったら、自分の子を可愛いがらなきゃいけないのです。(独身の頃はけっこう平気で無駄なケンカをしていたんですが;反省)

それでも、どうしてもケンカしなきゃならない時というのはあります。
そういうときは必ず勝たなきゃダメだと思います。理不尽な目にあってツライのなら、その原因を取り除くまでやる、それが「勝つこと」です。文句を言うだけ言っても、最終的に状況が変わらなかったり、悪化したりというのではダメなんです。

ケンカは、中途半端に負けてはいけません。負けても自分が我慢すればいいのだという考え方はダメです。負けるくらいなら、最初から関わってはいけないのです。

なぜ負けてはいけないのか。

それは、問題を更に強固にしてしまうったり、追認してしまうことになりかねないからです。

例えば、Aさんが何か理不尽な目に遭ったとします。原因がBさんのCという行為だとします。ここで、AさんがBさんと安易に戦略も無くケンカして、中途半端に諦めてしまったとします。

するとどうなるか。

BさんのCという行為は

「Aさんと最初はモメたが、結果的に認められた」

となってしまいます。
もしかしたら、他の人もBさんのCという行為に頭を痛めていたかもしれません。どうやったら解決できるか、DさんとEさんとFさんが共同で戦略を練っている最中だったかもしれません。

なのに、Aさんのやり方で、かえってBさんが意固地になってしまったり、Bさんは容認されたと判断して堂々と大幅にやるようになってしまったりするかもしれません。そして、今まで困っていなかった人まで困り始めるという事態を招いてしまうかもしれません。

それは、Aさん一人が我慢すればいいという話では済まなくなってしまいます。

これではダメダメです。
ケンカは、必ず勝たなきゃいけないのです。
ケンカは、勝てないのなら最初からやっちゃいけないのです。

ケンカは負けちゃいけません。
もしケンカをするなら絶対に勝つまでやらなきゃ意味がありません。勝てなきゃ事態を悪化させる可能性が高いのです。
ケンカをしなきゃいけない時は、全力で勝つための手を打ちましょう。

しかし、ケンカって、大抵の場合は白黒つけずにうやむやになることが多いと思います。
だから、やんないほうがいいに決まっています。

そんなもんなんですよ。



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