前記事の続きというか、余談ですが。
よく「学級崩壊」という言葉を聞きますが、私は、崩壊して困るのは「教育」であって「学級」じゃないはずなのに・・・と、前から思っていました。どうして「教育崩壊」ではなく「学級崩壊」と言うのでしょう。「教育」のほうは二の次なのでしょうか?
学級崩壊が増えているとしたら、それは、
・「学級」の教育的効果が薄れているのでは
・「学級」の悪影響が出ているのでは
などとも思ったりするのです。
しかし、学校の先生にとったら、崩壊して困るのは教育じゃなくて、やっぱり「管理手段としての学級」なのでは?・・・と疑っている今日この頃。これは別に、今回の授業参観で思ったわけではないのですが。
「学級」がうまく機能しているからといって、それが教育的に「良い」のかどうかは、私には判断がつきません。っていうか、疑問。
いい大人になっても「みんなで一緒が当然」とか「自分だけ○○なのはよくない」とか、そういう言い方をして少数派をいじめる人・・・例えば町内会とかPTAとか・・・もいるみたいですが、
それって、学校教育での「学級活動」を大真面目に受け入れて、未だに大真面目に実践している人なんじゃないかって思ったりするんですよ
「みんなで一緒が当然」というのは、管理する側にとっては「便利」な思想ですが、個人個人にとったら不自由なものだったりもします。注意したいものです。
いえ、娘の担任の先生は、若くて頑張ってらっしゃってて、個人的には「かわいいわねー」と思って眺めているんですが。できれば、あまり張り切りすぎずに力を抜いてやっていただけると嬉しいと思います。
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よく「学級崩壊」という言葉を聞きますが、私は、崩壊して困るのは「教育」であって「学級」じゃないはずなのに・・・と、前から思っていました。どうして「教育崩壊」ではなく「学級崩壊」と言うのでしょう。「教育」のほうは二の次なのでしょうか?
学級崩壊が増えているとしたら、それは、
・「学級」の教育的効果が薄れているのでは
・「学級」の悪影響が出ているのでは
などとも思ったりするのです。
しかし、学校の先生にとったら、崩壊して困るのは教育じゃなくて、やっぱり「管理手段としての学級」なのでは?・・・と疑っている今日この頃。これは別に、今回の授業参観で思ったわけではないのですが。
「学級」がうまく機能しているからといって、それが教育的に「良い」のかどうかは、私には判断がつきません。っていうか、疑問。
いい大人になっても「みんなで一緒が当然」とか「自分だけ○○なのはよくない」とか、そういう言い方をして少数派をいじめる人・・・例えば町内会とかPTAとか・・・もいるみたいですが、
それって、学校教育での「学級活動」を大真面目に受け入れて、未だに大真面目に実践している人なんじゃないかって思ったりするんですよ

「みんなで一緒が当然」というのは、管理する側にとっては「便利」な思想ですが、個人個人にとったら不自由なものだったりもします。注意したいものです。
いえ、娘の担任の先生は、若くて頑張ってらっしゃってて、個人的には「かわいいわねー」と思って眺めているんですが。できれば、あまり張り切りすぎずに力を抜いてやっていただけると嬉しいと思います。
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