ユメノソラ
山も川も原っぱも森も東京にはない
だからそうしたもの全部の代わりに
あたしは空を見上げる
ちょっと汚くて
ちょっとウソっぽいけど
ないよりはいい
新年あけましておめでとうございます。
のっけから詩の切れ端のようなものを掲げましたが、この「ユメノソラ」っていうタイトルがふと浮かんで、その後が続かなくなりました。お題をいただいていたりすると、ここまでできればちょっと強引でも書いてしまうんですが、別に注文ではないのでいろいろ考えてしまいました。
ユメノソラってカタカナにしたのは、それが流行りっていうことがあります。実際、検索してみたらコスプレ・アイドルさんの最近の歌にありました。たぶんそっちの方が見て楽しいと思いますけど、今風のかわいいい感じ+人工的な感じを意識しているわけです。フィギュアの肌触りと言えばわかりやすいかもしれません。
夢って言葉の意味にはもちろん寝てるときに見る場合と願望とかいう場合との両方があって、おそらく英語を始めとした外国語でもそうでしょう。「あたしの夢」って使い方だと願望になることが多いでしょうし、「夢の空」も明るい希望の歌のような感じがふつうなのかもしれません。でも、私はつかまえどころのない言葉を二つ重ねていることもあって空虚なイメージを持ちますし、寝てるときに見る夢に出てくる空、つまり上にあるのかどうかもわからない、明るいとも言えないようなイメージがあります。
これはまさにシャガールの絵です。であれば空にいろんなものが浮遊しているわけで、1行目から3行目が自然に出てきます。……そう考えて書いたわけじゃないですけど。それよりは「ない」っていうことを描いてみたかったんですね。東京の空にないはずの田舎の風景を描く。それは存在しない風景だけれど、印象としては残る。私のブログやサイトをよく見ていただいている方は「また定家かい?」って笑うと思いますが、まあだいたいはそうです。根がノスタルジックな人間で、それを時間的な言葉を使わずに表すにはこういうのがいちばんいいと思っています。
こうやって説明しちゃうと後半3行は東京の空を見ながら子どもの頃の澄んだ田舎の空やその下の風景を思い出していることになって、なんだか「智恵子抄」みたいになってしまいます。まあ、それでもいいし、読む人の自由ですが、私としてはさっき書いたことと「ウソっぽい」とか「ないよりはいい」という言葉を合わせて、意識の持ちようでどうとでもなるようなヴァーチャルな、投げやりな感じを出したつもりです。とは言え、ニヒリズムってほどでもないし、暗いわけでもありません。
流行やファッションに自分をぴったりと合わせることができなくて、かと言って、そういうもの全部を否定しているわけでもなく、自分自身に満足もしてなくて、うまく付き合えないけれど、行ったり来たりしながらなんとかけなげに生きている。そんな女の子を描くのが私は好きです。フィギュアである自分に違和感を持つフィギュアと言えばいいかもしれません。そういう感じがこの切れ端に出ているかどうかはわかりませんが、自分としては気に入っています。気に入っているだけにうまく続けられずにこんなことを書いてしまいました。でも、それじゃあんまりなんでちょっと無理やり最後のところを書いてみました。ご覧のとおり言葉を置き換えただけですし、本当だったら真ん中に1つか2つ、別のスタイルのスタンザ(カタマリ)が来るんですが、今はどっちもできそうにありません。……まあ、これでもないよりはいいってことでw。
恋も夢も希望も悲しみもあたしにはない
だからそうしたもの全部の代わりに
東京の空を見上げる
ちょっと狭くて
ちょっとギザギザしてるけど
ないよりはいい
ゴンドラの歌は黒澤監督の「生きる」でさえ昔の歌って言われてましたね。いい歌ですけど。
ソフトバンクですか。私はauです。人気があるそうですけど、そんなにいいとも思えないです。あうw
イノチミジカシコイセヨヲトメ~♪
なんていうのもあります。
しかしこのサイトおもしろいですね、お気に入りに入れちゃいました。
ちなみに私はソフトバンク~
しかし、コドモノクニって……これ↓は違うでしょ。
これは。肉の携帯電話みたいだしw
http://www.library.metro.tokyo.jp/17/005/17a00.html
ないよりはいい、というのにものすごく前向きなものを感じました、なんか切ないほどに。
ユメノソラ、というのを見て、ヨゾラノムコウ、ていうのとコドモノクニ、ていうのが2パターン浮かんだのですよね。
さすがに地平線までは見えませんが…
これが芸術の効用ですというとバカ丸出しですが、これが論理的な文章だと予想外の読まれ方をすると不愉快になったりしますからねww
しかし、目線の方向に空があるってのはすごいです。アフリカの人の視力が6.0あるとかそういう話を思い出しましたw
Today is a…の方が一見幸せな詩のように見えますが、全て満ち足りてしまうとあとは死ぬしかないと考えるとあちらは終わりの詩、ないよりはいい、と思えるところから全てが始まると考えると、こちらは始まりの詩と言えるかも知れませんね。
カタカナは流行りでもあるけれどレトロな感じもあります。
都心では空を見るためには見上げるという動作が必要なんだ、と改めて思いました。私のところは目線に空があります。(やっぱり智恵子抄になりそうw)