「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

ドライブマイカー 感想

2022-04-15 19:42:54 | 書評

先日みた映画「ドライブマイカー」の感想を書きたい。
なお、あらすじなどは書くつもりはないから、別のサイトに譲る。
ここでは私の思ったことを書く。

「行間」が、この映画のテーマだったと思う。
「書けない思い」というものが描写されていた。
掛かれない、表現されない「行間」というのは世の中に多くあり、とりわけ文化芸術作品ではこの「行間」を楽しむもの。だと思う。

映画のディテールで、説明不足なものを感じた事象もあったが、所詮は大衆娯楽作品と割り切り、それこそ「行間」の一部として私は解釈した。

「行間」は各々が感じるものだから、解釈はたくさんある。
また「行間」が解明されてしまうと、関係性が修復不可能になる。かのような「行間」もある。
人間には騙されていとわかっていてもあえて、「行間」に伏せている場合もある。

この「行間」は、犯罪行為をしてしまうような、重度の自閉症と反社会性人格障害を併発している人にも表れていると、裁判事例から学んでいる。
自閉症スペクトラムであると公言している人の中のごくごく一部に、様々な場所で反社会的活動を行い裁判で有罪判決を受けた人物もいる。
犯人は障害により「行間」を読めないふりをしているが、実はしっかり読んでいる。
裁判過程で犯人が、実は行間を読んでいた。正確に理解していたことが、あきらかになっている。
行間を読んでいても読めないふりをして犯行を重ねる。
発達障害だから逮捕されないと勝手に思い込んでいた、警察がやってきて逮捕されたらしい。
当たり前である。少なくとも「行間」は読めくなても「分別」はつくはずだ。発達障害だろうが自閉症だろうが統合失調症だろうが、犯罪行為は厳正に裁かれるべきだ。

「行間」は、たとえ重度知的障害を持つ自閉症者でもわかる人にはわかる。
例えば東田直樹さんは行間を読んで、ひげの医者たち一部の心無い児童精神科医集団に、公に反発したことは、過去私のブログでも触れた。

一部高学歴の自閉症者が、快楽か独特の価値観だか何だか知らないが、障害により「行間」が全く読めないふりをして方々で狼藉を働いているが、大変滑稽に思う。
世間の無知と一部専門家のポエムに乗っかる、くだらないこだわりだと思う。
 
今あげた諸事例でも、映画ドライブマイカーでも、「行間」は、
私たちは表面上読まないふりをしつつ、悟って対策を講じる。というのが大人の選択だと思う。
映画では見て見ぬふりをしつつその場を作ろう様が演じられていた。それが普通だと思う。
「行間と向き合う」なんてやったら、多くの関係性が普通に壊れる。
しっかり判明するととんでもない「行間」は世界に多々ある。
行間と向き合えないから、目に見える価値で妥結しているのが、裁判を含め、大人の営みというもの。

あるいは、もしかしたら、村上春樹の「ドライブマイカー」では、映画とは違う印象があるかもしれない。〈まだ読んでいない〉

実用向きではないが、いろいろな「行間」が感じられて、想像力を掻き立てられて、面白い作品だと思う。
風景描写もきれいだった。
言葉の通じ合わない人たちが心を通わせる光景は美しいと感じた。
 いい映画だったと思う。お勧めします。


 
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