「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

精神障害とキリスト教会についての一考察

2020-09-27 18:01:32 | 当事者研究

精神障害と教会について、調べつつ考えた。

 

私は自称、クリスチャンである。1996年の12月に現在某大学学長である当時牧師による全浸礼のパプテスマを受けている。それを有効な洗礼と認める人にとっては、私はキリスト教徒だ。

当時の職場でパワハラに合いついに入院に至る前まで、非常に熱心な教会員だった。直前は教会役員だった。日曜日は早朝から夕方まで教会にいて、献金も20年通算で果たして何百万円出したのだろうか。

今は行っていない。退院後、礼拝に出たが、悪魔祓いする信者やら何やらがいた。

もともと教会とは自ら信者と主張して意地でも一員として認めさせなければならないようなところで、当時も今も最早、そこまでして留まることができないのだ。

今でもよく、日曜日は教会に行きたいと思うが、教会は障害者のためにあるものではない。ごく一部の教会を除き、基本的にキリスト教会は障害者の居場所ではない。寄せ付けない場所。と言ってもいい。そのごく一部の教会もまた、その教会構成員の属性にそぐわなければ排除されることは、他の教会と全く同じなのだ。

障害をオーブンにしてもクローズであっても、もはや私に教会員の椅子はない。

障害をオーブンにすれば、病は悪魔の祟りだと言い張る人間との戦いが起きる。面倒この上ないこととの戦いで、教会は最早心の休まる場所ではないのだ。

クローズにすれば、年相応の献金と奉仕という名のボランティア活動を求められる。今の私に月うん万円もの献金を教会に捧げる経済力はなく、ボランティア活動をする身体的余力もない。そして、使えない奴は排除されるのは、企業も教会も同じ。

 

熱心な活動の結果、精神を病んだ牧師に出会っている。単立で好きにやっている先生はともかく、教団や教会にやとわれる立場だとその立場を維持できず、続けられないのだ。

教会は実は、弱者に厳しい。という現実があるうえ、教会もまた「この世」なのだ。不正経理があれば不倫の現場でもある。搾取の現場、であるかもしれない。アメリカなどでは教会が深く政治的利権に結び付き、かつてのルワンダでは虐殺の扇動が教会で行われた。それがキリスト教会だ。そういうのと、関わり続けるエネルギーが今はないのだ。

 

私はこの一文をもって、教会に行くのをきっぱりあきらめ、もっぱら個人的に信仰を守ろうと、心に決めた。

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