坂本龍馬関係文書
『三吉愼蔵日記抄 坂本龍馬に係る件』
日記抄録
慶應二年同月廿三夜
一 坂本氏のみ京師より來着に付き兼て約し置きたる通り手當て致し夜半迄
京師の様子尚ほ過る廿一日桂小五郎 西郷との談判
(薩長兩藩和解して王政復古を企圖すること)
約決の次第委細坂本氏より聞取此上は明廿四日出立にて入京の上薩邸に
同道と談決したり
されは王道回復に至るへしと一酌を催ほす用意をなし
懇談終り夜半八ッ時頃に至り坂本の妾二階下より上り店口より
捕縛吏入込むと告く
直に用意の短銃を坂本氏へ付し拙者は手槍を伏せ覺悟す
此時一士刀を携へ兩人の休所に來り不審の儀有之尋問すと
案内なる押入る兩人誰何し薩士の止宿へ不禮すなと叱れは
彼れ僞名なりと云ふ故に
疑ひあれは當所の薩邸へ引合ふべし明自なりと云ふに
彼れ又た云ふ
兩人共武器を携へ居るは如何と是れ武士に常なりと答へしに
彼れ階下に去る此機に乗し樓上の建具を一口に打除ケ拙者は手槍を搆へ
坂本氏を後立て必死となる
忽ち階下より數人押し上り各々得物を携へつ、
肥後守より上意に付き愼み居れど彝高く呼に立つるに因り
我れは薩人なり上意を受くべき者に非すと云ふを相圖に
兼て約せる覺悟の通り一同銃槍を以て發打し
突立つる彼れに死傷あり階下に引退く
其際一名坂本氏の左脇に來り刀を以て拇指より拇指より持銃に切り付く
坂本氏傷を負ふ此時槍を以て防きしも坂本装薬叶はさる由を告くるに由り
此上は拙者必死に打ち込ぬと云ふを坂本氏引止め
彼れ等退きし猶豫の間に裡手に下り此場を切り拔け去ると云ふ
其意に任せ直に坂本氏を肩に掛け
裏口の物置を切り扱け兩家程の戸締りを切り破り挨拶して
小路に遁れ出て暫時兩人とも意気を休め
夫より又走る途中寺あり此圍板を飛ひ越んとするに
近傍多數探索者ある様子に付路を轉じて川端の材木貯蔵あるを見付け
其棚の上に兩人とも密に忍ひ込み種々死生を語り最早逃路あらす
此處にて割腹し彼れの手に斃るを免かるに如かすと云ふ
坂本氏曰く
死は覺悟の事なれは君は是より薩邸に走附けよ
若し途にして敵人に逢は、必死夫れ迄なり
僕も亦た此所にて死せんのみと時既に皢なれは猶豫むつかんと云ふ
其言に從ひ直に川端にて染血を洗ひ草軽を拾ふて旅人の容貌を作し走り出ッ
其際市中の店頭に既に戸を開くものあるを以て
尚ほ心急きに貳町餘り行く幸ひに商人体の者に逢ひ
薩宅のある所を問ふに是より先き一筋道にて三丁餘りなりと云ふ
即ち到る留守居大山彦八出迎へ昨夜の様子は坂本氏の妾來りて注進す
行違如何やと煩念の處天幸なるかな此に遁れ来るとは
今ま坂本氏は無事に連れ歸るへし
三吉氏は是に止り居るへしと云ひ捨て
大山氏自ら船に印を建て有志兩三名と棹して坂本氏の潜處に到り迎へて還る
一同閧然偸快の聲を發す
爾後門の出入を厳守せしめ急に京師西郷大人の許に報す
因て吉井幸輔乗馬にて走せ付け尋問す具さに事情を語る
又た西鄕大人より兵士一小隊醫師一人差添
坂本氏の療治手當方兩人守衛の為め差下す由にて來着す
實に此仕向けの厚き言語に盡す能はす
夕刻に至り兩人共に衣服の仕向け有之然處薩邸へ走り込みたる段
奉行所よリ留守居所に糺問になり
兩人共に可和渡と申來り候得共右樣の者は邸内には無之と申し切り候
夫より人數の手配をなし探索更に厳なり
或は京坂へ人相書を廻し頻りに薩邸を窺へとも
邸内には一小隊兵士のある故妄に手を着くること能はす
扨寺田屋には變動の翌日探索者至り家内を檢し
遣こし置きたる銃槍及ひ書類用金等を拾ひ揚ケ奉行所に取歸リ候由
寺田屋儀も引合となり糺問嚴重なる旨歸邸の後ち告け來り坂本氏は追々
快方にて本月廿九日迄伏見薩邸に滯在す