花のために(鳥のために)

季節ごとの花や鳥の記録など by つな

金子光晴 雨 ー 若い頃の記憶

2012年09月07日 21時51分44秒 | ポエム

 

   

            雨

君のからだのどのへんに

君がいるんだ?

君を見失ったというよりも

僕はまだ、君を見つけなかった。

 

うすい油紙につつんだ

スイートピーの花のように

雨しずく立つオイル・シルクが

一まとめにして、君をつつむ。

 

水銀の玉のころがったあとの

しっとりとかわいた肌よ。

この肌のつづきのどこかに

君がいるのか?

 

どこからか動悸をうってくる

それが君なのか。それとも

大気のゆらぎで感じとる

片すみで君はおののいているのか。

 

とらえようとすればのがれる

まなざしのふかさに君は住むのか。

そのまなざしをあやつる

みえない心のなかにいるのか。

 

または、君の胸の奥に喰入り

病菌のやうに魂をくひへらし

ひろがってゆくくらい影

その影に君はかくれているのか。

 

僕の胸のなかにも這ういたみ

それが君ではないか。

たとへ、君でないとしても

君が投げかける影ではないか。

 

抱きあげたこの重みが、そっくり

君というものかしら。

爪でもきずのつく

この脆い物質が。

 

君は複数なのか。単数なのか。

きのふの君は果たしてけふの君か。

いつともしらず刻々と蒸発して

君の若さは更代してしまう。

 

その腕も、その唇も

ふれていられるのは、わずかなひまだ。

はなれるやいなや、たちまち

時間がへだて、気流がおし流す。

 

君と僕とのあいだの大きな断層

一つの人生のながさをへだてて

君は夜明け、僕はたそがれで

こころだけがもどかしげに呼びあう

 

木の実を割るやうに

ぴしぴしと雨がふる。

ネオンの赤と紫とが

地獄の染料で雨を染める

 

いま咲いた花と萎れた花の

一つにむすばれた宿縁をはかなみ

二輪の切り花がもつれあゆむ

雨のセロファンに包まれて

コメント
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