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挨拶をすること

2016-05-30 15:06:54 | 日記

5月30

 前田 遼太郎

 今日は挨拶について語りたいと思います。

 ゆとり世代の特徴として「挨拶をあまりしない」ということがよく取り上げられます。僕自身は礼儀に厳しい野球をやっていたこともあってそれなりに挨拶をするのですが、他の人をみると確かに挨拶をしていない人が多いような気がします。高校の時も全校集会で生徒指導の先生がよく「挨拶ができていない」と生徒にむけて話していました。では、なぜ最近の人は挨拶をしないのでしょうか。やはり理由としては「怒られないから」というのが一番にあげられるでしょう。そこで、「挨拶」というものがどうやって出来上がるかという自論を説明すると、「人に会ったら挨拶をするように両親に教わる。」→「挨拶をしなかったり忘れたりすると注意されたり怒られる。or元気に挨拶すると褒められるから挨拶をする。」→「挨拶をしないと気持ち悪くなり挨拶をするのが当たり前になる。」といった順序でみんなが挨拶をするようになるのだと思います。ここで昔と今とで異なっているのが「挨拶をしても注意されたり怒られたりしない」という点でしょう。「挨拶をなぜするのか?」と言う理由が明確化されない限り、挨拶を当たり前にできない人は怒られないと挨拶をするようにはなりません。しかし、挨拶をしなくても直されない今、挨拶をする人が少なくなっているのではないでしょうか。

 ここで、先程ちらっとでてきた「挨拶をする理由」とはなんでしょうか?。皆さんは「挨拶をなぜするのか?」という質問をされた場合しっかりとした根拠をもって答えることができますか?もちろん「挨拶をするのが当たり前だから」と言うのだけでは根拠として甘いです。僕自身もはっきりとはわかりません。しかし、どこの国を見ても日本の挨拶に変わる言葉があるのですからしっかりとした理由があるのだと思います。ヒントはかの有名な孔子が伝えた「仁」と「礼」にあるような気がしますが、僕自身孔子については少しかじっただけなので彼について語るのはやめておきます。笑

 いろいろな事を書きましたが結局は「挨拶をすることは法律化されていないルールのようなものだから、そんなルールすら守れないような人は人格を疑われる。だから挨拶をしよう!」ということではないでしょうか。しかし、それは挨拶をすることが当たり前の人がいてありきの理論ですから、挨拶をしない人が大人となり社会をまわしていくようになると、挨拶をすることはルールではなくなるのでしょう。そうなると挨拶というものが死語になる日が来るのかもしれませんね。


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