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この二週間くらい、本当に悩んだ。
幾晩も眠れない夜を、煩悶と答えを求め遣り過ごした。
当初「胃ろう」という医療行為を安易に考えていた。
医師の説明も、嚥下障害(呑み込みが出来なくなる)を起こした高齢者の
安全で安定的な栄養補給を可能にする手術という説明だった。
主治医も延命行為であることは認め、術後の余命が平均値で二年くらい
であることは否定しなかった。
ただしケースバイケースであるという補足事項を足して。
11月第一週の「胃ろう」手術予定が、母の腸炎で延期された。
この腸炎は、その後二度の検査後も治まらなかった。
この間、私なりに「胃ろう」について調べてみた。
インターネット検索で列挙される内容は、ずいぶん医師の見解とは違う。
医療当事者である医師や看護師へのアンケートでは、
自分自身が「胃ろう」をする立場になれば、ほとんどが拒否するという回答は何?
結局、増え続ける高齢者の嚥下障害に対して、
病院からの退院勧告が「胃ろう」であるというのが、現状らしい。
そして退院後の受け皿としての介護施設「特養」も
もう受け入れ可能なキャパを越えている。
「胃ろう」患者数30万人を抱え、「介護難民」という悲しい言葉まである。
一昔前なら嚥下障害を起こした時点で静かに天命を待つ…
という事態だったはずである。
科学の進歩と発達がイコール幸せではない一例。
歪な延命行為は、想い描いた未来の不老不死とは遠くかけ離れている。
私の母をゴシック世界の闇から生まれる怪物にしないでほしい。
尚、宗教観の違いからか、欧米では「無闇な延命行為をしない」
という倫理観があり、高齢者の「胃ろう」は、ほとんど行われていないらしい。
まだこの時点でも私は在宅で静かに死なせるという一点に
望みを繋ぎ「胃ろう」を完全に否定出来なかった。
そしてこの後、「特養」に勤める介護現場のナマの声を直接聞けた…
つづく。
■掲載した画像は八ヶ岳山域「シラビソ小屋」の餌場に集まるニホンリス。
介護を常時できる者が付いていると、伯母の調子に合わせて食事を摂らすことができるので、そんな心配をする必要はなかったのですが、それは叶いませんでした。
介護の想いや看病の体制、家族問題が問われる時ですね。
ランスケさんにとっても御母堂にとってもよい方法をとられることを望みます。
もう現時点では結論が出ているのですが、
それを一気に書き上げる気にはなりませんでした。
私同様に衰えゆく父母を抱えた皆さんにも
医者の言葉を安易に信じないで、考えてほしいのです。
唯一の親の最後くらい、真剣に看取ってあげたい。
どんな日常的な営為よりも、大事なこと…
私は、そう思いたい。
患者の苦痛も少ないことから「胃ろう」は、
この10年くらいで急速に増えたということです。
当初は障害のある子供たちに施されと聞いています。
「胃ろう」が問題視されているのは、終末期の高齢者に対してであって
子供たちや壮年の人たちには有効に作用しているようです。
鬼城さん、東京の兄との電話の遣り取りで出た会話ですが、
「どんなに手を尽くしたにしても、親に逝かれてしまえば、
結局後悔は残る」ことになるのでしょうね…