Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

心が壊れてゆく

2010-03-14 | 家族

  3月13日、父が再び入院した。
 大正生まれの父は、いたって偉丈夫でずっと病らしい病を患うことなかった。
 それが80を越えてから、苦痛を訴えて倒れ、救急車で運ばれた。
 腎臓の最も重篤な病、「腎不全」と診断され、
 いきなり重度障害者の1級に認定された。
 それ以来、週3度の透析が欠かせない。

 体内の血液をすべて入れ替える透析療法を80歳を越えてから
 五年も続けていると、そのハードな負担に父の骨太な身体もついて行けなく
 なって来たようだ。
 年明けの転倒骨折の長い入院療養も堪えただろう。
 夕食後嘔吐し、しばらく食欲不振が続いた。
 13日の透析の朝、再び嘔吐して、そのまま介護タクシーで病院へ運ばれた。

 私は勤め先で、介助してくれたタクシーの運転手さんと病院から連絡を受け、
 慌てて病院へ駆けつけた。
 途中、何度も連絡した母は、唯おろおろ動転して要領を得ない。

 主治医の先生の説明を受け、再び入院手続きをして帰宅したのが午後7時。
 暗い部屋で、母が寝床に横たわっていた。

 明かりを点けると、その朝の混乱が窺われた。
 母の肩から枕にかけて父の吐しゃ物がこびり付き饐えた匂いが鼻をつく。
 汚物を処理して窓を開け、室内の換気をすると母も少し落ち着いたようだ。

 夕食前に母を風呂へ入れた。
 一時間が経過して、幾度も声をかけたが出てこない。
 待ち切れずに先に夕飯を済ませ待っていると、
 2時間後、母が風呂から上がって来た。
 その顔をみて、吃驚。
 目の周りに赤黒い痣が浮き上がり、瞼の上にこぶし大の瘤が出来ている。
 また風呂場で転倒したようだ。
 鎮痛消炎のローションを塗り湿布を張り、食卓に着かせる。
 食後の薬を呑ませ、やっと後片付けにかかる。

 居間にいた母が私の側へやって来て、また繰り言を始めた。
 母のエンドレスの繰り言は、際限なく続く。

 今日は父の再入院の連絡を受け、病院へ駆けつける長い待機時間のなかで
 幾度もいくども頭のなかで退院してからの父母とのやり取りが頭を巡った。
 私は決して、献身的な介護をしてきたわけじゃない。
 呆けが日増しに高じる二人は、ますます意識が幼児へと退行して
 保護者である私への依存を深める。
 つい言葉を荒げてなじったこともある。
 不用意な言葉の刺は心に突き刺さる…
 それは私たちが子供のころに痛感したことじゃないか。
 今日はきょうは優しくしてあげよう…何度も自分自身へ言い聞かせた。

 でも「いい加減にしてくれ。そんなことを言っていると施設へ入れてしまうぞ」
 あ~ぁしまった…心のなかで後悔するが言葉は止まらなかった。
 
 自室へ戻って本を読んでいると母がやって来た。
 入室した母は視線が泳いで焦点を結ばない。
 ブツブツと独り言を呟き口をモゴモゴさせる。
 「えっ何?」と言葉をかけるが、まったく有らぬことを呟いている。
 「あぁ~壊れている」心のなかで悲鳴をあげた。
 それは物が壊れるように人が壊れて表情を失ってゆく姿だった。
 深夜の2時過ぎまで母が穏やかに(疲れて)寝入るまで
 私は母の側で「大丈夫だ。ずっと側にいてあげるから…」と繰り返し詫びていた。

 
「こんなことを書くんじゃない」と私自身思う。
 でも袋小路に追い込まれた私は悲鳴を吐き出すことで少し楽になっている…3/14


 



 
 

 

 
 

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