私の家では石榴が枯れて いいえ すべてが枯れて
隣の家では石榴が実り いいえ 養分奪い
私の家では灯りも暗く...
若林ケン「石榴」より
18日(月曜日)に、市役所にて在宅(者)福祉相談の面談をして来た。精神保健福祉士さんには何時も近々のBlogのプリントアウトを読んで貰い、心理の変化を診て頂いている。精神科医は処方薬を貰うだけで、「暖簾に腕押し」役に立たない。私の場合は精神保健福祉士さんの心理分析が、自分の症状を客観的に知る上で非常に重要だ。精神科医が駄目だと云う事ではなく、どんな職業であれ、熱意のある人でないと意思疎通は出来ずに、意味をなさないと思う。
先月、寝られない日々が続き、とことん「うつ」に陥ったが、百数十時間も意識が連続していると理性を維持するのも辛く、幻聴や幻覚に襲われ、幻覚と現実の見境がつかなくなる程疲れる。そう云う極限になると一瞬意識が飛ぶ。その瞬間に10m程落下する幻覚を見て、地面に叩き付けられたが同様、手足が跳ね上がる。被っていた掛け布団を弾き飛ばす。
その話を精神保健福祉士さんに話したら「うん、そうなんだよね...」と、驚く様子もない。あぁ、精神疾患の症例をちゃんと理解されていらっしゃると、それだけ多くの症例を見て来られたんだなと、私は安堵した。私がアクセス出来る範囲に、理解者が一人でも居る事が嬉しかった。
前エントリで記したBlogの感想も、今迄押し殺して来た「感情を比較的ストレートに出されている」と評価して頂いた。無くしていた自尊心を引上げる事に成功したのだろうと思う。私は自尊心の位置付けは低い方が良いと思っている。自尊心は1割から2割辺りにとどめ、それ以外は愛情や慈しみや尊厳や忖度やら、8割から9割は先ずはFor the people.でありたい。自尊心を引上げても損得は二の次である事は変わらないし、変えてはいけないと思う。
私利私欲は他人の普通の生活さえも奪う。他人の幸福を不幸にして、自分の幸とする。他人を踏み台にする事で生きて行く。それが、諸悪の根源。それを私は許せないと云うよりは認めない。見方を変えれば、或る意味、心が貧しい人であり、惨めな人間に見えてしまう。
天皇陛下が「国民の為に...」と任命した大臣達は国民虐めに躍起になっている。どの面下げて改造内閣で、再度天皇陛下に同じ言葉を言わせるのか?本当にこの人達には「心」があるのかと訝ってしまう。震災後、天皇陛下は避難所で膝を落とし、国民と目線の高さを合わせ労いの言葉を掛けられるのに、東電の役員社員達は事故責任当事者なのに、立ったまま頭を垂れる(被災者が座っているから自然と俯き加減にもなるのだが...)のみ。その差は一体何だろうか?やはり、心の持ち様ではなかろうか。
YouTubeで東電を辞めて高知県で自給自足の生活をしている人を見つけた。東電では福島第一原子力発電所での勤務経験もある人。地下にある非常用ディーゼル発電機も津波が来たら役に立たないと上司に提言したが、梨の礫。組織の体質、社風の異様さに疑問を抱き、引き止められても辞職した。
私も異様な社風を変えるべく闘って来たが、「うつ」を患い、結局は変えられずに退社した。未だにリコールが絶えない。誓って言うが、私の担当した仕事の範囲で私の在任中のリコールは一つも無い。リコール制度に甘んじ、リコールを出してはならないと云う気概が無い。前述、東電を辞めた人に共感する処は多い。
一人一人ならば、良い処も勿論ある人間なのに、いざ組織になると「心」を何処かに鍵を掛けてしまってしまう。それが、ユーザー、コンスーマ、国民、人類(人類と云うよりは動植物含め環境かな?)の為にならない事を忘れてしまうのだから、私には理解し難い。何れ、そう云う行為が自分に帰ってくる事さえも想像出来ない様だ。過去を振り返ると、廻り廻って自分にしっぺ返しが来る事は、山程事例があるのに、自分だけにはそれが起こらないと根拠の無い自信があるのだから困る。その時には自分だけでなく多くの被害者を出し、独りでは責任を取れない程問題が大きくなっているのに。
自尊心の高いもの程、自責を他責にすり替え責任を取らずに、責められると逃避する。哀れな人間よ、のぅ。
昔のアメコミは善悪の闘いがメインで興味もなかったが、最近のリメイクされたアメコミ実写映画は自己犠牲を厭わない姿勢を描き、私も思わず涙する。決闘はあってもコミック所以か血を流すシーンは極力抑えられている。アメコミと馬鹿に出来ない作品に変化して来ている。
日本は先の大戦で、国を想う志を持ち自己犠牲を厭わない者が、先陣を切って散ってしまった。姑息にも懲役を逃れ自己保身を優先する者が生き延び、この国を支配してしまったのではないかと思えてしまう。アメリカの犬と揶揄される所以も其処にあるのではなかろうか。
私は「日本人」である事を恥じている。情けない国だと思う。
( ´ー`)yー-~
一文字しか違わないけれど、精神に於いて「気概」と「気違い」は似て非なるもの。
by Tosh!