とりぶーの在宅介護日記

乳がん12年目の再発。治療から緩和へ移行中の母の在宅介護中のできごとから、父の前立腺肥大、悪性リンパ腫。

在宅介護の厳しさ

2006年10月16日 | 母の介護保険
ここ4ヶ月実家に毎日のように通うようになって自分の好きなことを犠牲に
(言い方悪いけど)してきてやるせなくなる時も多々あった。

一日3時間だけ行っていたのに、今ではヘルパーさんがいる時間でさえも
外出許可が許されないw
ご飯も食べたり食べれなかったり、胸の苦しさも一時的にあったりなかったり・・・
歩行は母が最後まで自分の足で歩きたい!という気持ちから
だるいときでも手をつなぐくらいで自分の力で歩いていた。

しかしここ数日、変化が出てきて
ご飯は食べれるけど、覚えていなかったり。
父には仕事を取ったらなにも残らないから・・・と言っていたのに
死にそうだから仕事に行かないで!と言ってみたり。
ジョクソウの手当もベッドで体の向きを買えながら容易にできていたのが
なかなかできず、ラップのしわが原因でジョクソウを増やしたり。
話も一時的に通じるが、あとはよくわからない。
ベッドの起き上がり、トイレの立ち上がりはもう人の手を借りなければ
できなくなってきた。

今朝は父が仕事へ行くのを「行くな!」と、
こんな状況で仕事を入れている父も父だが
行かないで!と連発している母を見ていたらイライラしてしまった。
説得しようとしても、反応せず「仕事行っていいでしょ!?」の問いかけには
大きく頭を振っていた。

父は初めて私と母の前で
「オレから仕事がなくなって、おまえもいなくなって
どうすればいいんだ!昔はそんなんじゃなかったのにー
おまえがいなくなったときに落ち込まないように仕事をがんばってきたのに」
と泣いていた。
なんだか切なくなった。
私も母がいなくなった時の父のことを考えると不安になる。
趣味の山登りも年と看病でここ4年行っていないし。
なにか技術者の堅物おやじでも友達ができるようなサークルがあればいいんだけど。
これが病院であれば、制限されたなかで「母の看病」と「自分の生活」が
成り立っていけるが、在宅となると「母の看病」が大きくしめる。
また入院していればひとりでの生活も少しは慣れるような気がする。
在宅で夫婦で最後まで過ごし、いきなりひとりっていうのも辛いだろうな。



今の母は話かければ応答するが、答えがあってるときとそうでないときと。
唯一の救いは、毎日磯辺焼を一枚食べれること。
「おいしいね」と連発してくれるだけで家族はほっとしている。
父が仕事へ行くと行った時は驚いた。
我に返り「じゃ、出ていく!」と目を見開いたときなんかは母らしいと思った。
でも今はきっとその記憶もないだろう。すぐ忘れてしまうようだから。