とりぶーの在宅介護日記

乳がん12年目の再発。治療から緩和へ移行中の母の在宅介護中のできごとから、父の前立腺肥大、悪性リンパ腫。

秋元さん増えて。

2008年05月23日 | 母の病気
今癌研有明病院の緩和ケアのことが放送されていた。

すごい。

秋元さやかさんのような人に母が看てもらえていたらまた違った
終末を過ごせたのかなって。

在宅でいっしょにいれたけど、痛みや苦しさは取りきれていなかったし、
母の本心を話せる人はきっといなかったと思う。
娘の私には、弱みは見せなかったし。


そう考えると、在宅ケアにはなんの不満もなかったけど、
こういう病院に入院して退院してって繰り返したりしてた方が
しあわせだったのかな・・・って少し在宅を選択したことを
後悔した。


母が通っていた国立がんセンター東病院は、国立なのに癌研と比べたら
どこもかしこも進んでいない。(緩和ケア病棟は行っていないので
わからないが)
痛い・苦しみ=解決しようとしてくれない。癌特有だから的な。
悩み=話せる場所がない。
お世話になったキーマンの看護師さんやお世話になった方々はいたけど
情報が昔のままで、安心感は得られたけど、はっきりいってしまうと
解決までは至らなかった。


もっと秋元さんのような方がたくさんたくさん増えて欲しいと願う。
患者の言葉をパソコンに入力して、どうやって治療していくか、
なんて考えてくれる人、国立がんセンター東にはいるのかな。

余命半年の患者さんが、どうせ死ぬんだからって思っていた患者さんが
半年を越えて、肌ツヤのいいこと、退院してお料理作ってなんて場面を見て
今日はちょっと母の生きていた頃を思い出して後悔したりしてしまいました(汗。

さよならGセンター

2006年09月11日 | 母の病気
今日でGセンターでの治療が終わりました。
とりあえず治療できません・・・転院してくださいと急に
言われるよりはもう頼りになる医師が見つかったので気が楽!?でした。

でもでもやっぱりお世話になった方々と逢えなくなるというのは
つらいものです。
今まで憎かった!??担当医も今日はなんだかいい先生に見えるように
ゆっくり優しく話すことができました。
終わりよければすべてよし!ってことで今までの冷たい対応もこれで
少し流れました(爆

治験でお世話になった看護師さんには残念ながら逢えず
挨拶できませんでしたが、通院治療室でお世話になった
看護師さんには挨拶でき、これからの介護ほかいろいろお話を
させてもらいました。
最後にはわざわざ2階から1階にいた母に向かって
「元気になったら散歩しにいつでもおいで!!」と大きく手を
振ってもらい、私には「いつでも気晴らしにおいで!」と
言って下さいました。
本当に入院してからの2年半は力強い味方がたくさんできて
どこを歩いていても声をかけてくださって心強かったです。
その前の1年は担当医のつながりしかなく、いまいちでしたが(笑

だからぜひ病院に通っている方は、いろいろな人と出合って
プチ情報をたくさんもらって欲しいと思います。
看護師さんとかかわりを持つタイミングは難しいので
自分でなんでも甘えて聞いちゃって関係を築いちゃってください。

へ?

2006年08月28日 | 母の病気
今日先日抜いた胸の水が癌なのか、なんなのかわかる予定だった。
そんでもって、もう治療はできませんので転院してくださいと言われる予定で
他の病院を一生懸命探していた。
事前に予告されていたから。

したら、結果胸の水には癌細胞はなかったらしく、ホルモン剤の治療を
とりあえず続行しようということになった。

へ???先生そりゃないぜ。
2週間前の告知から本人家族ともどもかなり落ち込んだのに。
まぁ、でももう一回落ち込んでるからこれからなにを言われたも
どんと来い!だ。

最後に決めで
「たぶんホルモン剤効かないと思うけどね・・・」だってさ。

よく言うさ。



在宅ケアに向けて動き出す

2006年08月19日 | 母の病気
近くガンセンターを卒業することになるので、
今後のことを考える。

家族は、在宅で看護をして最後は病院で・・と。
本人は、家族が疲れてきているので緩和ケアに入院したいとのこと。

んーむずかしい。
この夏休みはだんなはだんなの実家へ。
私は私で母の件があったので自分の実家で過ごさせてもらった。

それで今まで見えてなかった面々が。
夜中は2回トイレに起きるのを付き添う。
早朝と寝る間際に吸入。
と仕事をしている父の疲労を考えるとどっちがいいのかわからない。
それに在宅で呼吸困難になった場合自分はうろたえず
行動できるのか、病院にいたほうが母にとっては楽なのか・・・

これからどうしていくのが、家族にとって母にとって
ベストなのかわからない。

痛みをとるため週一回来てくれる先生と面談はしたものの
んー
個人病院のため痛み止めの情報がしっかりしているのか
不安なのと、母の今後を今突きつけられて戸惑う家族を前に
~~さんは~~~で亡くなって。
~~さんは~~~で看取って。
を繰り返す。
ま、母との相性が一番なので少し様子をみることにした。

治療と痛み別々のところで。

2006年08月14日 | 母の病気
母は乳がん再発で右鎖骨上に腫瘍があるため、
その腫瘍が神経に触って激しい痛みが出てきている。

始めは少しがんばりすぎた日に手が赤くなって腫れているくらいで
動かすのには問題はなかった。
それから1年?過ぎてくらいから人の腕の1.5倍くらいに腫れて
痺れが出てきて、そのうちまったく自分の意志では動かなくなってしまった。
利き腕が動かない、痛みが出るというのは、本当に苦痛だった。
治療専門の先生でも痛みをとるという分野に関しては
あまり知識がないようで、かなり苦労して今まで過ごしてきた。

今日担当医より緩和の話をもらって、病院にいるソーシャルワーカーに
病院を紹介してもらおうと話をしているともっと早く知っていればよかった
という情報が。

治療ができなくなったら、緩和へ。
というスタンスをとっている世の中だけど、治療中でも痛みを取る専門の先生に
別で往診してもらうことができることもあるそうだ。
治療は治療の専門医へ、緩和は緩和の専門医へというベストな形が取れる
こともあるようなので、一回相談してもらうのもいいかもしれない。
頼む場合は、担当医の許可が必要になるっていうのがネックだけど・・・。
この場合担当医と、往診の先生が連携するらしい。
痛みで苦労されている方は一回病院の中にある相談室で話をしてみるのも
いいかもしれない。


ついに治療から痛みの緩和へ

2006年08月14日 | 母の病気
今日先日のCTやレントゲンの検査結果が出た。

非定型抗酸菌症も相変わらず体に残っていて、胸に溜まった水が少し
増えてきているようだ。
その胸の水が癌からのものか、非定型抗酸菌症からのものかを
調べて癌からのものだった場合は、治療が打ち切り、
非定型抗酸菌症からのものだった場合はホルモン剤治療を
継続するという診察が出た。

で、普段全然外へ出られなくなった母だが、今日は昼から夕方まで
ずっと外に出て精神的ダメージ(治療×かも)、体力的ダメージ(胸水抜き、
針によって内臓に穴が開いていないか確認のためのレントゲン)を受けた。

気合入れのためか、普段おかゆを少量しか食べない母だが
今日は高いお肉を使ってしゃぶしゃぶをしてもりもり食べていて少しほっとした。

とりあえず、結果前でも緩和の入院設備のある病院と
訪問で痛みを取ってくれる病院を紹介してもらい母と検討する予定だ。




訪問看護の方からの忠告

2006年08月12日 | 母の病気
介護保険を利用できるようになってヘルパーさんや訪問看護
などをたくさんの人が出入りするようになった。

でもって、私は、人がいようがいまいが母のところにいる。

でもって。こないだ訪問看護の方から母のいないところで
ゆっくり私と話がしたいと言われた。

どきどきしながら電話をかけると・・・

今母がおかれている状況の話。
担当の先生とコミュニケーションがあまり取れていないようだけど
母の今後近い将来起きることを理解しているのか・・と。

とりあえず、胸水が溜まっていること、結核(人にうつらない)が
再発していることが原因で呼吸困難になることくらいは
想像できてはいるつもりだったが、
看護士さんいわく
いつ心臓がぱったり止まってもおかしくない状況と・・・
言われ驚いた。

へ・・・・・・!????

本当ですか・・・・

訪問看護さんが知っている情報は
乳がんが再発して肝臓、胸水、結核復活、右手が浮腫と
今使用している痛み止めの薬、ホルモン剤と私が伝えたことのみ。

CTやレントゲン、血液検査の結果はまったく知らない。

んー
この忠告ってどこから来てるんだろう・・・
長年の経験なのかもしれないけど、しっかりとした
情報がないのにここまではっきりと言っていいのだろうか・・と
後々少し不満が出た。

とりあえず、まったく危機感のない父にはその旨を伝えた。
かなりびびってた。
父は自分の伴侶が弱っていくのを認めたくない病みたいで
何度も「そんなに弱ってるのか・・」と聞いてきた。

最近痛み止めのせいか、寝てばかりの母
少し前進して車椅子使用でもいいから
外に出してやりたいなぁ。



今日の病院

2006年07月31日 | 母の病気
いやー今週の病院まで波乱万丈だった・・・

「私はもう長くないから緩和ケアに行かせてほしい」と。
家族がもめてるのを見るのは辛いと。

もめてなんかは一切ない。
ただ母が不安&寂しいというのが原因で家族に不満をもらす
ことに対して要望に答えているつもりだが
それがまったく伝わらず・・・ちょっといらいら気味だった私と父。
結局父が仕事を辞めるまでは、この不満は一生続く。

でもって、緩和ケアはただの私たちへの八つ当たりで
結局は治療をまだやることを取った。

はぁー
最近はわがままだぁ。
言ってることもちょっとおかしいことがある。
先が長くはないので、ふたりともいっしょにいてくれ!と言ってみたり、
母の妹が来るからあんたいても役に立たないからいなくていい!って
気を利かせて!?言ってみたり。。。

気分によって言うことががらっと変わる。

なにもやってくれない!って言ってみたり、
ありがとう!って連発してみたり。

自分のやりたいことを犠牲にしている自分がちっとも
見てもらえず、あら探しばかりでくやしくて泣いてみたり
先週はいろいろありやした。

末期がんの介護をしているみなさん、どうしていますか?
いろいろ話せたら少しはスッキリしそうだけど。

病院の結果は、血液検査を少し覗き見ただけだが、
肝臓の数値もホルモン剤でも上がっておらず、良さそうだが。
問題は、胸水と非抗酸菌症がどんなんになってるかどうか・・・

今週CT検査がまたあるので、その結果14日に出るそうだ。
どうだろか・・・



父と母

2006年07月12日 | 母の病気
先日朝、母は一時的に歩けなくなり車椅子でトイレに行っていたらしい。
そんな時に父は会社で予定が入っていたらしく、
トイレ、水分補給、食事を済ませて会社へ出社。

そんなことはまったく知らず、私はいつもの時間に実家へ。
携帯の留守電には父から「お母さん調子悪いから早めに行ってあげてね!」と。
気がつかなかったよ・・・

夜父が帰ってくると、母は朝の件で大暴れ。
自分の奥さんが歩けない状態なのによく仕事に行けるわね!と。

母「仕事と私とどっちが大事なの!」
父「仕事をやめて一日中介護をしたら俺までだめになる」

あーあーあーきついな。
毎回これだもの。
今回はもう生きている意味がない。
もうこれで十分だから緩和ケアに入れてくれ!と。

このけんかが毎月一回くらい起きる。
娘としてどうしようもない。

こういう状況の介護ってないのかなぁ。
愚痴が言えるだけですっきりするんだけど。








久しぶりの病院

2006年07月04日 | 母の病気
毎週行っていた病院も抗がん剤投与をしなくなってから
3週間に一回になった。
楽と言えば楽かなぁ。

抗がん剤の副作用がそろそろ消えてきてもいいのに
非定形抗酸菌症(結核の人に移らないバージョン)ってやつの
副作用?が出ているようで
あんまり元気にならない&食欲も出ない・・・

でもって、担当医は抗がん剤を中止して免疫力を高めれば
非定形抗酸菌症の悪さも少しは収まるだろう・・と言っていたが
違うサイトでは抗生物質を飲んだ方がいいだろうと言われ
担当医に相談するが、原因がなくて発症しているなら抗生物質を
飲ますが、原因は抗がん剤とはっきりわかっているため
今回は抗生物質は出さないとのことだった。
納得したようなしないような・・・

ってことで、ゾメタを投与して診察まで3時間待って
あっという間の一日でした。トホホ