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とりぶーの在宅介護日記

乳がん12年目の再発。治療から緩和へ移行中の母の在宅介護中のできごとから、父の前立腺肥大、悪性リンパ腫。

介護保険

2007年02月12日 | 母の介護保険
介護保険って聞いた事あるけど、いつどんな時にどんな人が使えるんだろうと
いう情報って出回っていないんじゃないだろうか。

私も看護師さんとレンタルベッドが借りたいという話をしてたら
再発癌の人が介護保険使えるようになるみたいね・・・と言われて
介護保険が適用されベッドを借りたりすることができることを知った。



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厚生労働省は、40~64歳の末期がん患者に対する介護保険の適用範囲について、すべてのがんを対象にするとともに、「末期」かどうかの判断は、医師が「治癒困難・不可能」と診断した場合とする方針を決めた。余命期間や、がん告知の有無などは問わない。(読売新聞から)
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(在宅で受けれるサービス)

★訪問介護(ホームヘルプ)
ホームヘルパーが訪問し、身体の介護や家事援助などをします。

★訪問入浴介護
浴槽を積んだ入浴車などで自宅を訪問して入浴の介助をします。

★訪問看護
看護師や保健師などが訪問し、療養の世話、診療の補助などをします。

★居宅療養管理指導(医師等による訪問診療)
医師、歯科医師、薬剤師、管理栄養士などが訪問し、療養上の管理・指導をします。






うちが保険適用で利用していたのは
・週3回だけ、夕方に夕飯の準備と掃除をヘルパーさんにお願いしていた。
・お風呂やトイレをひとりで行けるように手すりをつけた。
・日常必要なレンタルベッド、車椅子などを介護保険適用額で借りていた。

ヘルパーさんなんて・・・と思う人もいると思うが
在宅介護をしていく中で、家族が息抜きする時間は本当に
必要。家族が介護者っていうことで、患者本人は結構わがままになるものだから。

お風呂やトイレの手すりもどこが痛いかによって手すりの付く位置など
違うので要研究。最初のうちはまったく使っていなかったが、最後まで
ひとりでトイレに行けたのは手すりのおかげだと思っている。

レンタルベッドは本当に助かった。買うとなると、30万くらいしたりするが、
レンタルとなると数千円で済んだ。ベッド本体、マットレス、手すりと
パーツごとにお金はかかるが。


お金の補助がでることはすごく助かったが、もっと助かったことは
家族以外に味方ができたということ。
ヘルパーさんとお料理の作り方の話をしたり(母も聞いていて
心地よかったに違いない、もちろん自分ができないもどかしさもあったろうが)

またソーシャルワーカーさんとのつながりは、患者の生活上困ったときに
どんな施設や設備があるかなど教えてもらえた。

また毎週来てくれる看護師さんには、本当にお世話になった。
母の体調の変化の対応の仕方これはすごく大きい。

一番大きいのはすんごく小さいことでも相談できる往診の先生。
通院していた時の先生に言ったら、いやな顔をされるような些細なことでも
快く教えてくれる先生。うちが最期まで家で看る事ができたのは
信頼できる先生に逢えたからこそできたのだと思う。
往診の先生は介護保険適用外です。
紛らわしくてすみません。


とりあえず、久しぶりにカキコしてみました。

なんだかなぁ・・・

2007年01月03日 | 母の在宅介護
母の癌が再発してからずっと色々な人に支えてもらい
いろんな情報をたくさんいただいてきた。

で、母が亡くなってからなんだか「癌」という言葉から
遠ざかっていた方が気がすこし楽でなかなかお世話になった
癌掲示板に顔を出せないでいる。
だめだなぁ・・・。

癌掲示板にリンクしてもらっているというのに
これじゃなにか情報を得たいと思ってここに来てくれてる人の
役に立てないなぁ・・・

とりあえずなにかこんなことで困っていて情報が欲しいって
いう人がいればここに足跡を残してくれれば
コメントしようと思う。
なので、お手数ですが、介護保険や在宅医療などなど知りたいことが
あればカキコして行って下さい。

千春さんいつもありがとございます。
こんな形で少しずつやっていけたらって思ってます。

一応介護保険で家の中に手すりを付けたりしたので、使用前使用後の
写真を載せたいとは思ってます。
また在宅医療でかかった費用も載せたいと思います。

ひと月

2006年11月27日 | 役に立つかも・・
先週の水曜が母の月命日だった。
まだひと月しか経っていないのか・・・という感じ。

ひと月経ってみて、ふとした瞬間に寂しくなることがある。
でもこころのどこかで、旅行に行っていてまた逢える気がしてならない。
江原さんの話をいろいろ聞くと、こころが少し軽くなることがある。
江原さんいわく、思ったことなどは口に出して言うといいらしい。
こころに思っているだけではなく・・。

ひと月たって、思ったことは、「在宅介護」が少しずつ広がっているけど、
穏やかな気持ちで最初から最後まで過ごせることははっきり言ってない。
だけど、それを乗り越えたときに、得たものは大きい。
で、亡くなってから今までどうだったかな・・・と振り返りたいときが来る。
その時の為に、日記を書くことをお勧めします。
体の状態はもちろん、言われたことを書いておく。
絶対宝物になる。

母が亡くなる4ヶ月前から書き始め、言ってくれた言葉などは綴っていなかった。
何を食べたか、どれくらい歩いたかと状況しか書いていなかった。
でも今欲しいのは、そういうことよりも最後に母が言ってくれた
言葉が恋しい。
だからこれから介護される方は、日記(言ってくれた言葉)を綴ることを
お勧めします。


なんだか母が亡くなって今までお世話になったサイトに顔を出すのが
なかなかまだできないけど、同じ立場で介護される方のために
少しづつ書いて行きたいと思う。

母のすごさ。

2006年11月07日 | 母の在宅介護
母が亡くなってから母のすごさを思い知る。
テニスの仲間、マンションの住民、お友達、在宅看護するようになって
出合ったヘルパーさん、ケアマネさん、看護師さんほか
たくさんの人が母に助けられたと言ってくれる。

困ったときにはすぐ助けてくれてどんなに心強かったか・・・と。

母の性格はわかっていたつもりだけど、こんなにもたくさんの人が
母に助けられて支えられていたとは、亡くなってからわかった。

在宅診療してくれた看護師さんまでもが、初めての訪問時に
少し不安だったときに抱きしめてくれたんですーと涙ぐみながら
語ってくれた。
すげーぞ、かーちゃん。

親近葬を希望していた母だが、結果150人もの方々が駆けつけてくれて
本当に驚いた。

いまさらながら、私も母のような女性になりたいと思う。
63歳で150人も集められるような人生が送れるようにこれから
がんばらねば!

2日ぶりの実家

2006年11月01日 | 母の在宅介護
今日は母がお世話になったケアマネージャーと介護用品の会社の
人と在宅酸素の会社の人が回収に来るというので、
朝から実家だった。
でもって、どうせの実家ならばと母に挨拶に来たいと言ってくれていた人も
来てもらうことにした。
実家にひとりでいるのはどうも寂しいもので、母が死んでから
なるべくひとりで実家にいたくない気持ちがある。
なんでだかよくわからないが。

そんでもって久しぶりに実家へ来て洗濯やら掃除やらしていると
父のベッドの近くから「救心」発見。
それもかなり減っている。
前から心臓が痛いって言っていたけど、静かにしてれば治るから大丈夫って
言ってたのにすっごい減ってる。
大丈夫かな・・・

母の最期

2006年10月29日 | 母の在宅介護
母が亡くなる5日前からせん妄が出て、ホントにパニックになった。
そのせん妄の症状が出て、介護する家族が本当に在宅でいいのだろうかと
悩んだ。痴呆症の初期と同じで自分以外のすべての人間が敵だと思ってしまう
悲しい症状が出た。
3日間くらいひどく症状が出て、信頼していた先生までもが毒の入った薬を
飲ませようとしていると疑ってかかった。
この時が今までで一番辛かった。

4日前になると、母の妹が泊まってくれてせん妄?が少し落ち着いた。
で、最期が近いことがわかったのか「ありがとう」「楽しかったよ」と
感謝の言葉を言い始めた。
でも家族は全然危機感を感じなかった。
本に書いてあるのが、感謝の言葉を言えずに後悔したってよく書いてあるのを
見ていたので、その時に初めて私も母への思いを口にした。
今になってホントに言っておいてよかったと。。
もっと子供のときの話をしたり聞いたりすればよかったんだけど、
なかなかそんなのはできない。
なんか死んでしまうっていう現実がせまってくるようでできるものじゃない。
でも感謝の言葉は機会を見て絶対に言っておいた方がいい。
また友達へなにかしたいと考えているのなら、しっかり聞いておく。
うちは友人へプレゼントを頼まれていたので話を詰めて
昨日商品を買いに行ってきた。
また死んだ後の希望があれば、しっかり聞いておく。
うちはたくさんあって、利き腕が効かないくせに、左手で一生懸命書いた遺書と
家族への手紙が残されていた。
葬式は親近葬、戒名はいらないなどなど。

最期は本当にドラマで見るような終わり方だった。
家族みんながいる前で直前ではないが、「ありがとう」と何度も言って
亡くなった。

今こうやってこうやって冷静?でいられるのは、
感謝の言葉を言えなかったという後悔がないことと、
最期まで家で看病できたという自分の満足感?があるからかもしれない。
小さな後悔はないことはない。だけど、やれることはしたもの。
あとは残された家族がしあわせになるだけだな。
お父さんも少しづつ変わってきた。
周りの人への気遣いをするようになってきた。
私も少しずつでも成長せねば。




ご報告

2006年10月27日 | 母の在宅介護
遅くなりましたが、母が日曜の夕方に家族みんなに囲まれて
亡くなりました。
再発してからまったく弱音を吐かず、本当にがんばっていた母。
それをわかってやれず、やれることはやって!なんて強気で何度も言っていたっけ。
亡くなる5日前からせん妄?の症状がひどく、介護者にとってはひどく辛い
日々があったけど、最後までしっかり誰が誰、言っていることもしっかりしていた。
亡くなる日の朝も父と母の妹に支えられながらだけど、歩いてトイレに行ってた。
本当に今考えるとすごかったな。
その頃は自分が自分でいられなくなって、いらいらして八つ当たりしたっけな。
今になってはもう少し優しくしてあげればよかったと後悔している。

まだ亡くなってから日が経っていないのでよくわからないが、
母がいなくなってからの喪失感より、ひとり残された父を見ていることの
方が私にとって辛い。
どうか父が少しでも寂しさを感じず、生活できますように。
無理か・・

今まで仕事一筋だった父。
それから母一筋だった父。
これからは趣味や友人との楽しい時間をたくさん持てるように願う。


少ししたらまた詳細をアップします。

脳転移?せん妄?のときの対処法

2006年10月22日 | 母の在宅介護
昨日先生から直接電話をもらったので、これはラッキーってことで
パニックを起こしたときの対処法を聞いた。

・叫んだり暴れたりするのは、本意ではなく病気がそうさせてると思うこと
・だめでもすぐにあきらめずに、根気よく押したり引いたりしてみる。(薬など)
・やっぱりメインは薬で、安定させることが一番。
・心に落ち着きがないときは、おしっこが近くなるらしい。

で、今日思った対処法
・誰だかわからなくなるので、しっかり動作をするときにお母さんなどと
声をかけて娘であることをわからせる。

うちの場合は、せん妄に脳転移の症状が出ているようです。
なんでこんな短い間にこんなに変わっちゃうのか・・・とうちのだんなが
驚くほど、悪くなるときは悪くなっちゃうんだなぁ。
介護者はしっかりこうなる前に、自分の意志を伝えるべき。
ここまで来ると、しっかりした意識でいられる時間がすごく短い。
私はやっと今日言えたからよかった。

大きな山

2006年10月20日 | 母の在宅介護
はぁー
最近の母は不安定すぎて大変。
というのも、信頼していた人(父や往診の先生)をすべて敵と言う。

昨日の夜からMSコンチンを拒否し、今朝からは何も飲んでいない。
で、朝から父がなにかをしょうとすると、殺そうとしていると。
で、私の名前を連呼しているとのことで、朝から実家。
みんな敵で私を殺そうとしているから、どこかの病院へ連れて行って!と訴える。
そこで私が先生に相談してみようと言うと、私までもが敵になる。

薬を飲んでいないので、混乱状態と痛みと呼吸苦で大パニックを起こし、
薬を飲まない代わりに、先生が注射をしようとすると拒否。
大忙しの先生を困らせた。
で結局もう一件回ってから来てくれて、注射を許可し今は落ち着いている。
その隙に、説得して薬を飲ませようとするが、拒否。
理由はわからないが、拒否。
痛みや苦しみから逃れたいとよく口にしていたが、それでも耐えるから
飲みたくないと言い続け、しまいにはうるさい!と言われたので
気分転換にブログをカキコしてみた。

トホホ。
ここで病院に入院させておいた方がよかったのかという迷いが起きている。
父は最近一生懸命介護していて、驚いているが
その父をすごい目で見て「私を殺そうとしている」という母、そんなのを
見ていると父にとって在宅での介護はつらそうだ。

生半可な気持ちで始めた在宅介護ではないけれど、
ここに来て目の前の山が大きすぎて驚いている。

せん妄2

2006年10月19日 | 母の在宅介護
今日父親が仕事が休みだったため、私は母の様子が安定していたのを見て
3時間ほど気分転換にテニスに行った。

父の誕生日ということもあって、早めに帰ってケーキを買おうと
思っていたところ、母の妹から電話がかかってきた。
「どうした?先生いて大変なんだって!??」と。
「????????????」

急いで帰ると涙いっぱいになって母が「やめてくださいー」と叫んでいる。
昨日のこの時間も同じ症状。
で、せん妄が出ているためそんなに長くないと父は言われたよう。

でも、でも
しっかりと後で、さっきは暴れてごめんね!って
困らせてごめんね!って謝る。
せん妄って暴れたことを憶えているのだろうか???
意思疎通ができなくなったのは、「トリプタノール」を
飲み始めてから・・・
死への恐怖や不安から呼吸苦が出ていると先生が診断して、
その不安を取る薬を飲んで呼吸苦が減った!?のはいいけど、
思考能力までもが麻痺してしまった。

今日も暴れたのは、父いわく
先生にしっかりと苦しいと訴えているのに、苦しさを取ってくれない!と
訴えたのを、うまく伝えられず研修先生と看護師さんは「せん妄」と
捉え、安定剤を注射しようとしたところ、「やめてください!」と
大パニックを起こしたようだった。
それを「せん妄」と言うのだろうか?
明日先生が来る日なので、しっかりその辺を伝えないと
大変なことになる。
「トリプタノール」を今日から飲まなくていいので、
明日の様子をよく見てみるとする。