とりぶーの在宅介護日記

乳がん12年目の再発。治療から緩和へ移行中の母の在宅介護中のできごとから、父の前立腺肥大、悪性リンパ腫。

母の最期

2006年10月29日 | 母の在宅介護
母が亡くなる5日前からせん妄が出て、ホントにパニックになった。
そのせん妄の症状が出て、介護する家族が本当に在宅でいいのだろうかと
悩んだ。痴呆症の初期と同じで自分以外のすべての人間が敵だと思ってしまう
悲しい症状が出た。
3日間くらいひどく症状が出て、信頼していた先生までもが毒の入った薬を
飲ませようとしていると疑ってかかった。
この時が今までで一番辛かった。

4日前になると、母の妹が泊まってくれてせん妄?が少し落ち着いた。
で、最期が近いことがわかったのか「ありがとう」「楽しかったよ」と
感謝の言葉を言い始めた。
でも家族は全然危機感を感じなかった。
本に書いてあるのが、感謝の言葉を言えずに後悔したってよく書いてあるのを
見ていたので、その時に初めて私も母への思いを口にした。
今になってホントに言っておいてよかったと。。
もっと子供のときの話をしたり聞いたりすればよかったんだけど、
なかなかそんなのはできない。
なんか死んでしまうっていう現実がせまってくるようでできるものじゃない。
でも感謝の言葉は機会を見て絶対に言っておいた方がいい。
また友達へなにかしたいと考えているのなら、しっかり聞いておく。
うちは友人へプレゼントを頼まれていたので話を詰めて
昨日商品を買いに行ってきた。
また死んだ後の希望があれば、しっかり聞いておく。
うちはたくさんあって、利き腕が効かないくせに、左手で一生懸命書いた遺書と
家族への手紙が残されていた。
葬式は親近葬、戒名はいらないなどなど。

最期は本当にドラマで見るような終わり方だった。
家族みんながいる前で直前ではないが、「ありがとう」と何度も言って
亡くなった。

今こうやってこうやって冷静?でいられるのは、
感謝の言葉を言えなかったという後悔がないことと、
最期まで家で看病できたという自分の満足感?があるからかもしれない。
小さな後悔はないことはない。だけど、やれることはしたもの。
あとは残された家族がしあわせになるだけだな。
お父さんも少しづつ変わってきた。
周りの人への気遣いをするようになってきた。
私も少しずつでも成長せねば。




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2 コメント

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読んでいて (千春)
2006-10-30 15:18:28
また泣いちゃったけど、

「楽しかったよ」

の言葉がまた嬉しいよね!



お会いした事の無いたけさんのお母さまですが、

たけさんとお父さまに、にこやかに晴れやかに手を振っていらっしゃるお母さまの姿が本当に目に浮かびます。
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お疲れ様でした (こま)
2006-10-30 18:54:37
大変でしたね。よく頑張りました。

お気持ちお察しします。

体を休めて、これからは残されたお父さんのよき話し合い手になってくださいね。





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