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とりぶーの在宅介護日記

乳がん12年目の再発。治療から緩和へ移行中の母の在宅介護中のできごとから、父の前立腺肥大、悪性リンパ腫。

せん妄

2006年10月18日 | 母の在宅介護
昨日くらいからせん妄が見られる。
前から「ん?」ということは言っていたが、あとから間違ったと
自分でも気がついていた。
しかし、昨日からは気が付かない。

それに「痛い」「苦しい」「助けて」と連発して止まらなくなる。
どこが痛いの?の問いかけに「痛い」「痛い」「痛い」「痛い」を連発。
どういう風に苦しいの?の問いかけに「苦しいの」「苦しいの」「苦しいの」と連発。
家族としてはどうしていいかわからなずいらいらが募る。
てか、父がいればいいんだがあいにく仕事人なもんで平日の日中は私ひとりで
対応しなければならず、「鬼娘」になってしまってるw

優しくしてあげなければいけないと思いながらも
いらいらすることが多く、病院に入れてあげた方がしあわせだったかな・・・と
今ごろ思ったりもする。私を見て昨日「怖い」と連発するようになった。

時間がかかっていた、起き上がり立ち上がりも、今では介助しなければ
できず、歩くのもひとりではまったく歩けなくなった。
やろうとする気持ちも出るときと出ないときとまちまちになってきた。
それを甘えさせず、できるところまでは自分でやらなきゃ!!!と言い
やらせるので(もちろんフォローはする)
きっと「怖い」って言われるんだろうな・・・

あああああ


今日の昼間は「呼びたいの!!!!」と叫び、なにを呼びたいの?と聞くと
家族3人で今3人いないから、お父さんを呼びたい!ときかなかった。
仕事へ行ったと説得しても、「呼びたいの!」!!!!!!!
まいりましたぁー
そんな時に訪問の予定のなかった先生が来てくれて落ち着いた。
ホッ。。。

一日誰も家に来ないで、ふたりきりでいると気がめいるが
ヘルパーさんでもお医者さんでも来てくれると、フッと自分の気持ちが
落ち着きありがたい。

在宅介護の厳しさ

2006年10月16日 | 母の介護保険
ここ4ヶ月実家に毎日のように通うようになって自分の好きなことを犠牲に
(言い方悪いけど)してきてやるせなくなる時も多々あった。

一日3時間だけ行っていたのに、今ではヘルパーさんがいる時間でさえも
外出許可が許されないw
ご飯も食べたり食べれなかったり、胸の苦しさも一時的にあったりなかったり・・・
歩行は母が最後まで自分の足で歩きたい!という気持ちから
だるいときでも手をつなぐくらいで自分の力で歩いていた。

しかしここ数日、変化が出てきて
ご飯は食べれるけど、覚えていなかったり。
父には仕事を取ったらなにも残らないから・・・と言っていたのに
死にそうだから仕事に行かないで!と言ってみたり。
ジョクソウの手当もベッドで体の向きを買えながら容易にできていたのが
なかなかできず、ラップのしわが原因でジョクソウを増やしたり。
話も一時的に通じるが、あとはよくわからない。
ベッドの起き上がり、トイレの立ち上がりはもう人の手を借りなければ
できなくなってきた。

今朝は父が仕事へ行くのを「行くな!」と、
こんな状況で仕事を入れている父も父だが
行かないで!と連発している母を見ていたらイライラしてしまった。
説得しようとしても、反応せず「仕事行っていいでしょ!?」の問いかけには
大きく頭を振っていた。

父は初めて私と母の前で
「オレから仕事がなくなって、おまえもいなくなって
どうすればいいんだ!昔はそんなんじゃなかったのにー
おまえがいなくなったときに落ち込まないように仕事をがんばってきたのに」
と泣いていた。
なんだか切なくなった。
私も母がいなくなった時の父のことを考えると不安になる。
趣味の山登りも年と看病でここ4年行っていないし。
なにか技術者の堅物おやじでも友達ができるようなサークルがあればいいんだけど。
これが病院であれば、制限されたなかで「母の看病」と「自分の生活」が
成り立っていけるが、在宅となると「母の看病」が大きくしめる。
また入院していればひとりでの生活も少しは慣れるような気がする。
在宅で夫婦で最後まで過ごし、いきなりひとりっていうのも辛いだろうな。



今の母は話かければ応答するが、答えがあってるときとそうでないときと。
唯一の救いは、毎日磯辺焼を一枚食べれること。
「おいしいね」と連発してくれるだけで家族はほっとしている。
父が仕事へ行くと行った時は驚いた。
我に返り「じゃ、出ていく!」と目を見開いたときなんかは母らしいと思った。
でも今はきっとその記憶もないだろう。すぐ忘れてしまうようだから。




まいった、まいったぁ。

2006年10月15日 | 母の在宅介護
今日どうやら朝から呼吸が苦しく、先生を呼んだみたい。
で、トリプタノールって精神安定剤みたいなものを
飲んだら治りました。

その代わりに、睡魔が襲ってきて昼と夜が逆転して
今日の夜中あたり起きそうな勢いです。

寝ているのはいいんだけど、最近足の浮腫みがひどいので
寝ててもある一定の時間起こしてトイレへ連れて行こうと・・・


今までは足ここで踏ん張って!!!
ベッドから起きて立ち上がるのに、お尻が遠いので前に出そう!と
言うと自分でゆっくりだができた。
でも今日は睡魔が襲い、もうぐったり動かない動かない。
重くて重くて・・体力に自信のある私もまいりましたぁ。
トイレまで行ってパジャマのズボンを下ろすのが大変で驚いた。
ズボンを下ろすってことは、一定の時間ひとりで立っていてもらわないと
おろせない。だけど、膝から下がくがくで、体ふらふらで。

歩かせるにも、車椅子乗せるにも、力がめっちゃ必要。
そいでもって、トイレに行っても睡魔が襲っておしっこしてないしー!
もう3回も!!!
勘弁してくれ!!!
今頃おとんがひとりでチャレンジしているだろー
大丈夫かな!?
だんなが泊まってきていいって言ってくれたけど
私自身の体がやられちゃいそうだったので、帰ってきちゃった。
明日も同じだったらなんかいい方法考えなくちゃ。

目が・・・

2006年10月14日 | 母の在宅介護
最近の母は目の視点が合わないときがある。
目を開けていても魚のような目をする。
黒目がなんとなくグレーになってる感じで
「生」を感じられない目。
なんだろうか・・・

前から物を取るときに手で探りながら取ったりすることが
あったが、今日の夜は体を動かすこともできず、目も見えず。
気になる。
明日の朝はなんでもありませんように。

今朝も同じような症状があったらしく、父に
このまま目が開けられないと死んでしまうと言っていたそうだ。
夜はしっかり目が見えるようになってから30分はいっしょに
起きていて欲しいと言っていた。
私はその後だんなが帰宅するので、自宅に帰ったが
気になって実家に電話をするともう母は寝たと言われて
ひと安心した。

介護保険更新手続き

2006年10月13日 | 母の介護保険
母が介護保険を認定されて11月末で半年になる。
認定期間が半年のため、市から更新手続きのお願いが来た。

認定時に書いた住所や、担当医の詳細が印字された紙に訂正があれば
線を引いて正しいものを書いて提出する。

提出先は、認定時の窓口(うちの場合高齢者支援課)
または在宅介護支援センター(市のホームページなど掲載)

更新にまた時間がかかるようなので、早めに手続きしよう。

うちは介護保険の柱になっている、ケアマネージャーさんが市役所に寄る
とのことで行ってもらうことになった。ラッキー。

緩和ケアと一般病棟の違い

2006年10月12日 | 役に立つかも・・
緩和ケアと一般病棟の違いのおおまかなところ

・緩和ケア病棟(見学、診察済み)
24時間いつでも出入りが出来て、犬も入れる場合がある。
また病院ぽいというよりは、家のような作りの部屋が多い。
また癌の緩和専門の先生がいる。
病院によるが、Gセンターはもう半年以上先しか入れないと言われ、
もうふたつは茨城の病院だが、2週間くらいで入れるというところもあった。
で、在宅で出来る限り過ごし、在宅が無理になったときに緩和へという手もある。
そのとき緩和がいっぱいで入れなくても一般病棟で一時的に過ごし
空き次第緩和へ入院できるようだった。
入院費用も1万円くらいだが、3割負担の3000円くらいだったような気がする。

・緩和ケアのできる一般病棟(ソーシャルワーカーの話だけ)
病院の面会時間と同じ時間帯で、一般の入院している人と
同じ部屋になる場合もある。
癌の緩和専門の先生がいるところといないところがあるので
そこをチェック。治療の先生はいても緩和となるとまた違ってくる。
一般病棟の場合は、治療を目的としているところが多いので
療養となると入りにくいらしい。

Gセンターの担当医は、ケア病棟でも一般でも自分の家から近いとこの
方がいいというが、私はそうは思わない。
一般でも癌の知識がなければ、足の浮腫みを簡単に心不全と診断する医者も
いるのだから・・・・
近ければ通いやすいから担当医はそう言ったんだと思うけど・・・

家事支援サービス

2006年10月12日 | 母の在宅介護
うちの母を介護するにあたって一番のネックだったのが
30年ちかくやったことのない家事を父がするということ。

抗がん剤の副作用でどうにかして食べれるものを作ろうと
するが、レシピが浮かばずよく夫婦喧嘩をしていた。

で、介護保険の認定前は市の支援サービスや生協の支援サービスを使って
料理、洗濯、掃除とお願いしていた。
市の支援の方が時給880円。生協の方が1200円に交通費。
これはかなり助かっていた。
患者さんの分だけといいつつ、父の分の食事も作ってくれていたw

いろいろなHPなどを見ていると、奥様が病気になって
だんなさんと小さい子がいるおうちが多いが、
こういうところがあるのでたまには使ってみるのもいいかもしれない。

今はたまたま支援サービス時代にお世話になってた人が、介護の資格も
持っていたので引き続き介護保険の価格でお世話になっている。

レセプト開示の仕方

2006年10月12日 | 役に立つかも・・
8月9月のはじめと往診に来ていたドクハラ。
このままじゃ済まさない!!!と思いつつ、ばたばたしていた。
請求額に???があるため、社会保険事務局に電話をして
レセプト開示のやり方を聞いた。

開示請求したら、請求した保険事務局に来ないと見れないとか
患者本人じゃないと基本的にだめだとか・・・
あほか!
池袋の社会保険事務局の男の人に言われた。
役所の人って情もないし、マニュアルにそり過ぎていやになる。
介護保険の手続きするときだって、そうだったなぁ。

まま、愚痴っても仕方ないので
開示請求に必要なもの
・本人じゃない場合戸籍謄本
・請求する人の本人確認できるもの(免許書、保険証)
・認印
・300円(4月~3月分の一年開示分)
・開示は窓口か郵送か選べるらしい。
・どこの県の社会保険事務局でも開示請求ができる。

時期は池袋の人が言うには
9月分の開示が12月末になるらしい。
そんなに遅いのかいな!!!!
内容忘れちゃうよ・・・

今日話したおっさんが言うのが正しいかどうか不安なので
実際開示される方は、社会保険事務局へ電話をして確認するべし。
とりあえず、なんとなくの流れをカキコしましたw

うちは検査をしていないのに、検査のお金を取られたりしていたので
開示を求めようと思っている。
レセプトを見れば、なんの検査をしたなど請求書よりも
詳細が載っているので請求に不満がある人は1回開示を求めてもいいかもしれない。



在宅酸素の契約

2006年10月11日 | 母の在宅介護
今の往診の先生になる前に、インチキ医者にかかった。
その際にはひどい目にあった。
末期がんの患者は寝ているうちに死亡してしまうことが
多いので寝るときに酸素をして寝たほうがいいでしょう・・・と
母本人を診ずに、家族との話し合いの中で言われ、
そう言われて必要ないなんて思えるわけもなく、次の日には
酸素が納品された。使い方の説明もなしに。

でもって、いろいろあって、転院することになり、
インチキ医者にその旨伝えると、その次の日にはその酸素を
引き取りに行きたいとの酸素会社の人から連絡があった。
それがたしか、9月4日くらいだったかと・・・
そんでもって、一か月分まるまる請求された。

で、9月はインチキ医者にお金を払いつつ、
今の信頼できるA診療所の先生の指示を素に使っていた。
今月からはA診療所への支払いになることで、
今日酸素会社の営業マンから契約書のを交わすことになった。
同じ酸素会社でありながら、病院によって
印をきちんとつく契約を交わして酸素使用をするところと、
インチキのところのようになにも交わさないところがあるようだ。

在宅酸素を使うようになったら、まず契約書を交わすのがベスト。
またうちのように途中で転院、入院した場合の
請求額がいくらかどうか先に確認しておくべき。

また痰苦

2006年10月09日 | 母の在宅介護
ここ最近またのどがゼイゼイと痰が出なくて苦しい日が出てきた。

でもって、今までは吸入して自力で痰だし姿勢で
出していたんだけど、今じゃ吸引してくれ!と
あんな苦しいものをすぐ指定してくる。

吸引機の使い始めのときは、拷問ばりに苦しがっていたくせに
今ではあーあーあーっと言いながら舌をあごにくっつけるような感じで
伸ばしカテーテルを入れても平気になってしまった。

昨日も今日も吸引機で吸い取った。
やる方もなんだか抵抗なくできるようになっちゃった。
誰でもこい!!!

うちは右胸に水が溜まっており呼吸苦が出たりしてるのだが
痰ものどちんこのすぐそばの右側に溜まっていることが多い。
ただただまっすぐに入れて出し入れするのではなく
カテーテルを持ちつつ体を左右に動かしてみるといいかも。

今日祝日に往診してもらい、痰が取れる薬を追加で出してもらって
いるらしい。父親に看病は任せて私は夜から出勤したので
先生とはあっていないので情報提供なっしんぐです。