昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

小説・二十歳の日記  六月十日  (曇り)

2024-08-04 08:00:58 | 物語り

もうダメだ! 自分自身を嘲笑し、なにもかもに感動を失った。
自暴自棄に近いよ。何もかも放り出して、それこそ自由気ままに生きたいよ。
自○、頭の中をかけめぐる。
そういえば、彼はどうしているだろう? 
二度もの自殺未遂の末に、むずかしい病名の精神病と、内臓疾患の病名と、もう一つなんとかという病名を付け加えられて、保護されたはずだ。
ぼくにはどうしてもわからない。
たしかに、現実と夢のくべつが付かないようではあったよ。
だけどこのぼくだって、いや大なり小なり、話を面白くするために誇張することはあるじゃないか。
彼のばあい、その度が過ぎただけじゃないのか。

星の流れが霧に閉ざされ、ときの流れも止まった今夜、ぼくはきみと歩いている。
……それだけでぼくは幸せなのに、きみは不満げだ。
そして口づけをせがむ。
触れ合うものはこころだけでいい。
肌の触れ合いが必ずしも、永遠にしてくれるものではない。
それどころか、このぼくには、タブー。
きみに、ガラスのドレスを着せたい。
ガラスの帽子にガラスの靴。
きっと、素敵だろう! 弱い月の光にきっと、七色の虹にかがやくだろう。
なのにどうしてきみは、夢に酔えないの? 
きのうを想うでもなく、きょうを見るでもない。
まして、明日あしたのことではない。
”夢は、ゆめよ!”
そのとおりだ。
だけど、きみは嫌う。なぜ?
”ガラスは固いから、靴ずれするわよ!”
これがきみの答え。
きみには、それを嫌がるぼくが不思議だろう。


彼が病院に連れ去られるすこし前のことだったよ、この話を聞いたのは。
「クスリを飲み、次第に意識が薄れていく。
手首の血管から血がドクドクと流れでる。
おそらく耳にまで届くだろうさ、その音が。
そして、ガス栓からのシューッという吹きだすおとを耳にしながら、ぼくは彼女とかたりあう。
”ほら、こんなに血が流れでて、きれいだぜ”
”シューッだってさ。ピュッピュッと、断続的に吹きだせばもっと面白いのに”
そんなことを、ふたりして話すんだよ。
どうなんだろうね、その時セックスはするものだろうか。
それとも、ただ手を握りあって、じっと見つめているだけだろうか?
いま、悩んでいるんだ」

彼は、そんなことを真顔でぼくに話たよ。
ぼくときたら、そんな彼に羨望の眼差しを、向けていたような気がする。
なんて素敵な方法を思いつくのだろうって。
もっとも、正直なところ彼がほんとうに自○をはかるとは思ってもみなかったけどね。
いちど目の未遂、「量をまちがえたのさ」と言った。
にど目には、家族や医師をののしったらしい。
そのときの彼の形相、鬼気せまるといった具合らしい。
ぼくがお見舞いに行ったおりは、前回とちがって口数がすくなかった。

人間、いかに生きるかを考えるにだよ、色々人は言う。
けれども、そのどれもがこじつけだ。ぼくの結論は、こうだ。
いかに生きるかと考えるから駄目であって、いかに○ぬか――そこに至るまでの道程が大事だ――を考えれば、自ずと道も開けるはずだ。
逆もまた、真なり! だよ。
けれども、ただ考えるだけでは駄目だ。本当に、向き合わなければ。

しかしご家族のはなしでは、内蔵疾患を苦にしていたとのことだ。
「一生を病人ですごしてわたしたちに迷惑をかける位なら、と自○を図ったのです。
この子は、あなたもご存じのとおりとても気の優しい性格ですから」
あるいは、ご家族のことばが正しいのかもしれない。
多分そうなのだろう。病のことが彼を苦しめ、精神的重圧となり、あの彼のことばになったと思うよ。
彼はいま、どうしているだろう? 
いまでも、病院だろうか……。
かけることばが見つからないまま、見舞いに行っていない、行けていない……



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