昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

恨みます (五)

2022-05-08 08:00:16 | 物語り

「発車、いたしまあす。お乗りの方は、お急ぎください」
 駅のホーム上で、車掌が一樹を“急げ、急げ”と急かしている。
すんでのところで車内に滑り込んだ。車内は押し合いへし合い状態で混み合っている。
うんざりとした表情を見せながら、電車の揺れにそなえて吊革につかまっている――しがみついている。
一樹といえば、ドア付近にいては停車駅ごとの乗降客に巻き込まれかねないと、車内の中央部に向かおうとしている。
“あの女、なんで泣きそうな顔してるんだ。えっ? まさか……。チカンか? 
こんなブス相手に、なに考えてんだか”

=====
痴漢にやられてる女を探してみろ。声を出せない女がベストだな。
そういう気弱な女を捕まえろ。それで、正義のヒーローよろしく、助けるんだよ。
でその後、いろいろと親身になってやるのさ。
分かってるだろうが、バイの為だかんな。そこを忘れるなよ。
自宅を押さえられたら最高だな。
「その後どうですか?」と、家庭訪問ができるからな。
出社すると言ったら、必ずついて行け。で、そのまま張り付いてろ。
これ、大事だぞ。早退する可能性もあるからな。
そうなったら、こっちのもんだ。
「心配だったんで……」とか何とか、理由をつけろ。
いいか、絶対に自宅を突き止めろ。
ハンターなんだ、お前は。狩りなんだ、これは。 
=====
一樹の上司であり敬愛する健二木の声が、今、一樹の耳に鳴り響く。
“そうだ、これは大チャンスだ”

顔を真っ赤にした女が、今にも泣きださんばかりになっている。
誰もそのことに気が付かないのか、それとも関わりになることを嫌っているのか、女の体が崩れかかった。
そんな中で、「止めろ! この、チカン野郎が!」。正義のヒーローよろしく、一樹が声を上げた。
「な、なんだよ、あんた。なんのことだい」
「このヤロー、しらばっくれるつもりか。お前、チカンしてたろうが」
「じょ、ジョーダンっしょ! 知らないよ、オレ」
 真っ青になった男が、その場を離れようとした。
「待てよ、こらあ。逃げんなよ。まず、彼女にあやまれえ!」
 男の手を取って、ねじり上げた。

「見たんだよ、オレが。お前の手が、この女性のスカートの中に入ってるところを」
 一樹は男の手を上げて、大声で叫んだ。
「みなさーん! この男、チカンでーす」
「やめてください、やめてくださいよ」
「だからチカンしたと認めて、彼女にあやまれよ」
「だから、違うって、言ってるでしょうが」
「いや、違わない!」
「カノジョに聞いてくださいよ。ねえ、カノジョ!」
 押し問答が繰り返されたが、当の女性からはひと言も発せられなかった。

 



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